カゴアミドリ

               

富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」

先日、東京文化財研究所で行われた「箕サミット」では、富山県氷見市で「藤箕」づくりを行っている坂口忠範さんも実演されていました!

お会いするのは、約一年ぶり。ちょうど昨年末、富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」づくりを紹介する冊子づくりのために、現地を訪ねてきました。

「藤箕のなやみ」となづけた小冊子

そのとき、取材のためにお世話になったのが「藤箕づくり技術保存会」の会長である坂口忠範さんでした。
材料採りから素材の加工、箕の完成までを見学するため、坂口さんを二日間を追いかけ、すべての行程を見学させていただきました。

藤箕の里、熊無・論田地区の棚田

「藤箕」の産地となる論田・熊無は、氷見市の西部に位置し、 石川県との県境に位置する二つの集落です。この地での箕づくりは、室町時代から600年以上続いてきた長い歴史をもちます。

2012年にその技術的な価値が認められ、国の「重要無形民族文化財」に指定されますが、その当時箕づくりを行っていたのはわずか数軒のみ。
70~90歳代の作り手が中心で、新たな後継者もあらわれない現状から、うれしいニュースであると同時に、今後の存続に対する責任の重さも感じたそうです。

「藤箕」の名は、フジヅル(藤の蔓)を挟み織っていることに由来。フジの強い繊維を使用することから、軽量で耐久性に優れています。

持ち手部分には、ニセアカシア(またはヤマウルシ)を用い、叩いて柔らかくしたフジとタケ(矢竹)を組み合わせたものが「平箕」とよばれる本体部分となります。また、口先の部分が割れるのを防ぐため、ヤマザクラの樹皮を補強に使います。

まずは、この4つの素材を山から採取することが、とてもたいへんな作業になりますが、この地域での箕づくりはすべて工程を一人で行うのが基本。分業は作業の効率化や専門性を活かすことができますが、一名でもかけてしまうと箕づくりができなくなってしまうことから、古くから一戸ごとの生産を行ってきたということです。

坂口さんは会長になられたのは、一年ほど前から。
そのきっかけを伺ってみると、この地域で藤箕づくりができる作り手さんが、いよいよ80代~90年歳代のご高齢となり、他に箕づくりができそうな後継者がいないか探していたところ、声を掛けられたのが坂口さんでした。

実際に坂口さんが箕づくりを体験していたのは、今から50年以上も前のこと。外で働きはじめる前に家業を手伝っていた10代の頃でした。
再び藤箕づくりに挑戦してみたところ、なんとまだその作り方を身体が覚えていたのそうです。

「本当は、藤箕づくりが大好きなわけじゃない。箕づくり以外のこともしたいけれど、この土地で600年の歴史がある箕づくりの伝統を次の代につなげられるまで、それまでなんとか会長の仕事をやるしかない。」と語ってくれました。

そして、もう一つの大きな問題は「使い手」の減少です。

農家さんの減少や農業の機械化などにより、需要は激減してきています。
昭和のはじめから30年代後半まで、年間10万枚近い数を産出してきましたが、現在、実用として必要とされているのはわずか100枚程度。
そのほとんどの注文は、地元からによるものではなく、北海道のジャガイモ農家さん向けにつくられているというのが実情です。

そこで取材を終えた後、坂口さんにお願いをしました。
昔ながらの農具としての存在に、藤箕の本来の価値と魅力があるのだと思いますが、その技術を存続するためにも、現代の暮らしに取り込めそうな新しいものづくりを、今後の活動の一部に取り入れてもらうことができないか、相談させていただいたのでした。

お願いしたのは、箕の形をアレンジした「かご」の製作。その数週間後、なんとか試作品ができたよとの連絡がありました。

お店のカウンターで使っています。

想像以上の出来栄えに驚きつつ、試行錯誤してがんばってくださっている坂口さんの姿が浮かんできました。まだ量産できる状況ではありませんが、できるだけお客様にも見ていただきながら感想をあつめ、完成品に近づけられたらと思っています。

訪問した記事を担当させていただきました

今の暮らしにあうように変えすぎてしまっては、箕ではなくなってしまうし、でもそのままでは存続していくのはむずかしい。そのバランス感覚が難しいところですが、これまでの伝統的な箕づくりとともに、これからの将来につながる可能性の一つとして、今後も取り組みを続けていきたいと思っています。

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