こんにちは。征一郎です。
先日訪問させていただいた、写真家の大西暢夫さん宅は約90年前につくられた
といいます。1920年代といえば、関東大震災や第一次大戦のあった激動の時代。
住居そのものからも、時を経てきた存在感が伝わってくるようです。
梁や障子、火鉢などなど、きっと古いものが分かる方には本当に魅力的な
場所に違いありません。
そして・・・、やはり魅力的なかごもたくさんありました! というわけで、
今回のかごのある暮らしは、「大西さんの家編」にてお届けしたいと思います。
まずは、大西さん自慢の「牛乳籠」。
盛岡駅にほど近い場所にあったという、一軒の竹細工屋さん。
ふと気になって店に入り、一目ぼれしてしまったという牛乳籠です。
現代の紙パックはなく、ガラス瓶しかなかった時代では、配達用や家庭用として
使われていたのでしょうか。実用主義のかっこよさがにじみ出ています。
続いては、福島県会津の根曲竹のかご
これは真竹でつくられた収穫用の籠。
あめ色のつやがでてきて、とてもいい味が出ています。
そして最後は、海外から。ベトナムのかごでしょうか? 南アジアの雰囲気がありますね。
この足つきの竹かごは、驚くほど正確に編まれていて、つくり手の高い技術が伺えます。
大西さん、貴重なかごをありがとうございました!
そして・・・昨日、青山の国連大学で行われた「国際水映画祭2011」。
大西さんが製作した「水になった村」も上映されると聞き、足を運んできました。
登場するのは、ダムに沈むまで生活し続けた、おじいちゃんおばあちゃんたち。
そのくらしの中には、かごやざるも多く登場し、箕を自在に操る姿が印象的でした。
そんな、自然と一体になった暮らし方。。。今の時代にこそ、必要な価値観が
たくさんある気がしました。
以下は、映画「水になった村」の概要・解説です。
DVDも最近発売されたばかりで、「こちら」 でお求めいただけます。
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1957年、岐阜県徳山村にダム建設の話が広まった。
当時徳山村の住民は、約1600人。
みな次々に近隣の街につくられた移転地へと引っ越していった。
それでも、何家族かの老人たちが、村が沈んでしまうまでできる限り
暮らし続けたい、と街から戻って来た。
写真家の大西暢夫が初めて村を訪ねたのは今から15年前のこと。
だれもいないと思っていた集落に家があることに驚いた。
以来、ジジババたちの暮らしに魅せられ、東京から徳山村まで片道500キロ、
バイクで高速道は使わず山道を走り抜けて何度も何度も通った。
そしてその村でジジババたちは大西を「兄ちゃん」と呼び,
共にたくさん食べ、いっぱい笑った。
村には季節ごとに土地で採れるものを大切にする、暮らしの知恵や技がある。
食卓にはいつも食べきれないほど大盛りのごはんが並び、山はジジババたちの
笑い声に満ちている。
2006年秋、いよいよ工事が終わり、水がたまり始めた。
もう誰も、村に帰ることはできない。
ジジババたちの変わりゆく暮らしに寄り添った15年間の記録。