ポーランド南部のヘーゼルのかご「レスチェナ」

今年の夏のポーランドの旅で訪ねた場所のひとつに、南部ヤスウォがあります。

ここは、ヘーゼル(ハシバミ)の枝をつかったかご作りが盛んだった場所。郊外にはヘーゼルの森が広がり、かつては200軒もの家が、かごづくりを生業としていたそうです。

今では、専業の職人として活躍しているのはわずか数名とのこと。そのお一人に、今も村人たちで共同管理しているという森に案内してもらいました。

そこは、さまざまな広葉樹と針葉樹が混じりあう天然の森。訪れたのは夕方でしたが、適度に人の手が入った里山の明るさを感じました。

道のそこここに、ほこらのような小さな礼拝所が設けられていて、大切にされている場所だということが伝わってきます。

かご作りに使うヘーゼル素材は、モミやトウヒなど針葉樹の間に育っているものが特に良質なのだそう。植樹をする必要はなく、自然と芽吹くものだけでこと足りるという恵まれた環境です。

木全体を切り倒すのではなく、株になって伸びる1、2年目の若い枝だけを使うため、木の適度な手入れにもなっています。

切り出した若枝は、数日間乾燥させた後、専用の窯で20分ほど蒸し焼きにし、表皮をはがしてへぎ材にします。

職人さんの手とわずかな道具だけで、どんどん編みあがっていく乳白色のかごは、軽いのにとても頑丈。コロンとしたかわいらしいたたずまいが印象的です。

ヘーゼル素材は、すこしマットな色合いが特徴。経年により、色は徐々に濃く変化していきます。

山仕事や農作業に、様々な生活道具の運搬に、この地域の人々の暮らしを支えてきた伝統のかご。ポーランドでも貴重なかごに出会えた、うれしい旅となりました。

わら細工たくぼさんの田植え

今週は、宮崎・日之影町の「わら細工 たくぼ」さんの田植え時期に訪問してきました。

これまで、稲わらの収穫前、収穫後に訪問したことはあったのですが、田植え時期は今回がはじめて。

この急峻な地形を切り開いた たくぼさんの棚田に届けられる水は、なんと30キロも先の日之影川上流部からやってくると聞いていて、このタイミングでその水路もたどってみたいと思っていました。

無事に田植えが終了した翌日、たくぼの皆さんも用水路を詳しく見るような機会がほとんどないということで、総勢6名で水路の源を目指すことに。

全長34キロの「七折用水」の工事がはじまったのは、今からちょうど100年前。開田(米作)を強く願う住民の思いにより、大正9年からわずか5年間で22キロの水路が開通。続いて、昭和2年から12キロの延長工事が行われました。


現在のトンネル内部はコンクリートで覆われていますが、これは最近のこと。大雨のあとや山崩れが発生すると地域の人たちが修復の作業を行っていました。



途中、急な山道を進む場所も多くありましたが、七折用水がはじまり、日之影川上流が近づいてきました。


水神さまにご挨拶をして、無事に取水口に到着。

私たちが実際に歩いた場所はほんの一部ですが、七折用水全体で150ものトンネルを人力で掘り、断崖の合間を縫って走る水路は 1000mにつき落差1mの傾きに計算されており、先人たちの強い思いと技術の高さに驚かされました。

たくぼさんの田んぼは、現在用水を利用している289軒のうち、水源から2番目に遠い場所にあるため、昔から水不足への心配は尽きず、今も毎朝、水の神様に手をあわせてから一日がはじまります。


今回は、わら細工たくぼのルーツを辿るような水源への旅となりました。その様子は、来春に企画している「わら細工たくぼの仕事展」でもお伝えできればと思っています。


そして、こちらは「七折用水」のほぼ中間に位置する『日之影発電所』は昭和57年に完成。用水路から川までの落差 約200メートルを利用した「小水力発電」のため、一般的なダムに比べると(発電量もそれなりですが)必要な建設費や自然環境への負荷はだいぶ少ないようにみえました。

また、それまで地元住民の大きな負担だった水路の維持や改修工事が軽減され、現在の棚田文化の継承、農業基盤の整備にもつながっています。梅雨前の渇水時などには発電機を停めてでも、農地への水の供給を優先するのだとか!

もちろん、地元ではいろいろな問題も抱えているかもしれないですが、数日前に足を運んだ 長崎県川棚町「石木ダム」の建設予定地では、水没予定地に住む住民が全員反対していること、半世紀前と変わらぬ目的でダム建設をすすめようとしている点で、大きく異なるものでした。

長崎県と佐世保市が建設をすすめようとしている川原(こうばる)地区にダムを建設するには、多くの住民の犠牲と多額な建設費が必要となります。今も全国ですすめられているダムの新設について、あらためて議論するべき時期であると強く思いました。