昨年の12月、富山県氷見市三尾に伝わる「そうけ」の産地を訪ねました。
能登半島の付け根に位置する氷見市。
山間部の棚田からは、日本海を見下ろすことができ、
浜辺からは、海を挟んだ先に白い雪に覆われた
北アルプスの立山連峰を見渡すことができる、とてもうつくしい場所でした。
「そうけ」とは、この地方でよばれている笊のこと。
竹細工の産地として知られる「三尾」の集落は、富山県の西側の山間部、
石川県との県境にほど近い場所にありました。
もともとこの地域では耕地面積が少なく、農業での収入が多く見込めなかった
ため、そうけづくりは現金収入の大半を占めていたそうです。
高度成長期までの時代は、ほとんどの家庭でそうけづくりが行われて
いましたが、他の産地と同様、プラスチックや金物素材のざるの登場と
ともに その需要は大きく減少。
当時は、そうけづくりを中心に生計を立てていた人も多くいたと
思いますので、それまでの暮らしや働き方をおおきく変える必要が
あったことでしょう。現在はわずか1、2軒が残るのみといった状況です。
今回、お邪魔したのは、三尾の集落の中でも一番のベテランといわれる
ご夫妻の作業場。奥さまが、優しい笑顔で迎えてくれました。
ご主人は、この道なんと70年以上の大ベテラン。
一本の長い竹を鉈を使ってパチパチと割って、細い材料に整えていく
作業は力強くもありつつ、やさしく流れるような動きでした。
この地域では、どの家庭でも夫婦で作業を分担するのが一般的だった
そうで、ストーブを囲みながら、おふたりで仲良く作業をされていました。
主に作っているのは、研いだ後のお米の水切り用に使う「米揚げそうけ」
とよばれるもの。
「箕」に似た、片口のデザインとなっているため、米や豆などの食材を
鍋に移すのにとても便利で、竹の種類は違えど、東北や九州などの
竹細工産地でもよく見られるかたちです。
最盛期には、富山・石川県をはじめ、新潟や長野からの需要にも対応し、
多くの家庭の台所の必需品でした。
枠縁にはモウソウチクが使われる
みせてくれました。その昔、地域の共同作業所で購入したものですが、
他に使う人がいなくなってしまったため、山下さんが持ち帰り
修理を続けながら使っているそうです。
最後に、縁部分に針金を巻いて出来上がった「米そうけ」は、
手当りもやさしく仕上がっていました。
そしてその価格は、地元の人にずっと使い続けてほしいという願いもあって、
ここ数十年の間、ほとんど変えていないそうです。
少なくとも、400年以上の歴史をもつ三尾の竹細工。
昔と変わらずそうけづくりを続けている、ご夫婦の暮らしをわずかながら
拝見することができて、とても印象に残る訪問となりました。
お別れの際、固く手を握って見送ってくれた奥さま。
歴史ある氷見の土地と人々が身近な場所になりました。
いつまでもお元気で。またお二人にお会いできることを楽しみにしています。
いとう