水になった村へ

映画「水になった村」を見てから、ずっと行きたいと思っていた徳山湖(徳山ダム)。

この映画の監督であり、知人である大西暢夫さんのご家族と一緒に
ダムを案内をしていただくという、とても贅沢な一日のはじまりです。

大西さんのお子さんは、我が家のむすめと同じ年頃。
昨年にはじめて会ってから友だち同士なので、今回の旅は
とても楽しみにしてくれていたようです。

さて、池田町にある大西さんの自宅を出発し、揖斐川沿いに車を走らせます。
いくつかのカーブを抜け、1時間半程度のドライブで徳山ダムにつきました。

背後の湖面はとても穏やかで、取り囲んだ山々が水面に映っていました。

しかし、この湖面の下は、かつては徳山村の中心地。
少しの時間でしたが、当時の人々のくらしや学校に通う子どもたちに、
思いをはせてみました。

 (ダムに沈んだ徳山小学校の位置を示すポスター)

視線を前方に向けると、深さが160m以上もあるという日本最大級のダムの姿を
見下ろす形となります。

日本一の貯水量を誇るこの巨大なダムは、貯水開始から満水に近い状態になるまでに
二年近い時間がかかったそうです。

(GWには観光放流が行われ、とてもにぎわうそうです)
その後、すこし奥に位置する「徳山会館」へ。

ここには、かつての徳山村の暮らしを紹介する展示スペースがあり、
村出身のアマチュア写真家・増山たづこさんの写真が多数展示されていました。

増山さんご自身は、ダム建設に反対であったそうですが、
「国がやろうと思うことは戦争もダムも必ずやるから、反対するのは大河に蟻が
さからうようなもの」 として、この事実を受け止めていたそうです。

しかし、「(太平洋戦争で亡くなられた)夫がいつ帰って来ても、ダムに沈んでいった
徳山村の事を伝えられるようにしたい」と、60歳を超えてから、消えゆく村の生活の
あらゆるものを被写体に、8万点以上の写真を残されました。

ちなみに愛機はピッカリコニカだったそう。

今は、ダムに沈んでしまった村の上に展示された、増山さん写真の数々が、
ダムを訪れる人々に、かつての徳山村を豊かさを語りかけてくれるのでした。
さて、お昼ごはんは、会館内のレストランへ。

かつて、徳山名物だったという「地獄うどん」をいただきました。
釜揚げのうどんに、サバの水煮缶と薬味をのせ、醤油をかけて出来上がり!
農作物の収穫時に手伝いに来てくれた、若者たちの胃袋を短時間で満たすために
考案されたおばあちゃんのレシピ。

大量にゆでたうどんを、残さずに食べさせられた・・・ことが、満腹地獄に
例えられたのでしょう。

もちろん、われわれは、おいしくいただきました。


(地獄うどんセットは、本家本元よりだいぶ高級な感じ)




そして夜はというと、揖斐川の夏の風物詩といわれる「やな」で、あゆ料理を
コースでいただき、心もお腹も満たされた旅の一日となりました。

まだまだ旅は続きます。

征一郎

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