先週が今年一番の寒さだった地域も、多かったのではないでしょうか。
そして、沖縄の本島では、観測史上はじめての雪だったとか!
今週より、はじめてご紹介する沖縄のかごの作り手さんたちも、
あらゆる暖房を使って寒さをしのいだそう。
沖縄の人たちは、寒がりだから、気温が17度を下回る頃から
ストーブを準備しはじめるんだよと、話してくれました。
さて、沖縄のかごの材料として、よく知られているのは、ホウライチクと
よばれる竹の仲間や、ワラビ(シダ)、アダン(タコノキ)など。
素材が珍しいというだけでなく、大陸側の影響を色濃く受けた文化や技法、
この地ならではの呼び名や使い方など、沖縄のかごは、知るほどに
とても興味深いです。
今回はその中から、農・漁業用はもちろん、道路工事などあらゆる作業に
使われてきた「バーキ」とよばれる、昔ながらの竹カゴをご紹介したいと
思います。
その産地は主に、やんばる(山原)とよばれる本島北部の自然豊かな地域。
その一部は、辺野古への基地移設問題など、国政・県政ともに問題を
抱えている地域でもあります。
(僕自身、今この場所で起こっていることについて、もっと知らなくては
いけないなあと実感しています)
残念ながら、本業としてかごづくりを続ける職人はすでに本島には
ほとんどいない状況なのですが、たまたま知人の紹介を通じて出会ったのが
昭和16年生まれの仲良し三人組のおじさんたちでした。
生まれも育ちも、名護市の久志地区。
ジュゴンの北限の生息地としても知られる、美しいサンゴ礁が広がる海沿いの
集落です。 すぐ隣には、普天間基地の移設問題に揺れる辺野古地区があり、
工事車両の進入を阻止するために座り込みの抗議活動を行っている人々を
ニュースで目にすることも多いと思います。
![](https://kagoami.com/store/wp-content/uploads/2016/01/IMG_4217.jpg)
おじさんたちの小学生時代(60年ほど前)は、どの家庭でもバーキづくりが
行われていて、親の手伝いをしていた子供たちも多かったそうです。
目の粗いのを「アラバーキ」、工事用を「人足バーキ」といい、農作業や
行商においては、頭に乗せる運搬具として利用されていました。
そんな三人が「バーキ」づくりをはじめようと思ったのは、わずか数年前の
こと。はじめは、遠方の名人を訪ね、習いながら、徐々に編めるようになって
いったといいます。
その後、地元で開催するイベントでも販売するようになり、最近では
これまで作り手がいなくて困っていたという、パイナップル農家さんからの
特注品なども請け負うようになってきたそうです。
![](https://kagoami.com/store/wp-content/uploads/2016/01/R0079647.jpg)
しかし正直なところ、その品質はまだ発展途上の状況でした。
個々のばらつきの差も目立ち、形も一定ではありませんでした。
改善を必要とすることも多いですが、貴重となりつつあるバーキづくりの
継承という点でも、とてもたいせつな活動だと思いました。そしてみなさん、
とても熱心に話を聞いてくれますし、何より三人の会話や昔話が面白いのです。
そしてなんといっても興味深いのは、基地問題について三人がそれぞれ
別の意見を持っていること。反対派と賛成派が、仲良く顔をあわせて
かごづくりに励んでいる姿に、僕自身も多く学ぶことがありそうです。
戦後からしばらくの間、「ホウライ竹」は川辺にたくさん生えていましたが、
昭和30年代になって、すぐそばに基地(キャンプ・シュワブ)ができる頃
から、コンクリートによる護岸工事が行われるようになり、川辺の風景が
一変したそう。
「カワエビがじゃんじゃん取れる、子どもたちの一番好きな遊び場
だったんだよ!」と懐かしむ、おじさんたちの姿が印象に残りました。
伊藤