「チプサンケ」開催中の二風谷に訪問しました

北海道の旅では、沙流郡日高町の二風谷に数日滞在しました。
期間中は、アイヌの人々による年に一度の儀式「チプサンケ(舟おろし)」 
が行われていて、川下りやものづくり体験などを楽しみました。
宿泊させていただいたのは「平取アイヌ文化保存会の事務局長」
を務める貝澤耕一さんが所有するログハウス。滞在中は、
「二風谷ダム建設差し止め訴訟」の原告の一人でもあった貝澤さんの
これまでの活動について、お話を聞くことができました。

沙流川流域のアイヌ民族の風習や文化、その歴史とともに、
ダムの建設後もなおその影響を受けながら暮らしている現状を、
スライドを交えわかりやすく説明していただきました。

貝澤さんはまた、開拓と開発で荒れてしまった自然を本来の姿に
戻そうと、山林を買い取って森を育てる
「ナショナルトラスト・チコロナイ(わたしたちの沢)」の活動も
されており、自然の再生についても学ぶものがありました。

アイヌの人々を公の場で初めて先住民族と認め、独自の文化への配慮を
欠いた事業認定を違法とした「二風谷ダム訴訟」の札幌地裁判決から
今年で20年。1997年に下された「ダムは違憲」との判決にも関わらず、
その本体がすでに完成していたことを理由に、翌98年から運用が
開始されました。

貝澤さんのご自宅は、ダムからわずか数百メートルの場所。
その姿をいつもどのような気持ちで見つめているのか、想像することは
容易ではありません。

しかし、わずか20年のうちに、ダムの総貯水容量の4割近くが土砂で
埋まってしまいました。なんと100年で堆積する予定の2倍以上の土砂が、
10年たらずで堆積していたことが判明し、たまった泥による濁りは
河口の日高町にまで達し、特産品であるシシャモの繁殖にも大きな影響を
与えているそうです。
にもかかわらず、二風谷ダムのさらに上流では、現在も「平取ダム」
の建設が進行しています。

ダムの工事が始まったのは1973年。他のダム建設地と同様、ニ風谷でも
多くの住民が土地を手放す選択をしたそうですが、その理由は補償金や
住民間の分裂だけではなく、その歴史的背景や差別による
アイデンティティーの喪失などもあったのではないかと思いました。

その歴史についてのお話を聞いている間、年に数度足を運んでいる
沖縄のことが、頭に浮かんできました。その土地に長く暮らしてきた
人たちの意に反する国策や人権侵害、自然環境の破壊に対する、
静かで根気づよい戦い。平和的な解決をのぞむ姿が重なって見えました。
また、アイヌ民族と遺伝子的にもっとも近いのは琉球民族であると
聞いたことがありますが、その表情や助け合いの精神、自然を敬う
暮らし方という点でも、共通するものが多くあるように感じます。

そして、これらの問題の根本には、自分も含めた多くの人の無知、
関心の無さがあるような気がしてなりません。

アイヌの人々は、すべての事物には神が宿ると信じ、特に多くの恵みを
もたらしてくれる植物や動物などを「カムイ」として敬ってきました。
そこには、生きるために必要なものを必要なだけ、自然からいただいて
暮らしてきた、すべての生き物との共存の姿があります。
それは次世代の人々の生活環境を守り、伝統的な暮らしを維持するための、
唯一無二の手段でもあるのかもしれません。私たちの今の暮らしの
あり方にこそ、こうした生き方から学ぶものがとても多いように感じます。

今回、わずかな期間ながら見聞きしたものをできるだけ多くの方に
知ってもらい、ぜひ現地を訪ねてほしいという思いから、こちらに
投稿させていただきました。

最後になりましたが、今回の訪問を受け入れてくださった貝澤家と
二風谷の皆様、滞在中ご一緒いただいたみなさまにお礼申し上げます。

カゴアミドリ 伊藤征一郎

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