カゴアミドリ

               

【宮古の横田かご 2】鈴木利雄さんとの出会い

<鈴木利雄さんとの出会い>

岩手の宮古市に、昔ながら浜のかごをつくっている人がいることを
僕たちに教えてくれたのは、岩手県タイマグラ在住の安部智穂さんでした。

早速、横田かごの作り手である鈴木利雄さんを訪ねて宮古に足を
はこんだのは、いまから6年ほど前のこと。

それは、大きくて、頑丈で、男前なカ強さがある、道具そのもの
といった印象のかごでした。
同時に、どこか優しくておおらかさもあり、鈴木のおじいちゃんに
よく似た雰囲気をもっていました。

 

何メートルもある竹ひごを勢いよく回しながら、あれよという間に
大きな竹かごが仕上がっていく様子に目を丸くし、
この日以来、家族でお付き合いをさせていただくようになったのでした。

はじめておじゃました日。
横田かごの製作をみせてもらいました。

しかし、鈴木さんご一家は東日本大震災により被災。
ご自宅は高台にあるため直接の被害は免れましたが、津波によって
大事なご家族の一人を失ってしまいます。
奥様やご家族とともに、本当に辛い毎日を過ごされていたことと思いますが、
「ずっと落ち込んでいたままでは、叱られてしまうからなあ。」と言って、
その後一月ほどが経った頃、たくさんの横田かごが届けられたときは
本当に驚きました。

しかし、翌年には体調をくずされてしまい、本格的なかごづくりは
この年に引退されたのでした。

それからも、東北に行く際はご自宅を訪れるようにしていましたが、
通院や入院のため不在のことも多く、病院のベッドを見舞ったことも
ありました。そして、どんな時でも話題といえば、やはり横田かごのこと。
かごづくりをほんとうに楽しんでいた鈴木さんはいつも
「またかごをつくりたいなあ」と話していましたが、全身の力をつかって
編みあげていく横田かごを、ふたたびつくることは、
僕はもうむずかしいのでは と考えていました。

2012年春。竹の切り出しの様子も見せてもらいました
2014年春。かごづくりを引退した後も
ずっと手入れを欠かさない、横田かごの七つ道具

<元気な証拠>

今年の夏のある朝のこと。
地方を旅していたとき、めずらしく興奮した声の妻から電話がありました。
「鈴木のおじいちゃんからかごが届いた!」

おどろいてすぐに連絡をしたところ、
「このところ、すこしからだの調子がよくてね、娘婿を連れて竹取りに
行ってきたんだよ。それで早速、いくつか作ってみたんだ。受け取ってね。」
との明るい声。

今年81歳を迎えた鈴木さんいわく、「かごが作れるのは元気な証拠」。

とはいうものの、体調を心配する奥様はもちろん反対されました。
そこで、一日の作業時間を二時間までと決め、決して身体に負担を
かけないよう約束して、おそるおそる作業をはじめたそうです。

きっと、これまでにない不安の中、いつもの数倍もの時間をかけて
つくっていただいたことと思います。同時に、鈴木さんのつくった横田かごを
受け取れるのは、これが最後になるかもしれない、そう実感したのでした。

今回、受け取ったかごをどのように扱ったらよいのか? しばらく考える時間が
必要でした。鈴木さんも「伊藤さんの好きにしてください」との一言。

東北沿岸部に伝わってきた貴重な手仕事として、販売ではないかたちで
活用できる方法を考えていた時期もありましたが、宮古に生きた一人の
かご職人、そして消えゆこうとしている「横田かご」の存在を知ってもらえる
最後の機会になるのだとすれば、やはりできるだけ多くのみなさんに、みて、
さわって、つかってもらうことが、一番大切なのではないかと思いいたりました。

そのようなわけで今回は、幅広い皆さまにご応募を検討いただけるよう、
申し込み期間を設けて販売させていただくことにしました。

※ 受付は、2015年11月13日をもって締め切らせていただきました。
合計で180人以上の方々にお申し込みをいただく結果となりました。
たくさんのご応募をありがとうございました。

鈴木利雄さん。いつも仲のよい奥様と

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