写真家の大西暢夫さんによる、東日本大震災の被災地からの報告です。
2011年5月から2カ月にわたり岐阜新聞に連載された記事が一冊になりました。
津波の爪痕がまだ生々しく残る東北の沿岸部に足しげく通い、
すさまじい破壊の中、一日一日を生きようとする人々の様子を
寄り添うような目線で伝えた、
心に迫るレポートです。
当冊子の売上金は、経費を除き全額が、被災した子どもたちの支援活動に寄付されます。
カゴアミドリは、大西氏の活動に賛同し、当冊子の販売協力を行っています。
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「東北沿岸600km 震災報告」 | 著: | 大西暢夫 |
| 発行: | 岐阜新聞社 | |
| サイズ: | A5判 モノクロ48ページ | |
| 送料: |
・2冊まで 80円 ・4冊まで 160円 (クロネコメール便) ・8冊まで 350円 (日本郵便/ レターパック350) ・8冊以上は、通常の配送代金となります。 ※冊子のみご購入の場合、ご注文時は通常の送料が表示 されますが、ご注文後当方にて上記金額に修正します。 ※宅配便ご利用以外、お届け日時の指定はできません。 発送からお届けまで、3-4日程お時間をいただきます。 | |
【本文からの抜粋】
「...僕はカメラマンとしての役割を考え、今の行動を選択した。岐阜から出発し、岐阜で発信することに意義を感じていた。現場に行けば涙を流す現実しかない。見た事実を伝えていきたいが、何もかもが巨大で語りつくすことなど到底できない。その悔しさやもどかしさが常にしこりとして残った。 でも僕は遠くに暮らす人に、少しでも知ってもらいたかった。それはメディアに関わるカメラマンとしての仕事だと思った。」
「...僕はカメラマンとしての役割を考え、今の行動を選択した。岐阜から出発し、岐阜で発信することに意義を感じていた。現場に行けば涙を流す現実しかない。見た事実を伝えていきたいが、何もかもが巨大で語りつくすことなど到底できない。その悔しさやもどかしさが常にしこりとして残った。 でも僕は遠くに暮らす人に、少しでも知ってもらいたかった。それはメディアに関わるカメラマンとしての仕事だと思った。」
【大西暢夫さん プロフィール】
おおにし・のぶお 写真家。1968年生まれ。岐阜県で育つ。
写真家・映画監督の本橋成一氏に師事。原発事故後のチェルノブイリに入り、映画「ナージャの村」のスチール写真を担当。主な著書に「僕の村の宝物」(情報センター出版局)、「分校の子どもたち」(カタログハウス)、「ひとりひとりの人」(精神看護出版)など。2010年刊行の写真絵本『ぶた にく』で小学館児童出版文化賞、産経児童出版文化賞を受賞。映画監督作品に「水になった村」がある。東日本大震災後は被災地に通い、取材を続けている。
◎ 大西さんとカゴアミドリの出会いについては、ブログでご紹介しています。
よろしければ、のぞいてみてください。 →ブログへ
おおにし・のぶお 写真家。1968年生まれ。岐阜県で育つ。
写真家・映画監督の本橋成一氏に師事。原発事故後のチェルノブイリに入り、映画「ナージャの村」のスチール写真を担当。主な著書に「僕の村の宝物」(情報センター出版局)、「分校の子どもたち」(カタログハウス)、「ひとりひとりの人」(精神看護出版)など。2010年刊行の写真絵本『ぶた にく』で小学館児童出版文化賞、産経児童出版文化賞を受賞。映画監督作品に「水になった村」がある。東日本大震災後は被災地に通い、取材を続けている。
◎ 大西さんとカゴアミドリの出会いについては、ブログでご紹介しています。
よろしければ、のぞいてみてください。 →ブログへ
■ お客様の声
| おすすめ度 ★★★★★ | あきこ様 | 2012-05-10 |
| その新聞をとっていなければ読めなかった連載を、こうして読むことができ、感謝しています。 1年が過ぎても、311に対して、何をすればいいのかがわかりません。 先日娘の所属する吹奏楽クラブの演奏会で募金を行いました。 そんな小さなことでも支援になればと思います。 大西さんの報告も、より沢山の方に読んでいただきたいです。 |
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| おすすめ度 ★★★★☆ | peanuts様 | 2012-02-25 |
| 阪神大震災を経験したので昨年の震災は他人事ではありませんでした。 現場の様子を知りたいと思い読ませて頂きました。 大西さんの写真がとてもリアルで重く、簡単にはコメント出来ませんが、一日も早い復興を祈る様な気持ちで居ます。 |
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| おすすめ度 ★★★★★ | やまもも。様 | 2012-02-25 |
| 樹の実工房の山福朱実さんのブログで知ってもうしこみました。 遠い北九州で出来ることを出来る限りやりたいと思い、友人に紹介しています。昨年夏「テレジンのちいさな画家たち詩人たち展II」をしましたが、テレジン収容所の子どもたちも被災にあった子どもたちも「どうしてこんなことが・・・・」という思いは一緒だと思いました。そのときおとなが力を出したからテレジンの子どもたちは4000枚(15000人の10歳から15歳の子どもたちは100人を残してみな命を落としました)の絵を描くことが出来ました。今わたしたちおとなは力を出しそしてそのことで傷ついたとしてもそれを受け止めて伝えていかなければなりません。 |
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