港のかごにまつわる、二人の職人のこと。

現在吉祥寺で開催中の「かご展」では、かつて東北沿岸の港で不可欠だった
魚の運搬用の竹かごに関する展示も行っています。

昭和30年代は、沿岸部の漁獲量が増えた時代背景もあり、
漁港近くには何軒もの竹細工店が並び、しのぎを削っていたといいます。
しかし、プラスチック製品が台頭する昭和40年に入ると需要は激減。
職人たちは転職を余儀なくされ、港から姿を消していきました。

当店では以前から、岩手の宮古漁港で使われてきた「横田かご」、
福島の小名浜港の「万漁かご」を取り扱っています。

見た目も作りも似ている二つのかごの共通点について、
以前からもっと深く知りたいと思っていました。

また、横田かごの職人であった鈴木さんと、万漁かごの西山さんに
話を聞くたび、年齢も近く、お互いに長男として家業の竹細工店を
継いだこと、2011年に津波の被害を受けてしまったことなど、
お二人の経歴についても 重なる点が多くあるように感じていました。

そこで今回はお二人にインタビューにご協力いただき、
まとめてみました。

◇鈴木利雄さん(横田かご)

 
 (撮影:嶋崎千秋さん)
 
昭和9年 岩手県宮古市に生まれる。
昭和21年 竹細工店を営む父・一郎さんの跡を継ぎ、職人の道へ。
昭和36年 貞子さんと結婚。
昭和36年頃 横田かごの需要の最盛期。
昭和37年 長男誕生
昭和40年 長女誕生
昭和42年 プラスチック製品の台頭により、注文が激減。
昭和44年 企業に転職。
平成4年 定年後、25年ぶりにかごづくりを再開。
平成23年 3月11日 東日本大震災により被災。
平成23年 4月 かごづくりを再開するも、翌年は体調を崩し休止。
平成27年 春 3年ぶりに、横田かごを製作する。
   ※今回販売する横田かごは、昨年製作したものとなります。
鈴木さんの手元に残っていた当時の注文書。
かつて竹かごが全盛期だった時代の貴重な資料です。 

 
◇西山昭一さん (万漁かご) 
 
 
(撮影:大西暢夫さん)
昭和10年 福島県いわき市小名浜に生まれる。
昭和28年 竹細工店を営む父・亀三さんの跡を継ぎ、職人の道へ
昭和30年代後半 万漁かごの需要の最盛期
昭和39年 英子さんと結婚
昭和40年 長女誕生
昭和43年 長男誕生
昭和43年頃 プラスチック製品の台頭により、受注が激減。
昭和45年 転職に備え、大型免許を取得。
        (その後、そのまま職人の道を続ける決意をする)
平成23年3月 津波により、自宅と工房を被災。
平成23年10月 多くの人に支えられ、仕事を再開。
 
 
これまで、日本全国のいろいろなかごの産地で、プラスチック製品の
登場を理由とする竹籠製品の衰退を耳にしてきましたが、
農具としての需要に比べ、漁業目的に使用されてきた竹細工の方が
より急激な変化への対応を迫られてきたことが感じられました。
水に濡れた状態が長く続き、常に荒っぽく扱われる港の環境において、
プラスチック製品の登場は、想像以上に画期的なものだったことでしょう。
 
「毎年少しづつ仕事が減っていく感じなんかではないよ。
ある年、急に注文が来なくなった。あまりに突然すぎて涙もでなかった。」と
西山さんは話してくれました。
 
これから家族を養っていけるのか不安で、眠れない夜が続いたこと。
船がサンマ漁に使用する長い竹を必要としていたことから、しばらくの
間は暮らしを支えられたこと。大型免許を取得し、転職に備えていたこと。
西山さんは、それでも最後は竹細工職人としての道をえらび、
港ではなく、暮らしのかごを手掛ける職人として、活動をはじめたのでした。
転職を余儀なくされた鈴木さんと、時代に大きく翻弄されながらも
職人の道を歩んだ西山さん。
もし、自分が同じ立場だったら、どちらの道を歩んでいっただろう?
今回の展示をきっかけに、これまで以上に深く、当時の状況に
思いを巡らせました。
 
お二人には、聞きたいことがまだまだたくさんあります。
またいつか、そのお話の一部をお伝えできればと思っています。
伊藤

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