ケニアのかご産地を訪ねて「ナニュキの手紡ぎウール」

ケニアの手仕事を扱っている enplus (オンプリュ) さんの、秋冬の定番のひとつ、手紡ぎウールのバッグ。もこもことした感触がなんとも心地よくて、当店にも毎年届けていただいています。

熱帯のケニアで、ウール製品がいったいどうやって作られるのか、オンプリュの中島志保さんの案内のもと、産地となる「ナニュキ」を訪ねてきました!

訪問したのは「ナニュキ・スピナーズ&ウィーバーズ」。1977年設立の生産者団体で、この地域の気候に合ったメリノシープの原毛を使って、毛糸やウール製品を作っています。

ケニアの中央部に位置するナニュキは、ほぼ赤道直下にありながら、高度が2000メートル近くもあるため、気候は冷涼。ケニアで羊を飼うことができるのは、こうした高地に限られます。

工房の中に入るとすぐに、毛糸を紡ぐ女性たちの姿が目に入りました。足踏みの糸車が並び、カタカタとしずかな音をたてています。

原毛は、山向こうの酪農家から調達。
専用のブラシでほぐしてから、糸車やスピンドル(手紡ぎ用の道具)を使って紡ぎ、さらにぬるめのお湯で10回以上洗って、汚れや脂分を落としていきます。

ケニアの高地で飼われているメリノシープ。

原毛。すこし赤みがかった色をしています。

大きな桶にお湯をはり、紡ぎ終わった毛糸を何度も洗います。

洗いおわり、完成した毛糸。
左が無染色のナチュラルカラー。
右側はローズマリーやデイジー、赤キャベツ
などを使った植物染めの毛糸。

「ナニュキ・スピナーズ&ウィーバーズ」は、地域の女性たちの自立を助けることを目的に立ち上げられた団体です。現在は140人近くの女性たちが作り手としてはたらいているそう。敷地内には小学校と中学校が併設されていて、作り手のお子さんたちはここに通えるため、安心して働くことができます。

左手の建物が毛糸の工房、右奥が小学校。

このナニュキのナチュラルウールをふんだんに使い、すべて手作業で編みあげたオンプリュのウールバッグ。たくさんの方に使っていただけたら嬉しいです。

 

秋田の太平箕 春の材料採り(フジ)

続いて、フジの採取のために里山へ移動しました。

まずはじめに必要となるのは、山主さんの許可。
田口さんは、フジのある近くの集落で農作業をしていた方に声をかけ、 その土地を誰が所有しているのか、おしゃべりしながら聞きだしていきます。

その際、自分がずっと箕づくりをして生計を立ててきたこと、どんな材料を取りたいのかということをどんな人にもていねいに説明している姿がとても印象的でした。


(お二人とも秋田弁なので、全部は聞き取れませんでしたが)
どの方もとても楽しそうに話していて、あらためて田口さんのコミュニケーション能力の高さを実感。聞き込みをはじめてから三人目で、無事に山主さんにお会いすることができました。

ようやく、フジの採取に着手。
フジは他の植物に巻き付いて成長するいわば厄介者なので、人の手により 適度に伐採することで、山にもよい影響があります。 

よい材料となるフジの目印は、表面に見える横線の模様。
絡まずにまっすぐ伸びている蔓を選んで、鉈で切り落とします。 


この時期は、樹皮と木質部の間に水分が多く含まれているので、強く叩いて刃を入れると、気持ちよいほどきれいに皮が剥がれます。

うまく剥がれない場合は、歯も使います。


箕に使うのは、皮の部分のみ。


樹皮を剥いだあとのフジの枝は、きれいに束ねて人目につく場所に置いておきます。

不思議に思って尋ねてみると、乾いたフジは良く燃えるので、薪ストーブの焚きつけにとても重宝するのだそう。山の中で採取した場合は自然に還すけれど、里では近くに住む人に利用してもらいたい という考えからだそうで、地域の人とのつながりを大切にしている田口さんならではの心遣いだと思いました。

そして、今日は思ったより早く作業が終了したということで、ご褒美タイム! 急遽、山菜ツアーに案内いただきました。

山ウド、ホンナ、タラの芽、葉ワサビなどなど、短時間でこれだけの収穫!
手で持ちきれない山菜は、コウゾの木の皮を剥いでロープにして運びました。 本当に豊かな秋田の山の恵みたち。 (この後、田口さんの奥様が豪華な山菜料理を用意してくれました!)

次回の素材採取は、8月後半。
ヤマザクラの樹皮の採取に同行しますので、またこちらでレポートいたします。

秋田の太平箕 春の材料採り(イタヤカエデ)

しなやかな弾力をもち、白い木肌が美しい「太平箕(おいだらみ)」。

5月上旬、この太平箕の職人である秋田市の田口召平さんを訪ね、箕の材料採取に同行させてもらいました。

「かご」の場合、素材となる植物は1、2種類であることが普通ですが、「箕」の場合は、部位によって異なる素材を使い、たくみに組み合わせてつくるのが特徴です。

そのため当然に、複数の素材をそれぞれ別の時期に採取する必要があるわけで、箕の需要の低下とともに作り手の高齢化も目立ってきている現在、ぜひその採取現場を記録しておきたいと思っていました。

太平箕の場合、本体と縁巻きに使用するのは、しなやかで丈夫なイタヤカエデ、編み目の隙間を埋めるためのフジヅル、強度が必要な部分には山桜の樹皮を重ね、縁の芯材には耐久性のある根曲竹を使います。
また、用途や形、時期よっては、ヤマウルシ、シナ、シロヤナギ、サルナシ、モウソウチクなども採取します。

田口さんには、昨年何度かお邪魔させていただいた際に、次の一年間の採取する素材と時期を伺っており、今回は重要な素材の一つ「フジ」採りのシーズンに入るとのことで、同行させていただきました。

フジの場合は、樹皮と木質部の間に、水分が多く含まれる4月下旬から5月上旬くらいからが、採取のシーズン。この時期を過ぎると、うまく樹皮が剥がれてくれません。

また、同じく箕の重要な素材の一つ、「イタヤカエデ」の採取も、夏時期以外であれば可能ということで、今回あわせて見学することができたのでした。

この日はまず、イタヤカエデから。

長年山に入っていると、山の形をみるだけでおおよそ生えている樹木がわかってくるのだとか。イタヤカエデ好む場所に見当をつけたら目を凝らし、葉や幹の色合いで判断していきます。

新緑の季節なら、葉を縁取る赤い色合いが目印。そのような説明を受けてから山を見渡すと、遠くからでもどこに生えているのか見分けることができました。

この日に選んだのは、直径15センチほどの イタヤカエデ。陽が多く当たる南面に、苔のような地衣類がついているとよい材料である可能性が高いのだそう。

よい材の条件は、節が少なくできるだけまっすぐに生えているもの。数本が株となって生えているものを選んで切ってあげれば、木全体のダメージも少なくてすみます。

ちなみに、南面は樹皮の色が濃く北面は色が薄いので、例え道に迷っても木々を観察することができれば、方角を知ることができるとのことでした。

しかし、イタヤカエデの採取の難しさは、外目ではわからない内側の状態。ねじれがあれば、箕やカゴの材として使用できないが、それはたとえ名人でも中身を見ないことにはわからない。切ってみて中央に芯があれば、まっすぐ成長している良い材料となります。

いつもお邪魔している工房の中では、なかなか聞くことができない山仕事の話。この日は、聞けば聞くほど出てくる田口さんの山の知識に目からうろこの連続でした。

イタヤカエデの採取は、もともと場所の見当がついていたこともあり、 わずか1時間ほどで作業を終了することができました。

次は、フジの樹皮の採取に続きます。

田口召平さんの「太平箕」と「かご」

2017年も残りわずかとなりました。

今年を振りかえると、年始に富山・氷見の「藤箕」についての冊子製作に
関わらせていただいたり、この秋に開催された「箕サミット」参加に
声掛けいただいたり、「箕」の文化継承について考える機会の多い一年でした。

数百年分の知恵の結晶、ともいえる箕づくりの技を残すにはどうしたらよいのか?
いろいろな方とともに考える中で、秋田の太平黒沢地区で箕づくりを専業
としてきた最後の職人、田口召平さんにも出会うことができました。

太平黒沢の「太平箕(おいだらみ)」は、イタヤカエデにサクラの樹皮を
組み合わせた、国内でもっとも美しい箕のひとつではないかと思います。


その技は、秋田市の太平黒沢地区に、江戸時代の中頃から受け継がれてきました。
昭和20~30年代の最盛期を知る田口さんは、箕作りに必要な高い熟練の技と、
箕全般についての広く深い造詣をもった方です。


今回は、貴重な太平箕を製作いただくと同時に、田口さんご自身も箕づくりの
伝統を残すための手段のひとつと考え、いろいろな形を試作されてきたという
「かご」の数々も、あわせてゆずっていただきました。

箕作りの技を応用して作られたこれらのかごは、イタヤカエデと他の素材との
組み合わせが特徴的。縁部分には、サルナシやヤナギ、竹などの素材、本体には
山桜やシナの樹皮を組み合わせたものなどもありました。

イタヤカエデのかごの産地としては、同じ秋田県の角館が知られていますが、
素材の個性を活かした力強い作りは田口さんならでは。
中には、製作してから数年経過し、色合いが濃くなったものもありますが、
どれも味わい深く、独特の雰囲気があります。

今回写真を掲載しているこちらの「かご」については、ぜひみなさまの
ご意見ご感想もお聞かせいただければ幸いです。
直接、田口さんに報告させていただき、今後の取り組みについて
参考にしていければと思っています。

太平箕は、角館町のイタヤ箕とならんで「秋田のイタヤ箕製作技術」として、
国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、どちらにも次世代の後継者が
いないのが現状です。

「本気で習いたい人がいるなら、自分が知っていることはすべて伝えたい」
田口さんのこの言葉が、今も深く印象に残っています。
そして、後継者となる方が現れたときに、当店も何かしらお手伝いができるように
今後も関わっていきたいと考えています。

一年の終わりに、福をすくいとる縁起物としても愛されている箕。
今年のおわりに、この田口さんの箕とかごをご紹介できることをとても
うれしく思っています。

映画「ある精肉店のはなし」 北出精肉店さんを訪ねてきました!

北国のかごの作り手さんたちから、雪の便りが届くころとなりました。
ここ国立でも、駅前から続くイチョウ並木がちょうど紅葉の見ごろを迎えています。

早朝の大学通り

 

先週は、来月に当店で開催するイベントでの映画上映作品のひとつ「ある精肉店のはなし」の舞台、大阪・貝塚市に行ってきました。
 
この映画は、現在当店と一緒に竹細工の職人さんを取材してくれているドキュメンタリー映画の監督、纐纈(はなぶさ)あやさんの代表作のひとつ。2013年の11月29日(いい肉の日)に上映をスタートしてからこれまでの間、自主上映会が500回以上、映画館も60を超え、今も各地での上映が続いています。
 
その公開5年目への突入を記念して、先日11月19日に大阪市の人権博物館で上映会&リレートーク「話しのごちそう」が開催されると聞いて、まずはこちらのイベントに出席。その後、貝塚市に向かいます。

会場入口には牛の像が

 

映画の舞台は、子牛から育ててきた牛をと場で解体し、その肉をお客さまに手渡すまで、すべてを自分たちの手で行ってきた大阪・貝塚市の「北出精肉店」さん。
 
自分のルーツと仕事に誇りをもち、差別や偏見から目をそらさずに、まっすぐ向き合ってきた北出さんご一家の姿が、多くの方に感動を与えてきたのだと思います。
 

この日の来場者は、すでにこの作品を観たという方がほとんどで、中には10回以上観たという人も!僕自身も数回目でしたが、見るたびに着目する視点が変わり、あらたなことに気づかされます。

はじめてこの映画を観たときは、牛を解体する場面や、この土地で続いてきた歴史や文化に圧倒されましたが、今回は7代続いてきた北出一家の物語として映画を観ていました。「はじめはこの地域からはやく出ていきたかったけれど、ずっと父の背中を見て育ってきた中で、この仕事を受け継ぐことが自分の使命と思った」という新司さんの言葉が、とても印象に残りました。
 

上映後は、纐纈監督と、映画に登場する北出新司さん・昭さんご兄弟、写真家・本橋成一さんやと場の関係者、人権・部落解放運動に関わる地元の方々など、13名の登壇者によるリレートークが行われました。それぞれの立場の方々による内容の多様さと、随所にオチのある軽快な話(大阪ならでは?)で、あっという間の3時間でした。
 

その後は、北出新司さんのご長男が経営されている居酒屋「ブッチャー」さんで関係者による打ち上げ。もちろんお肉は、北出精肉店さんの目利きによるもの。ほんとうにおいしかったです!

新鮮なホルモンの鉄板焼

 

そして翌日は、北出さんご家族にお世話になり、映画に登場した各所を案内してもらったり、作品にまつわる色々なエピソードを直接聞かせてもらうことができました。

 店の前を通学するこどもたちを
毎朝、澄子さんが見守ります

 

新司さんの仕事も拝見

貝塚市営の屠場は、映画撮影の年(2012年)に閉鎖され、現在は子供たちが遊べる空き地になっています。

屠畜場の跡地
獣魂碑

当初は映画出演の依頼を受けるどうか、家族内でも、地域全体としても、とても悩んだそうですが、一年半に及ぶ撮影は、自分たち家族の仕事や生き方をあらためて見つめ直すきっかけとなり、それをきっかけに新たな活動が広がっていったそうです。

「人の意識を変えていくには、自分自身がまず変わらなくては。」という新司さんの言葉に、今の自分にとっても多くの学ぶ点がありました。

地元の小学生たちが見学にやってきていました。
お肉屋さんを案内する昭さん。

 

この二日間の訪問を通して、見て・聞いたたくさんのこと。来月の上映会では、少しでも現在の様子や北出家のみなさんのあたたかさをお伝えできたらと思っています!

千葉県匝瑳市「木積の箕」

こちらは二年前に訪問した、千葉県の匝瑳(そうさ)市の「木積地区の箕づくり」にお邪魔した時の模様です。

「木積箕づくり保存会」では、毎月第一土曜日に会員の皆さんが集まって作業をしてますが、一般の人も自由に体験、見学をすることができます。

この日は、箕の材料となる「フジ」と「シノダケ」を刈りに山に入ると聞いて、はじめて参加させていただきました。

まずはじめに感じたのは、みなさんとても楽しそうに和気あいあいな雰囲気であるということ。箕づくりの技術の習得を目的にしつつも、会員のみなさんが定期的に集まって、楽しく作業することを大切にしている印象をうけました。

まずは、フジの採取のため森の中へ。
木々に絡んでくねくねしたものではなく、できるだけまっすぐ長いものを探すのですが、これがなかなか見つからず。ベテランの方のあとをついて歩くのがやっとで、自分だけでみつけることはできませんでした。

採取できたフジはすぐに土の中へ。
しばらく寝かせることで、樹皮や芯を取り出しやすくするのが目的ですが、たまにどこに埋めたかわからなくなってしまうことも。
この日も、スコップで土を掘り起こしていたところ、以前埋めたと思われるフジが数本発掘され、みんな大笑いしていました。

お昼休憩の後は、篠竹の採取へ。

道路沿いの斜面に群生している場所を見つけ、切り出す人、運び出す人、結束して車に乗せる人など、それぞれ分業で作業を行い、みるみるトラックの荷台がいっぱいになりました。

作業場まで運び入れると、すぐに竹を割って天日干しします。竹を割る作業はやはりなかなかうまくいかず、いくつかの材料を無駄にしてしまったのですが、そんなの当たり前という雰囲気で、なんでも体験させていたけたのがうれしかったです。

笹の皮を採る作業
割いた竹は、縛って立てておくことで
乾燥がはやまります。

ここまでの今日一日の作業時間は約6時間。思ったよりもあっという間の楽しい時間でした!

今回は材料を準備するまでの作業でしたが、早い人だと3か月程度で一枚の箕を仕上げることができるのだそうです。

木積地区の箕づくりも、国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、他の箕の産地と同様、需要の低下や価格の問題、一枚の箕を製作するのにたいへんな労力がかかるなど、多くの課題がありました。昭和の最盛期には、年間12万枚が出荷されていましたが、現在はわずか数十枚ほどの生産量の状況です。

しかし、参加されているみなさんの姿を見ていると、技術の継承を目的にしているだけではなく、地域内外の人の交流や地域文化全体を盛り上げる一つのツールとして「箕づくり」を捉えているような印象を受けました

埋めた場所を忘れないためのマーク

これまで何度か参加していたことのある知人が話していた「居心地がいい」という言葉の意味がよくわかる訪問でした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました!

富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」

先日、東京文化財研究所で行われた「箕サミット」では、富山県氷見市で「藤箕」づくりを行っている坂口忠範さんも実演されていました!

お会いするのは、約一年ぶり。ちょうど昨年末、富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」づくりを紹介する冊子づくりのために、現地を訪ねてきました。

「藤箕のなやみ」となづけた小冊子

そのとき、取材のためにお世話になったのが「藤箕づくり技術保存会」の会長である坂口忠範さんでした。
材料採りから素材の加工、箕の完成までを見学するため、坂口さんを二日間を追いかけ、すべての行程を見学させていただきました。

藤箕の里、熊無・論田地区の棚田

「藤箕」の産地となる論田・熊無は、氷見市の西部に位置し、 石川県との県境に位置する二つの集落です。この地での箕づくりは、室町時代から600年以上続いてきた長い歴史をもちます。

2012年にその技術的な価値が認められ、国の「重要無形民族文化財」に指定されますが、その当時箕づくりを行っていたのはわずか数軒のみ。
70~90歳代の作り手が中心で、新たな後継者もあらわれない現状から、うれしいニュースであると同時に、今後の存続に対する責任の重さも感じたそうです。

「藤箕」の名は、フジヅル(藤の蔓)を挟み織っていることに由来。フジの強い繊維を使用することから、軽量で耐久性に優れています。

持ち手部分には、ニセアカシア(またはヤマウルシ)を用い、叩いて柔らかくしたフジとタケ(矢竹)を組み合わせたものが「平箕」とよばれる本体部分となります。また、口先の部分が割れるのを防ぐため、ヤマザクラの樹皮を補強に使います。

まずは、この4つの素材を山から採取することが、とてもたいへんな作業になりますが、この地域での箕づくりはすべて工程を一人で行うのが基本。分業は作業の効率化や専門性を活かすことができますが、一名でもかけてしまうと箕づくりができなくなってしまうことから、古くから一戸ごとの生産を行ってきたということです。

坂口さんは会長になられたのは、一年ほど前から。
そのきっかけを伺ってみると、この地域で藤箕づくりができる作り手さんが、いよいよ80代~90年歳代のご高齢となり、他に箕づくりができそうな後継者がいないか探していたところ、声を掛けられたのが坂口さんでした。

実際に坂口さんが箕づくりを体験していたのは、今から50年以上も前のこと。外で働きはじめる前に家業を手伝っていた10代の頃でした。
再び藤箕づくりに挑戦してみたところ、なんとまだその作り方を身体が覚えていたのそうです。

「本当は、藤箕づくりが大好きなわけじゃない。箕づくり以外のこともしたいけれど、この土地で600年の歴史がある箕づくりの伝統を次の代につなげられるまで、それまでなんとか会長の仕事をやるしかない。」と語ってくれました。

そして、もう一つの大きな問題は「使い手」の減少です。

農家さんの減少や農業の機械化などにより、需要は激減してきています。
昭和のはじめから30年代後半まで、年間10万枚近い数を産出してきましたが、現在、実用として必要とされているのはわずか100枚程度。
そのほとんどの注文は、地元からによるものではなく、北海道のジャガイモ農家さん向けにつくられているというのが実情です。

そこで取材を終えた後、坂口さんにお願いをしました。
昔ながらの農具としての存在に、藤箕の本来の価値と魅力があるのだと思いますが、その技術を存続するためにも、現代の暮らしに取り込めそうな新しいものづくりを、今後の活動の一部に取り入れてもらうことができないか、相談させていただいたのでした。

お願いしたのは、箕の形をアレンジした「かご」の製作。その数週間後、なんとか試作品ができたよとの連絡がありました。

お店のカウンターで使っています。

想像以上の出来栄えに驚きつつ、試行錯誤してがんばってくださっている坂口さんの姿が浮かんできました。まだ量産できる状況ではありませんが、できるだけお客様にも見ていただきながら感想をあつめ、完成品に近づけられたらと思っています。

訪問した記事を担当させていただきました

今の暮らしにあうように変えすぎてしまっては、箕ではなくなってしまうし、でもそのままでは存続していくのはむずかしい。そのバランス感覚が難しいところですが、これまでの伝統的な箕づくりとともに、これからの将来につながる可能性の一つとして、今後も取り組みを続けていきたいと思っています。

秋田県秋田市太平黒沢の「太平箕」

しばらく前の話となりますが、先日、秋田県・秋田市、太平黒沢の「太平箕(おいだらみ)」の職人、田口召平さんを訪ねました。

イタヤカエデの若木を割いて、フジヅルと組み合わせて編み、枠に根曲竹を使ったこの地域特有の「箕」は、白い木肌がうつくしく、どこか女性的な雰囲気を漂わせています。

日本各地にあるさまざまな素材を使った箕の中でも、もっとも美しい箕の一つなのではないかと思います。

機能の面では、弾力性と丈夫さを兼ね備え、水漏れもしにくいなど素材の特性をうまく活かしたつくりとなっており、当時は「馬が乗っても壊れない」といわれていたそうです。

 10年以上前につくられたという太平箕。
経年による色の変化に加え、光沢が増していました。

 

かつてこの太平と周辺の集落では、ほとんどの人が箕づくりに携わっており、村の名前を冠した「太平箕」とよばれて、幅広い地域に出荷されていました。

昭和30〜40年代に、生産数のピークを迎えます。最盛期には、70人以上の職人たちが、年間5〜7万枚もの数を生産。しかし、以降は農業の機械化やプラスチック製品の台頭により、需要が激減してしまいます。

そして現在、専業の職人として活躍しているのは 田口召平さんお一人のみ。昭和12年生まれ、現在80歳の御年です。

箕の作り手ならではの視点で描かれたスケッチ

 

田口さんはご自身の箕づくりに加えて、日本各地の箕の産地を訪れそれらの特徴をスケッチに詳細に記録。60枚以上の箕も収集されており、その知識の深さも貴重な財産だと思いました。

うつくしい道具入れは、イタヤカエデで編んだもの。
刃物の柄やハサミのカバーは、箕の素材の一つでもある桜の樹皮で自作されていました。
 

とても気さくで、終始おだやかな笑顔で たくさんのお話を聞かせてくれた田口さんですが、後継者がいないことを大変残念に感じておられました。

「本気で習いたい人が現れてくれたら、自分の技と知識を伝えたい」と最後に話してくれた一言が、とても印象に残る訪問となりました。

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その3)

いよいよ工房内での縄飾りづくりの作業に移ります。
 

青わらを必要な長さに切断してからは、本当に瞬く間の作業の連続でした。

手も足も、全身を使いながら、わら細工のかたちがつくられていくその過程は写真でご覧ください。
 

 
 

徐々に縄細工のかたちが現れ、、、完成したのは『祝酉(いわいどり)』。
「幸福をトリこむ」という語呂合わせで縁起のよい、たくぼさん定番の縄飾りです。

そして今回、当店用にひと手間加えていただいた特別仕様を製作いただけることに。
なんと「カゴアミトリ」と名付けていただきました!
まもなく当店での販売を予定していますので、ぜひご期待ください。

 
 

今回の訪問を通して、かつての身近な道具として「縄細工」に親しみをもっていたけれど、実はその背景をほとんど知らなかったことを
あらためて気づきました。
 

もともと農家さんの「副業」で続いてきた伝統が、このままでは続けられなくなってきている現代の状況。ならば、自分が「専業」の職人となることで、時代の流れの変化にも対応し、この伝統を継いでいこうと決意した甲斐さんの気持ちががすこし分かったような気がしました。
 

わら細工も、かごづくりも、自然と寄り添いながら続いてきた基本的な暮らしの営みの一つ。今はその重要性が薄くなりつつありますが、だからといって途絶えてしまってはあまりにもったいない。単に道具や技術だけではなく、人と自然の関係や、地域の人と人とのつながりも一緒に消えていってしまうのではないかと思います。
 

手仕事とは、これまで何世代にもわたって積み重ねられてきたひとの知恵の結晶、いつかその損失の大きさに気づく時代が来ないとは限りません。
 
「わら細工 たくぼ」甲斐陽一郎さんの仕事。ぜひあらためて、実店舗での企画展という形で実現できればと思っています。ご期待いただければ幸いです。
 
 

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その2)

続いて、実際の作業を見学させていただくことに。
 

「わら細工づくりの1から100までの作業を一通り見せてほしい!」という無理なお願いをしてしまったのですが、甲斐さんは終始笑顔で対応してくれました。本当にありがとうございます!

害虫によって色が変わってしまった稲わら

 

わら細工に適しているのは、背の高い品種のお米。しかし、台風など風雨の影響を受けやすく倒れてしまう可能性があるため、リスク分散のために、時期をずらして数種の品種を育てているそうです。
 

収穫あとは、すぐに乾燥させなければならないので、いつも天気予報とにらめっこ。雨が多かった今年はきっと、胃が痛くなる日も多かったのではないかと思います。
 

まず見学したのは、収穫後に乾燥させた稲らを「選別」する作業。想像どおりではあったのですが、昔ながらの簡素な道具のみを使い、人の手だけを使った作業の繰り返しに、なんだかとても感動してしまいました。

日本のわら細工の将来を担う20代&30代コンビ!

 

短かったり、折れていたり、割れがあったり。わら細工に使用できる稲わらの量は、全体の半分程度しかありません。そして使えないわらも、そのままゴミとして捨てず、毎日近くの牧場に無償で届け、牛たちのエサにしてもらっているのだそう。
 

わざわざ運び届ける手間はかかりますが、資源としての稲わらを地域内で循環させることも、甲斐さんが大切にされていることの一つ。
 

必要とする周囲の人たちと積極的につながるその考え方や取り組みの姿勢は、国内各地で失われつつあるわら細工の文化を継承するための、
モデルケースになるのではないかと思いました。
 

青々とした美しい色と、すがすがしい芳香をもつ「青藁」は、お米が実る前に刈り取った「青刈り」のもの。青刈りをしてしまうとお米は収穫ができないため、今も昔も大変貴重な素材ですが、それにもまさる青い神聖な雰囲気を昔の人も感じていたことでしょう。(通常の黄色い藁は、秋にお米をとったあとに収穫したもの。青藁よりも強度に優れています)
 

選別したわらを使って縄づくりをはじめる前に、二つの作業がありました。
 

全体に水をかけて湿らせること。

 

続いて、湿ったわらを束にしてから、しなやかさを出すためのなめし作業を繰り返します。

これで縄細工づくりの下準備がようやく完了。いよいよ工房での作業へ移ります!
(続きは「こちら」)

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その1)

季節外れの上陸となった台風21号。日本各地に深刻な被害をもたらしたことと思います。
 

当店でも、スウェーデンより来日中のブロールさんをお招きし、ワークショップ開催を予定していたのですが、台風が通過する当日のクラスは、残念ながら中止とさせていただきました。
 

そして、こちらも心配だったのが、先月末に訪問させていただいた宮崎・高千穂郷「わら細工 たくぼ」さんの田んぼのこと。

台風直後に送っていただいた写真は、このような状況。。。
この秋の天候不順と台風により、今年収穫できる量にかなり影響が出てしまうのではとのことでした。
 

ホッとしたのも束の間、、、今週末には続いて22号が上陸する恐れが。
今日はこれからその対策に奔走する予定だそう。
天候や、常に変化する自然と直に関わる仕事の大変さを感じています。
 
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
 
「わら細工 たくぼ」さんは、創業60年。
代々、農閑期の副業として、その技術を受け継いできましたが、数年前に家業を継いで三代目となった甲斐陽一郎さんは、「みんなで米をつくって、みんなでわら細工を続けていくこと」を目標に、専業の職人として活動をスタートしました。
 

一年間で必要とする稲わらは、田んぼを耕すところからはじまり、すべて自分たちで手をかけて栽培されていました。
 

宮崎県の北部に位置する高千穂郷は、うつくしい棚田の景観が残る自然豊かな地域。2015年には、世界農業遺産にも指定された地域です。

斜面を利用した美しい棚田が並びます

 

高千穂峡

 

高千穂神社

 

そして「天の岩戸」の物語の舞台とも言われる日本神話ゆかりの地で、古い神々を祭った神社や神楽など、独自の伝統が受けつがれています。この地だからこそ伝わってきた重要な手仕事に「注連縄(しめなわ)」
があります。

 

丹精こめたうつくしい注連縄作りで、地元でもたいへん頼りにされているたくぼさんでは、家庭用のお飾りから、神社の鳥居用、拝殿用の大きな縄まであらゆる注連縄や縄飾りを手がけていらっしゃいました。
 

高千穂郷では、しめ縄飾りをお正月に限らず、一年中飾るのが一般的なのだそうです。縁起ものとして、古来から家々を見守ってきた伝統の縄飾りづくりを見学させていただきました。

 

続いて、当店用に手掛けてくれた「しめ縄飾り」の作業をレポートしたいと思います!
つづきは「こちら
  

ペリゴールのかご「ブイリクー」を訪ねて

作り手のフィリップさんにお会いするため、この夏ペリゴール地方に足を運んできました。

フランス南西部に位置するペリゴール地方は、多くの自然が残る美しい地域。フォアグラ、ワイン、それからセップ茸が採れることでも知られた美食の地でもあります。

郊外に広がるブドウ畑

そのペリゴール地方に伝わるのが、フランス南部の方言で「Bouirycou」(ブイリクー)と呼ばれるかご。

 

ヨーロッパの一般的なかごの作りとはまったく異なる、独特の技法と構造が特徴です。

どこからどう伝わったのかは不明だそうですが、1900年代の初頭にはすでにこの地域でひろく使われていて、150人以上もの作り手がいた時期もあったそう!

農作物の収穫や運搬に欠かせない道具として使われたほか、家庭では洗濯かごや、食器の収納用に。マルシェでの買い出しにも、お店やさんの店先でも、これ以外のかごを見かけることはないくらい、身近に使われていたそうです。

地元のマルシェをのぞいたら、やっぱりありました!
 

製作をおねがいしているフィリップさんの工房にお邪魔してきました。

 
晴れの日は、広々とした中庭が仕事場。
 

ブドウ農園を営む両親のもとで、かごに囲まれて育ったフィリップさんにとっても、ブイリクーは幼いころの思い出の欠かせない一部。

その技を継承する人がいないことを残念に思い、ならば自分が、と40歳を過ぎてからかご作りの仕事を始めたそうです。

作り始めたとき、地元の作り手たちはすでにみな高齢で、直接教えてもらうことはできず、実物のかごを見ながらひとりで学ぶしかありませんでした。技術書や資料などもないため、習得までにはとても時間がかかったよ、と話してくださいました。

<ブイリクーを作る>

素材のヤナギは、収穫ののち半年以上は干して、芯までしっかりと乾燥させます。

ブイリクーは普通、皮付きの枝で編みますが、今回は特別に表皮をむいた白い枝をつかったかごをお願いしました。皮をむくための機械はあるものの、半分は手作業。かなりの時間と手間を要する工程です。

編む工程を最初から見せていただきました。真ん中からスタートして、渦巻き状に編んでいきます。

一目編むたびに、毎度ひっくり返して、裏側からもかならず編み目をチェックされていたのには驚きました。

仕上げの縁の部分は、3重にまくのがフィリップさん流。

枝の次ぎ方、切り方などなど、美しく仕上げるための細かな工夫が随所にこらされていることがよくわかりました。

時代は変わり、今、伝統的な技を受け継ぎこの地で製作を行っている作り手はフィリップさんを含め数人ほどに。

とはいえ、フランスでは今も広く知られ、愛用者も多いペリゴールのかご。
日本の皆さまにも愛されるかごとして、これからも作られ続けていくことを願っています!

 

「チプサンケ」開催中の二風谷に訪問しました

北海道の旅では、沙流郡日高町の二風谷に数日滞在しました。
期間中は、アイヌの人々による年に一度の儀式「チプサンケ(舟おろし)」 
が行われていて、川下りやものづくり体験などを楽しみました。
宿泊させていただいたのは「平取アイヌ文化保存会の事務局長」
を務める貝澤耕一さんが所有するログハウス。滞在中は、
「二風谷ダム建設差し止め訴訟」の原告の一人でもあった貝澤さんの
これまでの活動について、お話を聞くことができました。

沙流川流域のアイヌ民族の風習や文化、その歴史とともに、
ダムの建設後もなおその影響を受けながら暮らしている現状を、
スライドを交えわかりやすく説明していただきました。

貝澤さんはまた、開拓と開発で荒れてしまった自然を本来の姿に
戻そうと、山林を買い取って森を育てる
「ナショナルトラスト・チコロナイ(わたしたちの沢)」の活動も
されており、自然の再生についても学ぶものがありました。

アイヌの人々を公の場で初めて先住民族と認め、独自の文化への配慮を
欠いた事業認定を違法とした「二風谷ダム訴訟」の札幌地裁判決から
今年で20年。1997年に下された「ダムは違憲」との判決にも関わらず、
その本体がすでに完成していたことを理由に、翌98年から運用が
開始されました。

貝澤さんのご自宅は、ダムからわずか数百メートルの場所。
その姿をいつもどのような気持ちで見つめているのか、想像することは
容易ではありません。

しかし、わずか20年のうちに、ダムの総貯水容量の4割近くが土砂で
埋まってしまいました。なんと100年で堆積する予定の2倍以上の土砂が、
10年たらずで堆積していたことが判明し、たまった泥による濁りは
河口の日高町にまで達し、特産品であるシシャモの繁殖にも大きな影響を
与えているそうです。
にもかかわらず、二風谷ダムのさらに上流では、現在も「平取ダム」
の建設が進行しています。

ダムの工事が始まったのは1973年。他のダム建設地と同様、ニ風谷でも
多くの住民が土地を手放す選択をしたそうですが、その理由は補償金や
住民間の分裂だけではなく、その歴史的背景や差別による
アイデンティティーの喪失などもあったのではないかと思いました。

その歴史についてのお話を聞いている間、年に数度足を運んでいる
沖縄のことが、頭に浮かんできました。その土地に長く暮らしてきた
人たちの意に反する国策や人権侵害、自然環境の破壊に対する、
静かで根気づよい戦い。平和的な解決をのぞむ姿が重なって見えました。
また、アイヌ民族と遺伝子的にもっとも近いのは琉球民族であると
聞いたことがありますが、その表情や助け合いの精神、自然を敬う
暮らし方という点でも、共通するものが多くあるように感じます。

そして、これらの問題の根本には、自分も含めた多くの人の無知、
関心の無さがあるような気がしてなりません。

アイヌの人々は、すべての事物には神が宿ると信じ、特に多くの恵みを
もたらしてくれる植物や動物などを「カムイ」として敬ってきました。
そこには、生きるために必要なものを必要なだけ、自然からいただいて
暮らしてきた、すべての生き物との共存の姿があります。
それは次世代の人々の生活環境を守り、伝統的な暮らしを維持するための、
唯一無二の手段でもあるのかもしれません。私たちの今の暮らしの
あり方にこそ、こうした生き方から学ぶものがとても多いように感じます。

今回、わずかな期間ながら見聞きしたものをできるだけ多くの方に
知ってもらい、ぜひ現地を訪ねてほしいという思いから、こちらに
投稿させていただきました。

最後になりましたが、今回の訪問を受け入れてくださった貝澤家と
二風谷の皆様、滞在中ご一緒いただいたみなさまにお礼申し上げます。

カゴアミドリ 伊藤征一郎

スペイン 栗のかごの産地へ(後編)

スペイン伝統の、栗のかごを製作しているダビドさんの工房にお邪魔してきました。

さっそく、工房の前に栗の枝が気持ちよさそうに天日干しされているのを発見!

枝は、伐採された後すぐに大きな釜を使ってボイルし、表皮をはがして4つ割にしたあと、数か月間干して完全に乾燥させます。

しっかりと乾燥させたら、2種類の機械をつかって、うすい板状に加工していきます。

 

機械が導入されたのは比較的最近のことで、それまでは鉈(なた)を使ってすべてが手作業で行われていたそう。
とはいえ、両側に人が立って操作するこの作業も、半分以上が手仕事といえそうです。

これで下準備が完了。
板状に加工した素材は、長期間にわたって保管することができます。
つづけて、かご作りの過程を拝見しました。

編みはじめは、底部分から

 

ダビドさんがかご作りに使う道具は、この大きくカーブした鉈のみ。
おじいさん、お父さんと代々受け継がれ、使い込まれて渋い光を放っていました
作業は流れるように進んでいきます
道具のひとつひとつから、歴史が伝わってくるよう
完成しました!

 
周囲を山に囲まれたダビドさんの村では、古くから栗の木をさまざまに生かして、暮らしが営まれてきました。かご作りはダビドさんの家に代々伝えられてきた家業で、ダビドさん自身は、少なくとも4代目になるとのこと。

今もスペインの人びとに愛されて続けているこの栗のかごを、次の世代に伝えていきたいと語ってくださいました。

八百屋さんの店頭で見かけた、

山盛りのクルミを入れた大きなかご
こちらは別の食料品店

 

教会の入り口でも、
さりげなく使われていました
→「スペイン 栗のかごの産地へ」(前編)は こちら

 

スペイン 栗のかごの産地へ(前編)

今回の旅では、スペインまで足を伸ばし、いつも栗のかごを作ってくださっているダビドさんも訪ねてきました。

スペインの西部、中世の雰囲気が残る都市サラマンカから、バスに揺られてさらに数時間、緑豊かな山々の谷あいに、その小さな村はあります。

山の上から集落を一望

乾燥地帯の多いスペインの中にあって、瑞々しい広葉樹の森に恵まれたこの地域は、古くから「栗のかご」の名産地として知られてきました。

ダビドさんと合流し、まずは早速、材料となる栗の木を見に森へと向かいました。

このあと急斜面のやぶを登っていきます

 

森の中なのに明るい!というのが第一印象でした。

森がこんなにも明るくさわやかなのは、日当りを確保するために、また若い幹がまっすぐ伸びていくように、葉や枝の一部を払うなど、こまめな手入れをおこなっているから。

こうして村の人たちが手入れを続けてきた天然の栗林は、落ち葉が栄養になるため、特に肥料など施さなくても土壌が保たれ、100年以上にわたって、材料を採りつつ維持されてきたそうです。

自然のサイクルに沿ったものづくりが、今もそのままの形で続いていること。それはこの時代にあって、本当に貴重なことですが、この土地ではごく当然に、最良の方法として、人びとに受け止められているのだなと感じました。

伐採は、水分が抜けて乾燥する冬時期に行います。
樹齢4~5年、直径7~8センチほどに育った若い幹が、柔軟性の高いかご作りに最も適した素材となります。

足元をよくみると、ごつごつと大きな根株が。
一本の株から、毎年何本もの芽が伸び、
繰り返し恵みを与えてくれます。

つぎはいよいよ、ダビドさんの工房にお邪魔します!

→後編はこちら

フランソワさんの工房にお邪魔しました

この夏、いつもお世話になっているフランソワさんなど、
フランス国内で活動している職人さんの工房にお邪魔して
お話を伺ってきました。

フランソワさん一家が暮らしているのは、フランス南西部、
アキテーヌ地方の豊かな自然の中。

自宅と、工房、倉庫、そして広い敷地の中には、みずからの手で
育てているヤナギの畑が広がっていました。

かご作りの仕事には、多くの知識と経験、手間と時間が必要ですが、
フランソワさんの場合はさらに、材料の栽培にも多くの情熱を
注いでいることを、今回の訪問で実感することができました。

できるだけ自然の循環を大切にしたいという思いから、肥料も自家製の
ものを使用するなど、健康的な畑づくりにこだわっています。

倉庫にストックされ乾燥中の、色とりどりのヤナギたち。

いよいよ作業が始まりました!

かごを実際に作る上で大切にしているのは?と問いかけてみると、
シンプルなデザイン、そして伝統的な形をベースにしつつも、より使いやすく
バランスのよい形を常に探すこと、だと答えてくださいました。

手製の木型や、使い込んだ道具も とても絵になります。

きれいに仕上がっているかごも、フランソワさんから見ると
「完璧とは言えない」こともあるそう。作り手にしか分からない
さまざまな心くばりが、独特の端正さをそなえたかごを
生み出しているのだと感じました。

この日完成したかご。

もともとは環境エンジニアリングの専門家としてコンサルタントの仕事を
していたフランソワさん。
かごとの出会いは、1999年のことだったそうです。

この年の終わり、台風のような低気圧がフランスをおそい、川の増水や
倒木など、各地に大きな被害が出ました。
嵐が去ったあと、地面に散乱していた木の枝をひろって、なにげなく作って
みたのがひとつのバスケットでした。

このちょっとした遊びがきっかけとなり、その後急速に、かご作りの世界へと
引き込まれていくことになったのだそうです。

家の中のそこここに素敵なかごが。

自然に負荷をかけない天然素材を生かせること、自立した環境で仕事に
打ち込めること、3人のお子さんとともに家族で過ごせる時間が取れるように
なったことも、かご作りを仕事とすることの魅力だと語ってくれました。

このような環境の中で、ひとつひとつの手作業によってうみだされる
フランソワさんのかご。このたび再入荷しましたので、
ぜひご覧ください >

福島・小名浜のかご『万漁カゴ 取材記 vol.1』

今週は、福島県のいわき市にやってきました!

こちらは、沿岸部の再開発が急速に進み、火力発電用の石炭を運ぶ
タンカーが行き交う小名浜の眺め。
小名浜港は、県最大の漁獲高を誇る大きな港でしたが、震災以降は
試験操業の状態が続いています。

かつて、この港に水揚げされた大量のサンマやカツオを運搬するのに
活躍した竹籠、『万漁カゴ』が不可欠だった時代がありました。

現在、この大きく頑丈な竹籠をつくれるのは、港の近くに住んでいる
一人の職人さんのみ。二代目の竹細工職人として60年以上にわたり
活躍している 西山昭一さん です。

これまでもその仕事ぶりを見せてもらいに何度かお邪魔してきましたが、
今回はあらためて「映像」として記録に残すことを目的に伺いました。

今まで何度となく見ていたはずの手の動きも、記録することを意識して
見ると、全く異なって見えます。
そして、竹を割ったり、削ったり、編んでいるときに聞こえる
リズムを刻むような「音」の存在も、今回はじめて意識しました。

無駄のない仕事ぶりから生まれる、心地よいリズム。
手と足の裏を使い「せん」という道具で竹を削る音。
縁を巻くとき、ギュッと力をいれたときの音。
この数年間、当店が扱っているかごの中で、50年先まで続くものは
どれだけあるのだろうと、いつも考えてきました。

そして、かごを販売する店として、産地の現状を知り、関心あるかたに
伝えていくことに加えて、なにか形として「記録」に残していくことも、
役割の一つかもしれないと思うようになりました。

完成したばかりの万漁かごからは、乾くまでの間、
「パチパチ」とちいさな可愛い音が聞こえてきました。

今回は二日間の取材で、かごづくりの工程の撮影が終了しました。
次回は、竹を採取するのに最適な時期に伺って、よい素材の選び方など
竹林での仕事を取材させていただく予定です。

西山昭一さんによる『 万漁カゴ 』の映像の記録は、来年春ころの
完成を目標に準備をすすめています。
どうぞご期待ください!

伊藤

やまぶどう樹皮採取シーズン到来!

こんにちは。
こちら東京では、梅雨らしい天気が続くようになりました。

蒸し暑く、何かと過ごしにくい時期のはじまりですが、樹皮を
素材とするかごの作り手さんたちにとっては、本格的な材料採取
のシーズン! 特に、ヤマブドウの樹皮がきれいにはがれるのは、
木々がぐんぐんと水を吸い上げるこの梅雨時期だけです。

先日は、日頃お世話になっている作り手さんとともに、ヤマブドウ
樹皮を採取するため、新潟の山に行ってきました。

当日、向かったのは標高1000メートルほどの山。
この周辺では、この時期「ブユ」が多く発生すると聞いていたので、
かつて何十か所も刺されたことのある僕は、恐れおののいていたのですが、
首元には手拭いを巻き、顔はほっかむりをするなど備えていたことと、
気温が15度ほどと低かったこともあって、ほとんど刺されずにすみました。

でも当日は、山に入るなりスズメバチの威嚇を受けたり、マムシやクマも
多く生息している場所らしいので、たくさんの危険が潜んでいることを
あらためて実感したのでした。

明るい「キミドリ色」の葉っぱがヤマブドウ。
その下に目を凝らすと、蔓が下がっているのがわかります。

まずは、ヤマブドウの蔓を探し山を歩いていく訳ですが、ほとんどの場合、
幹や枝に絡みあって成長しているものばかり。節やねじれが多くあるため、
かごの材料に適しているものは、なかなかみつかりません。

しっかりと成長して、太さがあるもの、まっすぐ伸びているものは、
数十本に数本程度しかありませんでした。

 

今回、蔓を採取するために活躍したのは、先端に鎌を取り付けた長い竹竿。
(つい数年前までは、一番高いところまで木に登って採っていたんだそう!)
6メートル近い竿を持ち上げ、手を伸ばせば8メートルの高さの蔓に
手が届くようになります。

ヘルメットは必須アイテム。
 切った蔓が自分に向かって落ちてこないよう
角度も計算に入れておかないといけません。
 

しかし、ゆらゆら揺れる竿先の操作はとてもたいへん!

 
蔓を一度で切断するためには、鎌の刃の微妙な角度調整が必要です。
失敗して何度かやり直すだけで大粒の汗が落ち、体力が消耗します。
 

採取した蔓は、節間や枝ごと、ねじれがあるところなどを分けて
切断していきます。

この時期、水をたくさん吸っている蔓からは、すぐに水がしたたり
おちてきます。先人たちは山で水に困ったとき、ブドウ蔓や白樺を
利用するといった話を何度か聞いたことがありました。
(すこし舐めてみましたが、無味無臭でした。)

続いて、すぐに樹皮を剥がします。まっすぐ伸びた蔓はきれいに
剥がれますが、節やこぶが多い個所、水分が循環していない箇所は、
なかなかうまく剥がれてくれませんでした。

今回は約3時間で、3本の蔓を採取することができました。
とはいっても、この日のために、事前に下調べをしてもらっていたそうで、
車からもさほど離れず、一番いい場所を案内してくれたのでした。

これまで、蔓採取の条件のひとつとして、適度に人の手が入った杉や
松林がよいと聞いてはいましたが、今回その理由がよくわかりました。

杉は、高くまっすぐに伸びるのに加え、人の手で下草が刈られ、
枝打ちもおこなれているので、杉に巻き付いたヤマブドウも一緒に
上へ上へとまっすぐに成長し、くせのないきれいな樹皮が採れます。

これに対し、鬱蒼とした手つかずの山や広葉樹の森の場合だと、
蔓はいろいろな場所に絡みながら、曲がったり枝分かれしながら
伸びていきます。本来のヤマブドウは、こうしたワイルドな見た目の
曲がりくねった植物であるわけですが、まっすぐなものが好まれる
市場向きとはいえません。

近年、ヤマブドウが採りにくくなってきていることは、いたるところで
耳にしますが、決して山に生育していない訳ではないと思います。

人の暮らしが山から離れてしまったことにより、山に入りにくくなって
いることや、木材としての杉の価値の低下から人の手が加わっていない
山林が増えたこと、地域によってはかごの作り手など蔓を採る人が
増えすぎている現状も、大きく影響しているのではないかと感じました。

今回僕を連れていってくれた方にそのような話をしてみたところ、
自分も同じように感じている、とおっしゃっていました。

その方は、子供のころから、林業に携わるお父さんに連れられ、山が
いつも身近な遊び場だったそう。大人になってからは、本格的な登山や
山スキーを楽しんだりと、僕自身の自然や山との向き合い方に重なる点も
多く、共感する部分をたくさん感じられた貴重な機会でもありました。

 

そして、何度か話してくれた言葉が、とても印象に残りました。

ヤマブドウの蔓が大きく成長するには何十年という時間がかかり、
一度採取してしまうと、自分が生きている間に再生することはない。
その蔓のいのちをいただくわけなので、とにかく丈夫につくること、
できるだけきれいに籠に仕上げることを、いつも意識するようにしている。
そうすることで、採られなければ山で生きたであろう時間と同じくらい、
長く愛用してもらえる可能性があるから。

 

その夜は、自力で建てたという山小屋に宿泊させていただきました。
お酒を飲みながらおこしてくれたくれた焚火には、山からわざわざ
降ろしてきたヤマブドウやクルミの木をくべていて、すべて無駄なく
使い切ることを実践されていることを知りました。

この採取した材料を使ったかごが完成するのは、おそらく秋以降。
今回、山で一緒に過ごした経験を通じて、この方のかごを紹介
できることを、より一層うれしく思うようになったのでした。

伊藤征一郎

氷見に伝わる三尾の「そうけ」

昨年の12月、富山県氷見市三尾に伝わる「そうけ」の産地を訪ねました。

能登半島の付け根に位置する氷見市。

山間部の棚田からは、日本海を見下ろすことができ、
浜辺からは、海を挟んだ先に白い雪に覆われた
北アルプスの立山連峰を見渡すことができる、とてもうつくしい場所でした。

「そうけ」とは、この地方でよばれている笊のこと。

竹細工の産地として知られる「三尾」の集落は、富山県の西側の山間部、
石川県との県境にほど近い場所にありました。

三尾の隣に位置する「論田・熊田地区」の棚田から。
遠くに日本海と立山連峰が見渡せました。

もともとこの地域では耕地面積が少なく、農業での収入が多く見込めなかった
ため、そうけづくりは現金収入の大半を占めていたそうです。

高度成長期までの時代は、ほとんどの家庭でそうけづくりが行われて
いましたが、他の産地と同様、プラスチックや金物素材のざるの登場と
ともに その需要は大きく減少。
当時は、そうけづくりを中心に生計を立てていた人も多くいたと
思いますので、それまでの暮らしや働き方をおおきく変える必要が
あったことでしょう。現在はわずか1、2軒が残るのみといった状況です。

今回、お邪魔したのは、三尾の集落の中でも一番のベテランといわれる
ご夫妻の作業場。奥さまが、優しい笑顔で迎えてくれました。

ご主人は、この道なんと70年以上の大ベテラン。
一本の長い竹を鉈を使ってパチパチと割って、細い材料に整えていく
作業は力強くもありつつ、やさしく流れるような動きでした。

細かな作業は、長い柄のボンサマ鉈を使う
竹を割って材料を整えるのはご主人が行い、編む作業は奥さまの仕事。

この地域では、どの家庭でも夫婦で作業を分担するのが一般的だった
そうで、ストーブを囲みながら、おふたりで仲良く作業をされていました。

主に作っているのは、研いだ後のお米の水切り用に使う「米揚げそうけ」
とよばれるもの。

「箕」に似た、片口のデザインとなっているため、米や豆などの食材を
鍋に移すのにとても便利で、竹の種類は違えど、東北や九州などの
竹細工産地でもよく見られるかたちです。

最盛期には、富山・石川県をはじめ、新潟や長野からの需要にも対応し、
多くの家庭の台所の必需品でした。

素材は、近隣で採取するハチクが中心。
枠縁にはモウソウチクが使われる

細いひごができたあと、角を落とすための「面削機」を使う作業も
みせてくれました。その昔、地域の共同作業所で購入したものですが、
他に使う人がいなくなってしまったため、山下さんが持ち帰り
修理を続けながら使っているそうです。

最後に、縁部分に針金を巻いて出来上がった「米そうけ」は、
手当りもやさしく仕上がっていました。

そしてその価格は、地元の人にずっと使い続けてほしいという願いもあって、
ここ数十年の間、ほとんど変えていないそうです。

少なくとも、400年以上の歴史をもつ三尾の竹細工。
昔と変わらずそうけづくりを続けている、ご夫婦の暮らしをわずかながら
拝見することができて、とても印象に残る訪問となりました。

お別れの際、固く手を握って見送ってくれた奥さま。
歴史ある氷見の土地と人々が身近な場所になりました。
いつまでもお元気で。またお二人にお会いできることを楽しみにしています。

いとう

富山・氷見の国重要無形文化財 「藤箕」のこれから

「箕」とは、穀物をあおりふるって、中に混じった殻やごみをふるいわけるもの。

かつては様々な素材を使った独自の箕づくりが日本各地で行われていましたが、
農具としての需要の低下とともに急速に姿を消していきました。

この数日間、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている富山県・氷見市に伝わる
「藤箕(ふじみ)」の製作現場を訪ねてきました。

600年以上の歴史をもつ一大産地であったこの地でも、今後の技術の継承には
多くの課題がありました。

ご縁あってこのたび「藤箕の製作技術のこれから」について、私も一緒に
考えさせてもらう機会をいただきました。
氷見を中心に活動しているメンバーとともに、現状を取り巻く環境や、技術伝承の
むずかしさに悩みながらも、これからの取り組みや活動について発信していきます。

少しでも「箕」に関心のある方は、
【藤箕のなやみ -富山氷見 論田熊無の藤箕製作技術】
のフェイスブックページに「いいね!」をおねがいします!
https://goo.gl/bRYBAP

そして、今後のちいさな試みのひとつが、同じ問題を抱えている他の地域にとって、
モデルケースにつながるようなことがあればとてもうれしく思います。

カゴアミドリ 伊藤征一郎

栃木・鹿沼箒の工房を訪ねて

先週末、栃木の伝統工芸品「鹿沼箒」の職人である丸山早苗さんの
工房を訪ねてきました。

籠と箒。
素材や用途、技法は異なりますが、身近な植物を利用し、編む作業を加えて

道具に仕上げる点では、お互いに似た性格をもつ手仕事の道具と思います。

特に、丸山さんは鹿沼箒の製作だけではなく、通常サイズの箒としては
使用できない部位を、小さな箒づくりに利用したり、先代が創案したという
十二支をモチーフにした郷土玩具の「きびがら細工」を手掛けるなど、
貴重な素材を余すことなく使う、といった点でも工夫を重ねておられる方で、
いちど詳しいお話を聞いてみたいと思っていました。

蛤(はまぐり)型と飛び出した「みみ」部分が
鹿沼箒のおおきな特徴です

実際に話を伺ってみて、素材となる材料の確保や後継者不足などの
問題についても、カゴ作りと多くの共通点がありました。

きびがら細工は、鹿沼箒職人であった
故・青木行雄さんが昭和37年に創案。
丸山さんの祖父であり、師匠である方です。

今回伺った話の中でも、特に印象に残ったのは、
『 工芸士として繋ぐべきものは、技術や伝統だけではありません。
代々受け継いだ土地を、きれいな状態で次の代に残していくことがとても
大切だと思います 』、という言葉でした。

出産を経験してまもなく、先代のおじいさまの後継者となることを決意。
その後、子育てをしながら、職人としての修行を続ける暮らしの中で
東日本大震災を経験し、その思いはさらに強くなったそうです。

現在は、地元の信頼できる農家さんとともに、無農薬・無化学肥料による
箒草の栽培に取り組み、年に一度の収穫期には、放射線測定検査も
行っていました。

土地と工芸のつながりを大切にし、次の世代によりよい環境を残すため
の活動をまっすぐにすすめている丸山さんの姿は、同世代の子を持つ
自分自身にとっても、おおきな刺激になりました。
来夏は、栽培地も見学させていただく約束をして、工房をあとにしました。

丸山さんが毎年製作できる「鹿沼箒」の本数は、わずか15-20本ほど。
箒づくりに必要なやわらかくてコシがある素材は、毎年の収穫量によって
左右されるため、現在は受注生産のみ行っているそうです。

「きびがら細工」は、後日当店用にも製作いただけることとなりましたので、
またその時に詳細をご紹介できればと思っています。

そして、今後のきびがら工房・丸山早苗さんの活動にもぜひ注目ください!

いとう

児玉美重さんの「鉄鉢」

先週は、大分で児玉美重さんの工房を訪ねてきました。

ちいさな城下町、杵築市の古民家を改装した「竹工房 東雲」は、
別府より移り住んだ児玉さんの工房 兼、ギャラリーです。

今回は、来年の夏に予定している企画展の打ち合わせとともに、
児玉さんの得意とするカゴの一つ「鉄鉢」の作業工程を一から
拝見させてもらいました。

 
 
 

すべての作業に、繊細さが必要となる「鉄鉢」のかご。
工程の一部は、動画にも記録していますので、イベント期間中に
ご紹介できればと思っています。

ぜひご期待ください!

いとう

笹の採取に行ってきました

一週間ほど前の話ですが、笹の一種を素材としてかごづくりを
行っている作り手さんたちと、材料採りに行ってきました。

そこは、以前から目星をつけていたという岐阜県の山間部だった
のですが、残念ながら、ほとんど採ることができませんでした。
数か月前に、笹が開花したことによる「枯れ」が原因のようでした。

「開花」のニュースは、竹や笹と関わりのある人にとっては、
ちょっと心配な出来事。
竹類は、50年から100年以上の周期でまれに花を咲かせ、
実をつけた後は、一帯の竹が枯れてしまうため、その後しばらくの間
採取ができない時期が続くと言われています。

昭和40年前後に、国内の竹細工が衰退してしまった原因として、
プラスチック製品の台頭や、安価な外国製品の輸入があげられて
いますが、その時期に重なるように、全国規模で竹が開花したことも
大きな要因だったようです。深刻な材料不足が、状況に追い打ちを
かけたという記録が各地に残っています。

本来、地下茎のみで繁殖していく竹が、数十年に一度だけ花をつける
理由は今も解明されておらず、諸説存在するそうですが、変わりゆく
自然環境に対して「種を保存するための手段」であるという説があります。
環境の変化に対応するため、自らの命と引き換えに花を咲かせ、
種を遠くまで運ばすことで、子孫を残すのだそうです。

今後の材料確保という点では不安が残りましたが、
竹の神秘と、生きる力の強さを強く実感する一日になりました。

いとう

シナの里をたずねて

先日は、山形と新潟の県境にある、関川に行ってきました。

日頃、取り扱いをしている、独特の編み目模様がかわいらしい「シナの皮」を使ったかごを詳しく知るため、一年ぶりに現地を訪れてきたのでした。

シナの原木

日本各地にひろく自生するシナの木。
その繊維は、ロープの原料にもなるほどの強靭さがあり、縄文時代にはすでに、網や袋、衣類などに利用されるなど、日本人の生活に深く根ざす素材として活かされてきました。

集落の前を流れている清流。
適度な流れがあるきれいな川の水は、
シナの素材づくりに欠かせない条件の一つです。

梅雨の頃に伐採し、幹からはがした樹皮は、まず干してしっかり乾燥させたのち、灰汁で煮たり、糠に漬けたり、川の水にさらしたりといった手間のかかる工程をいくども経て、ようやく繊維が姿をあらわします。ここまでで約半年!

さらにこれを裂いて、束にして撚りをかけ、ひも状にしたものがかご編みの材料となります。

作り手のかたは、現在70代後半。山間部の豪雪地帯に生まれ育ち、暮らしに不可欠な道具たちはすべて、ちいさな頃から見よう見まねで作ってきたといいます。

私たちがこのカゴに興味をひかれたのは、実はこの模様が地域に伝わる伝統的なデザインでは「ない」というところでした。


上部の編みはじめは編み目を詰めて、
下にいくほど徐々に広げるのも独自のアイデア。
一段一段、大きさを確認しながら製作していきます。

アイデアが生まれたのは十年ほど前で、実は近所の食堂で見かけたあるものがヒントになったそう。。。それは、縄暖簾に編み込まれていた模様でした。
「娘と店を訪れるたびに、詳しく観察していたんですよ。」と誕生の秘密を笑いながら語ってくれたのでした。

地域に伝わってきたシナの紐づくりの知恵と手業に、ちょっとユニークな発想が合わさって生み出された、花編みの手提げかご。
伝統的なかごづくりを続けつつも、作り手さんそれぞれの感覚や日々の発見のなかで、新しいかごもどんどん作ってほしいですね!

次回はぜひ、作り手さんとともにこの食堂を訪問したいなあと思っています。

フィンランドへ

フィンランドにやってきました。
8月とはいえ、気温は20度前後。朝夕はちょっぴり肌寒いくらいです。

北の大都市ヘルシンキは、建物も乗り物も、屋外にあるものはみな、
重厚堅牢なつくり。
冬のきびしい寒さにも負けない、力づよさを感じる街並みです。

けれど一歩室内に入れば、そこにはあかるく洗練された空間が広がっています。

デザインの分野で世界をリードするフィンランドの、色彩や表現へのこだわりは
短時間の街歩きのあいだにも充分に感じることができました。

キュートなバスがあちこちに。
「デザイン博物館」の屋外展示。
巨匠エーロ・アールニオ氏の
特別展が開かれていました。
蚤の市もなにやらおしゃれな雰囲気です。

 
フィンランドでも、これまで何度か連絡をとりあっていた作り手さんたちを
訪ねることができました。

はじめに訪問したのは、とても研究熱心な白樺細工の作り手さん。
古くからこの土地で使われてきたバスケットはもちろんのこと、
釣り用の浮きや重りといったものまで自在に素材を使って、なんでも
作り出してしまいます。

石と白樺で作った「重り」

白樺と過ごす時間を何よりも大切にしていることが伝わってきました。

道中、たまたま立ちよったすてきなレンガ造りの建物の中では、
「ウッドジョイント」展をやっているから見て行ったら?と地元の方に
声を掛けられました。

入ってみると、なんと日本古来の組み木技術を紹介する内容。
棟梁の写真とともに、たくさんの組み木のサンプルが、丁寧に紹介されていて
驚きました。

小さな町の町はずれで、とても興味ぶかい展示に偶然であうことができて、
フィンランドの奥深さを感じました。

ヘルシンキはやっぱりカモメの街ですね。

北ヨーロッパをめぐる今回の旅でも、たくさんの出会いと発見がありました!
この刺激をまた、いろんな形でお店に反映していければと思っています。

これからも、引き続きよろしくお願いいたします。

朝子

リトアニアの旅 2

続いてお会いしたのは、わら、水草、樹皮などなど、
かつてこの国の各地で使われていたさまざまな素材を使用し、
昔の技法を用いてかごを編むことのできる、貴重な腕の持ち主でした。

作り手であると同時に、考古学の先生でもあり、大学での講義も
うけもっているそう!

みずから採取しているというさまざまな植物や、それらを使って再現した
古い技法の編み組作品などを見せていただきました。

かご素材のコレクション。
わら、葦、い草、ガマ、シナノキや白樺の樹皮、
パインの根っこなどなど、、、

こちらはリンデン(シナノキの仲間)の
樹皮から採れる薄皮の部分。
撚りをかければ、丈夫なヒモになります。
遠く離れたバルトの地であるにもかかわらず、こうして見ると
日本のかご素材との共通性が多いこと!
地球上のどんな地域でも、人はできるだけしなやかでよく曲がる草や
つる、強靭な繊維が得られる植物をさがしつづけてきたんだなぁと
なんだか感じ入ってしまいました。
加工方法や、道具の形などにも似ている点は多く、ここリトアニアにも
先人たちの貴重な試行錯誤の跡がのこされていました。

ベリーやマッシュルームの収穫に使われた肩掛けのバッグ。
アイヌの人々がつくる「サラニプ」を思い出しました。
かつての暮らしの中で活躍した様々なマット。
リンデン(シナノキ)の樹皮や繊維、い草を使い
たくみに再現したもの。

こちらは小さな博物館で見かけた、展示の一場面。
今ではほとんど見かけることのない草のかごも
多く並んでいました。

北海道よりも少し小さな国土に、300万人弱の人びとが暮らす、リトアニア。

たっぷりの自然の中に、暮らしやすいサイズの街が点在していて、
人と自然のかかわりの深さを実感する旅となりました。

たくさんのすてきな出会いと、みなさんの優しさを胸に、
次の訪問地、フィンランドへと向かいます。

リトアニアの旅 1

こんにちは、朝子です。
ただいまかごをめぐる北欧の旅の途上です。

最初に降り立ったのは、中世に迷い込んだような石造りの街並みが
うつくしい、リトアニアの首都ビルニュスでした。

ユネスコの世界遺産にも登録されている旧市街は、歴史の宝庫。
住んでいる人たちはきっと、これを維持するために想像のつかないほどの
努力をされているんだろうなぁ、、、などと考えながらしばし散歩。

ちょっとした裏道にも
今と昔の暮らしが折り重なっています

早速電車に乗り込み、地方へと向かいます。

そこここに白樺の木。

まずお邪魔したのは、代々ヤナギのかご作りに携わっているベテランの
かご職人さんの工房です。

作業場の大きな小屋の中には、材料のヤナギのストックや、古いかご、
新しいかごでぎっしり。

壁には、年代物のかごがずらり!
左端にちょっぴり写っている長細いものは、おじいさん自身が赤ちゃんの時に
この中で寝ていた「ゆりかご」だそうです。

小屋の裏には、一面のヤナギ畑がひろがっていました。

こちらのかご職人さんたちの多くは、材料を自家栽培しています。
一年で収穫できるとはいえ、栽培と製造の両方を行うのは、とても
大変な仕事だと思います。

また、若くして家業を継いだ職人さんにもお会いすることができました。
20代にもかかわらず、すでにキャリアは10年以上!
これからの活躍が楽しみです。

ヤナギの枝を三つ割にする機械。
屋根裏にストックされた材料。

さて、移動の途中、近くに伝統工芸館のようなセンターがあるということで
立ち寄ってみました。

地元の博物館の支部として運営されている公営のスペースだそうで、
地域住民が伝統工芸に親しみ、技術を習得できるようにと、さまざまな講習を
行っているそうです。

とくに子供向けの講習には力を入れているそうで、
訪ねたときは、9月に開かれるイベントの準備にお忙しそうでした。

こうした活動を通して、地域に伝わってきた手工芸を大切にする気持ちが、
人びとの間にしっかりと根付いているのを感じました。

戸隠の根曲竹細工の「これから」について。井上栄一さんにお話を伺いました。

天岩戸が飛んできて落ちた場所、と伝えられる長野の戸隠。
古くから信仰と修験道が盛んで、今もその名残が神社や多くの宿坊にみられます。
 
戸隠の根曲竹細工は、江戸時代のはじめから受けつがれてきた伝統工芸品です。
そばどころとしても知られるこの高原の村では、数多くある蕎麦店のどこに
行っても、そばは根曲竹を使ったざるに盛られて出てきます。

もともとは農家の実用品としてつくられていましたが、その後は戸隠参りの
お土産として、また、昭和40年代にスキー場ができてからは、観光の土産物
としての需要も増えていきました。
かつては、多くの職人たちがしのぎを削った竹細工の産地でしたが、
現在では高齢がすすみ、若手といわれる作り手も60代前後となってきました。
そんな戸隠の根曲竹細工の現状を知りたくて、井上竹細工店の5代目、
井上栄一さんを訪ねて、お話を伺ってきました。
井上さんが竹細工店を継いだのは、昭和50年代の後半。
当時は20代後半の頃で、ご家庭をもち、お子さんが誕生して間もないころでした。

88歳まで現役を続けたおじいさんから、約5年間にわたり竹細工や商売にまつわる
さまざまなことを学んだそうです。

おじいさんの時代は、日本の竹細工にとって、おおきな変革期でした。
昭和30年代、これまでの国産品中心から、輸入ものが多く入りこみ価格が急落。
一方で、日本は経済成長まっさかりの時代だったため、かごの注文は増加。
そうすると、これまでのようにすべてを自分で作るのは割が悪いと、業者から
仕入れたかごを中心に販売する店が増えていきました。
けれど、安価な輸入品と並べて販売しても、これまで戸隠製品を愛用していた人や、
少々高くても丈夫で長持ちすることを知っていた人は、根曲竹を選んでいったそう。

時代や景気によって、多少の浮き沈みはあったものの、一定の支持層が支えて
くれたこと、そして地元の蕎麦屋から、定期的にざるの注文があるというのも、
戸隠の竹細工が今日まで続いてきた大きな理由のひとつなのだと思います。

 
現在、地元の竹細工組合の会長としても日々奔走されている井上さん。

その目標は、戸隠の竹細工を100年続く伝統として繋げていくこと。

そのために、今よりもさらに使いやすく、丈夫で、愛着を感じてもらえる
ものづくりに地域全体で取り組んでいきたいと考えているそうです。
たとえば、職人にしかわからない「手間」。
そのほとんどは、外側から目に見えない作業のため、その手間を掛けるか
掛けないかはそれぞれの職人の判断になります。それをしないからといって、
すぐに差がでるというものでもありませんが、数十年使った時に歪みが少ないなど、
わずかな違いとしてあらわれる可能性があります。
それから、材料選びの「目」。
丈夫なものを作るには、何よりも材料選びが重要です。
蕎麦ざる一枚をとっても、底、本体、縁巻きで、年数の異なる素材を使ったり、
幅や厚みに差をつけたりと、丈夫さや使いやすさは、素材へのこだわりなしには
生まれません。

そして、価格について。
熟練の職人でも一日で編める蕎麦ざるは、わずか二枚程度。
さらに、山に材料を採りに行く時間などを含めると、実際にはもっと多くの時間が
費やされています。その手間を考えると、今のままの価格では、これから職人を
目指す若者が現れても生活が成り立たないというのが実情です。
今後は、そういった先のことも含めて、価格の見直しについても考えなければ
いけない時期に来ているのかもしれません。

その点について井上さんに尋ねてみると、以下のような答えがかえってきました。
「後継者が少ないから、作業がたいへんだからという理由で価格を高くすると
いうことはできません。道具が高くてもいい理由というのは、手になじんで使い
やすく、丈夫で長持ちすること、使うほどに愛着が持てるものだと思っています。」

 
今後もこの伝統を次の世代につなげていくために、そういったさらなる質の向上を
目指し、根曲竹細工に携わっているみんなで考えていきたいと思っているそうです。
そして近々、技術を学ぶ場所として、地元の有志を募った竹細工教室の開催も
検討しており、忙しい日々をすごされていました。

地元の方を対象にした体験教室が、7月末より開催されます

生まれ育ったこの戸隠を、今も深く愛する井上さん。
「戸隠の美しい山々に抱かれ、その恵みをいただきながら、楽しんで暮らしていく。
贅沢はできなくても、そういった自分たちの姿を、後輩たちにみせていきたいと
思っています。自分が竹細工の伝統とともに大切にしていきたいのは、
そういったところなのかもしれません。」

おだやかな表情でそう語ってくださったのでした。

伊藤

沖縄・やんばるの竹カゴ「バーキ」を訪ねて

先週が今年一番の寒さだった地域も、多かったのではないでしょうか。
そして、沖縄の本島では、観測史上はじめての雪だったとか!

今週より、はじめてご紹介する沖縄のかごの作り手さんたちも、
あらゆる暖房を使って寒さをしのいだそう。
沖縄の人たちは、寒がりだから、気温が17度を下回る頃から
ストーブを準備しはじめるんだよと、話してくれました。

さて、沖縄のかごの材料として、よく知られているのは、ホウライチクと
よばれる竹の仲間や、ワラビ(シダ)、アダン(タコノキ)など。
素材が珍しいというだけでなく、大陸側の影響を色濃く受けた文化や技法、
この地ならではの呼び名や使い方など、沖縄のかごは、知るほどに
とても興味深いです。

ホウライチクは、地下茎が伸びないバンブーに近い種

今回はその中から、農・漁業用はもちろん、道路工事などあらゆる作業に
使われてきた「バーキ」とよばれる、昔ながらの竹カゴをご紹介したいと
思います。

その産地は主に、やんばる(山原)とよばれる本島北部の自然豊かな地域。
その一部は、辺野古への基地移設問題など、国政・県政ともに問題を
抱えている地域でもあります。
 (僕自身、今この場所で起こっていることについて、もっと知らなくては
いけないなあと実感しています)

残念ながら、本業としてかごづくりを続ける職人はすでに本島には
ほとんどいない状況なのですが、たまたま知人の紹介を通じて出会ったのが
昭和16年生まれの仲良し三人組のおじさんたちでした。

生まれも育ちも、名護市の久志地区。
ジュゴンの北限の生息地としても知られる、美しいサンゴ礁が広がる海沿いの
集落です。 すぐ隣には、普天間基地の移設問題に揺れる辺野古地区があり、
工事車両の進入を阻止するために座り込みの抗議活動を行っている人々を
ニュースで目にすることも多いと思います。

訪問した当日は、座り込みがはじまって522日目の日。
雨の日も雪の日も、毎日休まず活動が続いています。
 

おじさんたちの小学生時代(60年ほど前)は、どの家庭でもバーキづくりが
行われていて、親の手伝いをしていた子供たちも多かったそうです。
目の粗いのを「アラバーキ」、工事用を「人足バーキ」といい、農作業や
行商においては、頭に乗せる運搬具として利用されていました。

コージ バーキ は、工事など土砂の運搬に
  

そんな三人が「バーキ」づくりをはじめようと思ったのは、わずか数年前の
こと。はじめは、遠方の名人を訪ね、習いながら、徐々に編めるようになって
いったといいます。

その後、地元で開催するイベントでも販売するようになり、最近では
これまで作り手がいなくて困っていたという、パイナップル農家さんからの
特注品なども請け負うようになってきたそうです。

「イキガ バーキ」は、天秤棒を使って肩に担ぐためのかご。
「イキガ」=男 「イナグ」=女 の意味で、こちらは大きめの男用仕様。
農地では主に芋類の運搬に使っていました。 
筒状で深めに製作されているカゴ「ティール」。
紐を通せば腰にまわせるように、耳が付いているのが特徴。  

しかし正直なところ、その品質はまだ発展途上の状況でした。
個々のばらつきの差も目立ち、形も一定ではありませんでした。

改善を必要とすることも多いですが、貴重となりつつあるバーキづくりの
継承という点でも、とてもたいせつな活動だと思いました。そしてみなさん、
とても熱心に話を聞いてくれますし、何より三人の会話や昔話が面白いのです。

そしてなんといっても興味深いのは、基地問題について三人がそれぞれ
別の意見を持っていること。反対派と賛成派が、仲良く顔をあわせて
かごづくりに励んでいる姿に、僕自身も多く学ぶことがありそうです。

戦後からしばらくの間、「ホウライ竹」は川辺にたくさん生えていましたが、
昭和30年代になって、すぐそばに基地(キャンプ・シュワブ)ができる頃
から、コンクリートによる護岸工事が行われるようになり、川辺の風景が
一変したそう。

「カワエビがじゃんじゃん取れる、子どもたちの一番好きな遊び場
だったんだよ!」と懐かしむ、おじさんたちの姿が印象に残りました。

伊藤

倉敷・須浪亨商店の5代目がつくる「いぐさのかご」

先週は、岡山の倉敷を訪れていました。
今から二か月ほど前のこと。とてもうれしい連絡があったのです。

倉敷で130年近い歴史をもつ「須浪亨商店」は、国内で唯一の
「いぐさかご」の生産を行っています。

しかし、その作り手さんといえば、ご高齢のおばあちゃんがただ一人の状況。
ぼくは年に一度、その工房にお邪魔しているのですが、熟練の手業により
次々とかごを編んでいく作業を間近で見れるのを、毎年楽しみにしていました。

専用の折り機を使用します
 

 縁と持ち手はすべて手作業。
冬場は特に、たいへんな作業です。

その時に、何度かお会いしていたのが、お孫さんである隆貴さん。
昨年までは、デザイン学校に通う学生さんでしたが、今年の秋のはじめに
「祖母の跡を継ぐことを決断しました」と手紙で報告をしてくれたのでした。

5代目となり、すこし大人の表情を見せる隆貴くんと、あれこれ心配しつつも
うれしそうに見つめるおばあちゃんの姿は、とてもほほえましいものでした。

 

須浪亨商店の「いかご」の伝統を、今日まで守ることができたのは、
隆貴さんの祖母である栄さんの努力によるものでした。

3代目だったご主人は、ご高齢もあってしばらく前に引退しており、
4代目として活躍していた隆貴さんのお父さんは、早すぎる年齢で
世を去られてしまいました。
一時は廃業も考えたという栄さんでしたが、その後も時間を工面
しながら「いかご」の製作を続けていきました。

昔と変わらぬ佇まいを残す、栄さんの「いかご」は、地元だけでなく、
全国からも注文が寄せられる人気がありましたが、体力的にも年々
きびしい状況になりつつありました。

そのような中、もともとモノづくりが好きで、デザイン系の
専門学校を卒業したばかりの隆貴さんが、おばあちゃんの技を学び、
跡を継いでいくことを決意したのです。

新たに5代目となった隆貴さんのいかごと、今後の活動に
ぜひご注目いただければと思います!

モロッコ 椰子のかごの村へ

涼しかったパリから、はじめてのモロッコへ。

地中海を超えアフリカ大陸に入ると、地上の視界がぼんやりと茶色く
見えてきたのは、やはりサハラ砂漠にほど近い土地だからなのでしょうか。
およそ、3時間弱のフライトで、マラケシュに到着しました。

当日の日中の気温はおよそ38度。
もちろん、すっごく暑かったのですが、日本に比べ乾燥していることと、
その一週間くらい前までは、45度近い! 気温が続いていたと聞いて
覚悟を決めていたからなのか、思いのほか快適に過ごすことができました。

リヤド(宿)に到着後、さっそく旧市街の広場を散策してみました。
数歩足をすすめる度にかけられる、客引きの声。
ヘビやサル使いの大道芸と、ひびき渡る太鼓のリズム。
日が沈んでもにぎわいは一向に衰えず、そのエネルギーに圧倒されました。

 

毎晩、深夜2時すぎまで続くそう!

さて翌日はいよいよ、かごの村へ!
今回は、現地に在住している知人を通じて、マラケシュ郊外の村で
椰子のかごを編む、若い女性のお宅まで案内していただきました。

車を降りると、集まってきたこどもたちと、すれ違う村人にごあいさつ。
赤い土壁で囲まれた入口から入っていくと、そこが目的のお宅でした。

 
ツートーンカラーがかわいらしい!
外には編んだばかりの、椰子のテープが乾燥のために干されていました。
 
案内していただいた客間は、エアコンはないのに涼しく、広くて快適な空間。
まもなく熱いミントティーとともに、満面の笑みで迎えてくれた若い女性が、
椰子のかごの編み手の方でした。
 
代々、椰子のかごを編んできた大家族に育ち、その家庭では7人の女性が
かごを編んでいたとのこと。この方自身も、ちいさなころに自然と編みかたを
覚え、すでに14年ほどの経験がありました。
 
結婚を機にこの場所に移り住み、もうすぐさいしょの赤ちゃんも生まれる
予定ですが、変わらずにかご作りを続けているそうです。
 
早速、実際のかごづくりの作業を見学させてもらいました。
事前に、一本の長いテープ状に編んで干しておいた材料を、
若く細い椰子の葉を使って、くるくるとつなげていく作業を行っていきます。
 
 
わたしたちの質問に笑顔で答えながらも、作業は休むことなく
続けられていきます。

 

あっという間に底面が編みあがりました。
 

縁まで編みあがったところ
  

農作業や家畜の世話、育児や家事の合間をうまくみつけながら、
代々家族のくらしを支えてきた、女性たちによるかごづくり。

決して、急な市場の動きにあわせたり、効率よくできるものづくりの
スタイルではないけれど、かけがえのない家族と過ごす時間の中で、
女性たちが工夫をかさねることで続いてきた、かご編みの伝統。

その実際の暮らしの姿を垣間みる、貴重な経験となりました。

その後にいただいた、自家製パンと豆煮込みのとびきり美味しかったこと!
またいつか、あたらしいご家族を訪ねに伺いますね!

いとう



フランス かご職人を訪ねて

こんにちは。

お盆の時期に入り、日常とは異なる場所で過ごしていらっしゃる方も
多いのではないでしょうか。

私はといいますと、7月末からの約二週間、かごの産地をたずねて
フランス、そしてモロッコの小さな村を旅してきました。

フランスは2度目の訪問となりますが、今回の旅でも、
都市部でも地方でもさまざまな場所で、地元のかごが身近に
使われている様子を見ることができました。

もちろん昔に比べると、それなりに高価なものとなりつつありますが、
今なお欠かせない暮らしの道具として、フランスの人々に深く定着
しているのが感じられました。

しかし、生産者側から見てみると、現状は大きく二極化していること
がわかってきました。

多くの職人を抱え、幅広いニーズに対応できる、かごづくりで有名な
地域がある一方、昔とほとんど変わらぬ伝統的なかごをつくっている
地域では、わずか1、2名の職人が残るのみといった状況が広がって
います。

そのようなわけで、今回のフランス訪問は、後継者不足が深刻に
なりつつある、ブルターニュ地方の職人さんにお会いするのが
一番の目的でした。

栽培されているヤナギは、
こんなに背が高い!

フランス北西部、独自の文化が色濃く残るブルターニュ地方。
ケルト民族を祖先に持ち、かつてはブルターニュ王国を築いて
繁栄し、独自の言語と民族文化が受けつがれている土地です。

海と森の恵みゆたかなこの地では、昔からさまざまなかごが
作られ活躍してきましたが、中でも特徴的なものの一つが、
「牡蠣のかご」です。

海辺での牡蠣やウニ拾い、それから小さな魚を並べて売るにも
便利なように、浅い横長の作りになっているところが特徴です。
頑丈な実用のかごにもかかわらず、なんとも美しいシルエット。

製作者のエリセさんにお会いして、いろいろとお話を伺ってきました。

 
エリセさんは、ブルターニュ地方に代々続くかご職人の家系。
このかごをつくる最後の職人として、失われつつある伝統的な技術を、
かたくなに守っています。
 
「何世代にもわたって、父から息子へと受け継がれてきた かごの店」
と書いてあります。
 
  製作現場を見学。すばやい手さばき!

製作する上でもっとも難しい点を聞いてみると、意外な答えが
返ってきました。それはかご編む前、ヤナギを柔らかくするために

「煮る」ときの温度と時間の調節だそう。
 
少しでも固すぎれば曲げた部分が割れてしまい、柔らかすぎれば
皮が剥けてしまうため、うつくしいかごに仕上げることができません。
「パスタを美味しく茹で上げる時のように、細心の注意を払って
いるんだよ」と笑って教えてくれたのでした。
 
ちなみに、下の横長のバスケットはオイスター用ではなく、
マクレル(Makrell・・・日本の鯖に近いと思われる)というちいさな魚
にあわせてつくられたものだそう。

かごの短い辺に沿わせて、マクレルがぴったりはまる形になっており、
とてもきれいに見えるそう。何よりも、プラスチックなどのかごに比べ
魚が傷みにくく、新鮮さが長持ちするそうです。

それをよく知っている地元の人たちは、つくりのよいかごに並んだ魚を
選んで買うために、魚売りたちの商売にとっても大切なものだったそうです。

エリセさんから聞く、かごの話の一つ一つは、すべて合理的な理由や
歴史的な背景があって、とても興味深いものでした。

そして、それは決してエリセさんだけの知識と経験だけでなく、
この土地をずっと離れず代々かご職人を受け継いできた、家族の歴史
そのものなのだと気づかされた訪問となったのでした。

(ブルターニュのかごはこちら→

いとう

春の産地訪問 北東北へ!

こんにちは。4月に突入しましたね!

こちら国立では、桜が満開となりました。
月末は、東北の産地を巡っていたので、たった一週間で本格的に訪れた
春爛漫の桜景色がなおさら色鮮やかに見えます。

今年も、北東北のかご産地を訪ね、いつもお世話になっている
作り手の方々にご挨拶に行ってきました。

まず向かったのが、岩手の宮古漁港で活躍していた竹カゴ「横田かご」
の作り手さん。ちょど4年前の今時期は、震災の影響で10日間以上も
電話連絡ができなかったので、本当に心配していたことを思い出しました。

ここ数年は体調を崩されてしまい、かごづくりができなくなってしまったの
ですが、趣味の高校野球観戦や昔話がとても楽しみで、いつも真っ先に
訪れる場所です。

かごづくりをあきらめてから、すでに二年以上が経ちましたが、今も道具は
手入れを欠かさず、大事にしまっていたのが印象的でした。

横田かごづくりの七つ道具
その後は、津波の被害が大きかった沿岸域をまわりました。
当時大きな防潮堤があった同じ宮古の田老地区も、だいぶ整備が進んでました。

三陸鉄道の田老駅から眺める景色。
震災当時は平地が広がるだけでした。
 
 その後は、岩手県北部、いまだ雪景色が広がる二戸に向かいます。
一戸町の鳥越地区は、鈴竹細工が盛んな地域。

ここでもいつもお世話になっているつくり手の方を訪ね、この一年の
現地の状況を伺いました。


昨年は、「市場かご」や「椀かご」の名手といわれるベテランの方々が続々と
引退してしまった年だったといいます。しかしそのような中で、若い作り手の
方々が協力し、切磋琢磨しながら、あたらしい取り組みをはじめるといった
動きもあるそうです。

そして、かごの作り手だけでなく、材料を加工する道具の手配も
重要な問題です。

地元の鍛冶屋さんも深刻な後継者不足となっているため、今後は県外の
鍛冶屋を探す必要があるかもしれないとのことでした。
(ぼくも知り合いの鍛冶屋さんがいるので、「銑(せん)」を呼ばれる
道具一式を預かって、注文製作ができるか聞いてみることにしました)
 

 「銑」とは材料のひごを整える、大切な道具の一つ。 
 
 
そして翌日は青森県の弘前へ。
岩木山の麓もまた一面の雪景色でした。
 
山麓にはリンゴ畑が一面に広がっています。
 
訪問したのは、根曲竹のベテラン職人さん。
今回の目的のひとつは、根曲竹の材料の選択について話をきくこと。
一つのかごでも、部位によって年数の異なる材料を使い分けて仕上げる
のです。 並べて比較していただくことで、その違いがよくわかりました。

本体は2-3年目のものを多く使いますが、柔軟さが必要な縁巻きには1-2年の
もの。また採取する場所によっても、しなりに強いなどの差が出るそうです。

 
こちらは5-6年めの根曲竹。持ち手のみに使います。
 
はじめて東北の産地を訪れた時は、完成した製品にしか目が届かず、
材料となる素材や道具のことまでは、なかなか気づくことはできませんでした。

しかし、直接現地に足を運んで話を聞くほど、かごづくりにまつわる背景が
少しづつわかるようになってきて、さらにその奥深さの魅力にひかれています。

今夏もまた訪れる予定です。

いとう
 
 



木積の箕つくり

こんにちは。

先日は、知人から紹介をいただき、「箕」つくりの現場を訪ねてきました。

場所は、千葉県の匝瑳(そうさ)市。
九十九里浜に面した海沿いの明るい道と、小さな山と谷がつながる
緑豊かな土地が印象的でした。

今回、体験をさせていただいたのは、国の重要無形民俗文化財にも
指定されている木積地区の箕づくりです。

集合は、午前9時。
早速、「木積箕づくり保存会」の皆さんに教わりながら、材料となる「フジ」と
「シノダケ」を刈りに山に入ります!
 

鬱蒼とした森に入り、まっすぐ伸びた若い藤を探します。
 
採取後はすぐに土の中へ。
しばらく寝かせることで、樹皮や芯を取り出しやすくします。
 
篠竹は足の踏み場もないくらい密集して生えていました。
 
採取後は、すぐに割る作業を行い、天日干しします。
 

ここまでの作業で約6時間ほど。
山の中でも、工房においても、ひとつひとつの作業をていねいに教えていただきました。
 

かつて、「箕」は長い年月にわたって、日本各地の農家で使われてきた道具。
その主な用途は、穀類や豆類の選別の役目でしたが、作物を干すためのざるの機能や、集積、運搬するかごの役目も果たし、農作業に欠かせない必需品とされてきました。

日本各地で様々な素材や形の箕が存在しますが、木積地区の特徴はその精巧なつくりにあるのだといいます。地域の農作業としての需要に加え、製粉工場など都市部からの依頼も多く、様々な要望に対応し改良を重ねていったことから、より軽くて緻密な箕が作られるようになっていきました。

その評判は県外にも広く知られたため、昭和の最盛期には年間12万枚が出荷された時代もあったそうですが、現在はわずか100枚ほどの生産量になっています。

この伝統を続けていくのは決してたやすいことではないと思いますが、その土地の文化に誇りとし、その文化を少しでも長くつなげていけるように活動している皆さんの想いが伝わってくる機会となりました。

80歳を超えたおばあちゃんの姿が、カッコイイ!

次回は、籐の花が見事に咲く、春先に訪れたいと思っています。

 征一郎

いわきの西山さんに、竹取りを教わりました。

こんにちは。

先週は、福島県いわき市の竹籠職人、西山昭一さんを訪ねてきました。

今回の訪問は、今年で三回目。
秋も深まり、かねてからお願いをしていた「真竹」を採取できる時期に
なったと聞き、日本の手仕事の道具に関心を持つ知人と一緒に
いわきに向かったのでした。

車を走らせると、なつかしい風景が広がってきました。

かごづくりに適した竹が採取できるのは、一年の中でも限られた期間だけ。
適度に水分が抜けて強度も増し、虫による被害が少なくなるといわれる
晩秋から冬にかけての竹が、かごの材料としてもっとも適していると
言われています。

西山さんは、かつて、東北有数の漁獲高を誇った小名浜港で、
魚の水揚げや運搬に必要とされた「万漁かご」を中心に、60年近く
竹籠づくりに携わってきたベテランの職人さんです。

ですが、気難しい職人のイメージとはちがって明るく元気な方で、
奥さまの英子さんともいつも一緒のおしどり夫婦です。

到着した夜は、今年で金婚式を迎えたお二人を祝福すべく、西山さんとの
出会いのきっかけをくれたomotoの鈴木夫妻も合流して、たくさんの
ごちそうをいただいた、楽しい夜となりました。
(そういうわけもあって、翌朝の竹取り開始は、かなりのんびり
スタートとなりました。。。)

翌日は快晴に恵まれ、絶好の竹刈り日和!

今回目指す場所は、工房から車で40分ほど離れた川沿いの竹林。
西山さんが日ごろ竹を採取する場所のいくつかから、初心者の
ぼくたちにも入りやすい竹林を選んでいただいたのでした。

到着後、鉈とのこぎりを腰に巻いて、いざ竹林の中へ。
一歩中に入ると日中でも薄暗く、人が通れそうな場所は限られていました。
西山さんいわく、土壌を豊かにするためにも、適度に人が入って竹を
間引いてあげることが必要で、今では手つかずの荒れてしまった竹林が
ほとんどなのだそう。

さて、今日の目的は、今年の春に伸びたばかりの、真新しい竹。

縁巻きや持ち手には、本体に使う素材とは異なる、若くて弾力ある
竹が必要となります。西山さんは、すぐに濃い緑色をしたきれいな竹を見つけ、
鉈の腹を使って節の間を叩きました。耐久性に優れている竹を見分けるには、
見た目だけではなく、叩いたときの音の強弱で判断するのだそうです。

試しに、甲高く響いた竹を切り、表面を薄く剥いて曲げてみると、すぐに
折れてしまいました。次に、音が低かった竹を同じようにしてみるのですが、
こんどは二つに畳める位に曲げても割れることがりませんでした。

(ピントがあっていませんが)
低い音を響かせた竹は、驚くほどの弾力でした

竹を切る場所は、地表から30-40cmほど離れた節の下部分です。
西山さんが竹を切るのに要した時間は、なんとわずか8秒!

その後、切った竹は広い場所に移動し、横に倒して上の細い部分をカットする
のですが、その作業が終わった竹を並べていて、さらにビックリ!

測ったわけでもないのに、すべて7メートルの長さにぴったり揃っているのでした。
長年の経験に裏打ちされた、職人の勘を目の当たりにした体験となりました。

お昼が近づき、竹取りの作業はここで終了。

午後は工房に戻って、万漁かごを編むところを見学しました。
まずは、材料の竹ヒゴづくり。
竹の肉部分を削り、皮の薄いところのみを残していきます。

竹ヒゴが完成したところで、いよいよ編みの作業に。
まずは底部分を組んでから、上部へと編みあげていきます。

横で作業を見つめる奥さまと並んだ姿が、なんともよい雰囲気でした。

 

ゆっくりと解説いただきながら約一時間後に完成。
最後は奥さまと並んで写真を撮らせていただきました。

 

前夜から宿泊させていただき、食事から体験まで、すべてお世話に
なってしまいました。
昭一さん、英子さん、ほんとうにありがとうございました。

次は福島の山小屋で再会しましょうと約束し、帰途につきました。
いわきがさらに身近な土地となっていくのを感じた、今回の訪問でした。

征一郎

蒜山高原でヒメガマ採取のお手伝い

こんにちは。
先の「い草」のかごに続いて、今回も岡山の編組品をお伝えします。

ただいま、岡山県北部の蒜山(ひるぜん)にきています。
標高500~600mほどの高原が広がり、その一帯は大山国立公園にも指定されている西日本有数の避暑地。関東でたとえるなら、清里高原や軽井沢のようなイメージでしょうか。

そして冬は、日本海側の気候と山々に囲まれた地形の影響を受け、豪雪地帯となります。今年の1月に訪問した時は、積雪が70cm以上ありました。

(過去のブログは→こちら

その豊かできびしい自然を背景に、この場所で700年以上の歴史をもっている伝統工芸品が、「蒜山ガマ細工」です。

近年では、主に手提げかごが製作されていますが、もともとは運搬用の背負いかごである 「ガマこしご」 が山仕事や農作業の必需品でした。
また中空素材であたたかく、防水性も備えたヒメガマは、雪靴や蓑にも用いられ、代々それぞれの家庭でつくられてきたといいます。

手提げが登場したのは比較的近年になってからのことで、ガマ細工の伝統を守る手段として、民藝品としての需要を期待し、つくりはじめたのがきっかけだそうです。

現在、活動をしているのは7名。すべて地元の女性たちです。
そして、材料の採取などの重労働も、すべて自分たちで行っていることを聞き、秋の収穫のお手伝いを約束していたのです。

当日は朝の5時半に集合!
日が昇り始めると、暑さですぐにバテてしまうので、6時から作業をはじめるためです。
日の出の直前、あたりは低く垂れこんだ霧に包まれ、幻想的な風景でした。

大きな牧場やヤマブドウの果樹園を抜け、細い道をさらに進んでいくと、漆の森のそばに、ちいさな湿地帯が現れました。昔は自生するヒメガマもあったそうですがその数はだいぶ減り、今ではいくつかの場所を決めて、計画的に成長させているそうです。

(数少ない国産漆の産地として、漆掻きも行われています)

現地に到着すると、すぐに作業を開始!
ヒメガマの背丈は2mを超えるものが多く、ちいさな女性たちがさらに小さく見えます。
しかし、その作業に無駄はなく、とても速いペースで刈り取っていくのでした。

ある程度、刈り取りが進むと、選別の作業に移ります。
汚れや傷がついた外側部分を取り除いていくと、実際に残る部分は全体の1/4ほどでしょうか。

かごづくりに使用できるのは、根より上の白く厚みがある部分だけです。高さを揃えてロープで縛り、使わない上部の葉をカットします。

 
巨大な長ネギの出荷をしているみたい!
 

こうして、刈り取り → 選別 → 束にする 作業を繰り返すわけですが、同じ姿勢の作業は腰や足の負担が大きいので、それを回避する意味もあるのだと思いました。

仕事をする手は休むことがありませんが、常にだれかが話をしていてあまり沈黙する時間はありません。その話題は、ガマの成育のことにはじまり、掛け合い漫才のようツッコミの応酬だったりするのですが、おかげでつらい作業にも関わらず時間があっという間に過ぎていきました。

作業を開始してから、およそ6時間。
今年のヒメガマの成育はまずまずで、三人分の収穫がこの量です。

その後は、それぞれの自宅に運んだあと、水洗いして汚れをとります。
わずか数束を洗っただけでも、すぐに腰が痛くなってきて、一番の重労働でした。

 

その後は、ひと月以上の時間をかけて水分を抜いていき、再び選別の作業が控えています。実際にかごを編み始めることができるのは、12月を過ぎた積雪の頃になるでしょう。

今回、僕はわずか一日の手伝いでしたが、みなさんは場所を変えながら、数日間にわたって同じ作業を繰り返していきます。
本当にたいへんな作業が続きますが、でも明日も笑いが絶えない一日となるのでしょう。

これまで、各地でいろいろな材料の採取の現場を訪問してきましたが、これほど楽しみながら作業をしている人々をみたことはありません。
「しんどいことこそ、楽しんでやらんと続かんわ!」というおかあさんの一言がとても印象的でした。

蒜山のみなさま、たのしい時間をありがとうございました!
また来年も伺います。

伊藤征一郎

岡山のかごをめぐる旅(ガマ細工編)

こんにちは。

先日は、岡山に移住した知人の訪問をきっかけに、
同県各地のかご文化をめぐる旅に行ってきました。

岡山には、真竹やいぐさ、ガマを使用した編組品があります。
今回は、それぞれの地域を訪ね、製作の工程を見学してきました。

はじめに訪れたのは、北部に位置する蒜山(ひるぜん)。
鳥取との県境にほど近い、ガマ細工の産地を訪ねます。

「晴れの国」で知られる岡山ですが、ここは西日本有数の豪雪地帯!
訪問時の気温は氷点下、積雪も70cmほどあり、一面の雪景色が広がっていました。

寒かった屋外から、工房に入ると、地元の女性達4人が集まって
作業をしていました。

ガマ細工とは、材料となるヒメガマにシナノキの小縄で編みあげた伝統工芸品。
一説によれば、その歴史は600年以上続いているといわれています。

ガマ製品は防水性に富み雪を防ぐため、この地域では欠かせない必需品でした。
積雪の多い地域では欠かせない、雪靴、蓑や笠などから、
背負いかごや弁当かごなど、さまざま生活の道具が生み出されてきました。

わら細工よりもさらに軽く、あたたかいことも特徴の一つ。
素材自体に艶があるので、見た目の美しさも兼ね備えています。

作り手の女性の一人は、「ヒメガマは油分があるから、ずっと手作業をしてても
肌がつるつるなのよ。」と笑って教えてくれました。

 (よく見ると、内部は中空構造になっています)
 
ガマ細工の製作に不可欠なのが、「コモゲタ」と「ツチノコ」という二つの道具。
コモゲタとは木製の織機のことで、小縄を巻きつけ重しの役目をするのがツチノコです。
 
 
(裏側から覗いたところ)

そして、ガマ細工の出来栄えを大きく左右するのが、小縄作りです。

シナノキはこの土地で、「ヤマカゲ」と呼ばれ、初夏から約四か月の間、
水に浸けて外皮を腐らせ、繊維を取り出しやすくします。

薄い皮を取り出し、細く裂いてから、ようやく縄づくりの作業へと移ります。

(目にも留まらぬ、撚りの業!)

作業中にいろいろ質問をしていても、その手は止まることがありません。

その間も、コモゲタにツチノコがぶつかる「コツ、コツ」という音が、
ここちよく響いていました。 
 

編み終えると、いよいよ仕上げの段階に。
筒状にしてあわせた個所を縄で繕い、底部分と持ち手を付ければ完成です!

 
 

今回拝見した作業は、たいへんな下準備をしてきた長い期間に比べると、
ほんの一部分。

湿地帯に自生するヒメガマは、年々少なくなってきており、刈り取り作業も
すべて女性たちだけで行っているとのことでした。

来年の秋の収穫時は、ぜひ助っ人としてお手伝いすることを約束し、
到着時より雪が深くなったこの場所を、後にしたのでした。

征一郎

鹿児島のおかべかご

こんにちは。

先月末、鹿児島のアラヘアムさんでの展示の際、
すこし足を伸ばして、いつもお世話になっている「おかべかご」の
職人さんを訪ねました。

「おかべ」とは、この土地で豆腐の意味。
昔、豆腐屋さんに買い物に行った際、このかごに入れておけば
帰ってくるころに水が切れている といった具合に、
当時はどこの家庭でもみられた生活のかごでした。

現在では、お弁当かごや裁縫箱などに利用されるお客様が多く、
我が家では子供の行事など、家族用のお弁当かごとして活躍しています。

なんと、この日はちょうど、当店が依頼していた「おかべかご」の製作中!
ここ最近のいろいろな話を伺いつつ、作業の現場を見せていただきました。

こちらが、本体の側面にあたる場所。

 

端正な編み目に浮かび上がる波模様が圧巻です。

これまで培ってきた技術をもとに独自に考案した「升(ます)網代の応用型」
の美しさに目を見張ります。

これを筒状に組み合わせ、円柱型にします。

つぎに枠を取り付けます。

外側用と内側用に、大きさと厚みを変えた竹枠を、
外→内の順で、はめ込んでいきます。

本体には真竹を使いますが、枠には、孟宗竹を使用する場合がほとんど。
孟宗竹は、節の部分のデコボコがよりすくないので
枠作りには向いているのだそうです。

竹を直角に曲げる作業には、今はガスバーナーを使っていますが、
その昔は炭を使用していたため、今より何倍もの時間がかかったそうです。

30年以上前に作ったご自身のおかべかごを見せていただきました。
今なお現役で使える丈夫さと、その存在感に、ただただ見入ってしまいました。

作り手のかたは、この道60年近いキャリアをもつ職人さんです。
師匠の師匠から譲り受けた道具を、今も大事に使用されていました。

よくみると、刃の根本の頻繁につかう箇所は
歯が薄くなっていました
 

残念ながら、今のところ後継者はいないそうです。

この地のおかべかごの伝統が絶えることなく、
この道具たちも、いつか新たな作り手のもとへと旅立つ日がくることを
願わずにいられません。

伊藤征一郎

九州巡回展 @アラヘアム

こんにちは。伊藤征一郎です。

この週末は、鹿児島・鹿屋市の アラヘアム に行ってきました。
九州巡回展の皮切りとなる初日、店頭で販売をさせていただきました。

台風の影響が心配でしたが、うまく先に通り過ぎてくれて、
恵まれた天気となりました。

アラヘアムさんに来たのは二度目なのですが、なんといっても
その広い空間に、自由に葉先を伸ばす観葉植物たちに魅了されてしまいます。
(思わず、胸元ほどの高さの植物を購入してしまいました。)

アラヘアムの常連の方々に加えて、当ネットショップをご利用いただいている
お客様にもお会いすることができて、とてもうれしい機会となりました。

展示場所は、店内に鎮座する巨大な緑のコンテナのなか。
とても広いスペースなので、250点ほどの製品を並べてもゆったりご覧いただけます。

 
 
 開催は、11月6日(水)までとなります。

ぜひたくさんの方に足を運んでいただければ嬉しく思います。

併設のカフェも、おすすめです。
ボリュームたっぷりのランチメニューに、スウィーツやドリンクも一つ一つ
手間暇かけて作られています。
スタッフの方々による、すべてのお客様に気持ちよく過ごしてもらいたい
という思いと空間づくりが随所に伝わってくるのでした。

ぼくも本当に楽しい時間を過ごすことができました。
アラヘアムの皆様、ありがとうございました!

伊藤征一郎

北海道を旅してきました

こんにちは。伊藤征一郎です。
先週は、少し早目の夏休みをいただきました。
期間中にご利用予定のお客様には、ご迷惑をおかけいたしました。

一週間ほど、家族で北海道を旅してきました。
僕は東京生まれなのですが、親戚の多くが網走に住んでいたこともあり、
幼少のころの夏休みといえば、この土地で過ごすことが多かったのです。

というわけで、旅の初日は網走に滞在しました。
網走といえば、なんといっても刑務所とオホーツク海の流氷のイメージが
強いと思いますが、個人的にとてもおすすめしたい場所があります。

それは、北方民族博物館です。
グリーンランドから北欧のサーメ人、ユーラシア~北アメリカのイヌイット、
そして北海道のアイヌの人々。
その文化とくらしの道具の品々を、ていねいに紹介している施設です。
これまで何度となく足を運んでいるのですが、いつも長居してしまいます。

そして、バスケット類も数多く展示されていました。
特に白樺樹皮はポピュラーなかごの材料で、シンプルな暮らしのカゴから
うつくしい装飾を施したものまで存在し、北国の暮らしに不可欠な素材
であることを実感できました。

 
 
白樺樹皮で覆ったカヌーも!

この夏は、ワークショップや企画展など、さまざまなイベントも予定されているようです。
ぜひ、網走にお越しの際は、立ち寄ってみてください!

それからの数日は、道内の知人を訪ねつつ、アイヌの人々の暮らしを展示している
場所を訪れました。

その中でも、印象的だったのが、アイヌ語で「チセ」と呼ばれる住居です。

 

一般的に用いられる材料は、「カヤ」が多いのですが、上川地方でみられるチセは、
「ササ」が使われていました。

茎の内部に空気の層をもつササは、内陸部の厳しい寒さをしのぐ材料として
最適だったのでしょう。

実際に、その中に足を踏み入れると、しっとりあたたかな雰囲気に包まれました。

そして旅の後半、次に向かった先は、カムイミンタラ!
アイヌ語で、「神々の遊ぶ場所」という意味で、大雪山のことをいいます。
ロープウェーも利用できるので、子供連れでも気軽に登山を楽しむことができました。

当日は快晴に恵まれ、頂上付近では見事な雪形が現れました。
いろいろな鳥やシャチなどの動物たちにも見える、大自然のオブジェ。
まるで極北の動物たちが、集まって遊んでいるかのように見えました。

と駆け足ではありましたが、北海道の魅力を十分満喫した旅となりました。
そして、気分一新、新たな気持ちで業務を再開しています。

8月は『ケニアの手仕事展』など、新たなイベントを予定しています。
引き続きどうぞよろしくお願いします!

福島の旅 西から東【後篇】

さてさて、昭和村でからむしの成長を確認した後は、足早に西へと向かいます。

新潟県にほど近い奥会津から、浜通りとよばれる海側のいわき市までは
その距離約200km。

同じ県内でも車で3時間ちかくかかるのですから、福島県はほんとうに広いですね。
ちなみに、北海道、岩手に続く、日本で三番目に大きい都道府県になります。

いわき市に向かう目的は、「生活の布と鉄 omoto」さんを訪ねるため。
鍛冶の技術をもつ鈴木康人さんと、アパレル業界での経験からオリジナルの服など
布製品をつくるパートナーの智子さんとのお二人で活動しています。

東京では過去に何度かお会いする機会があったものの、工房を訪問するのは
初めてのこと。とても楽しみです。

到着したのは、お昼前ということもあり。。。
なんと、とてもおいしそうなお昼ご飯を用意していただいていました。

 

おいしい野菜がたっぷりの玄米ベジランチ!
素材のひとつひとつがしみじみおいしい、最高のお昼ご飯でした!

そしてこの部屋は、縁側と庭に続いており、なんとも気持ちのいい
風が吹くのです。居心地のよいカフェにお邪魔した錯覚に陥ります。

その後は、お二人の作業場や、所狭しと置かれている古道具たちを
眺めて過ごす至福の時間でした。


かごもたくさん!

そんな中、康人さんの「鍛冶やってみない?」のあまーいお誘いが!
実は、その後、栃木に向かう予定があったのですが、すぐにキャンセルし
弟子入りしてしまうのでした。

まずは師匠のお手本を拝見。
鍛冶の基本要素が詰まった、和釘づくりを習います。

今回の旅の道連れ、いしちゃんが挑戦。
 
 
そして、ぼく。
 
 
あたまで理解しても、なかなか身体が。。。

うまれてはじめて、「鉄は熱いうちに打て!」 の意味が理解できました。

そして何よりも、これまで体験したことと異なる感覚、
ものづくりの原点のような・・・、物を作り出すことそのものの楽しさと
魅力というものを、実感する機会となりました。
鍛冶、はまりそうです!

すこしは成長がみられた二本目(左側)
 


今回は、あっという間の二日間でしたが、西と東の福島のふところの深さを実感し、
ひとつひとつの作業を無駄なく、ていねいにものをつくる人々と出会うことができました。

そして、先々で出会った人々の歓待の心が、一番の印象に残ったのでした。

康人さん、智子さん、たのしい時間をありがとうございました。
次回は、もっといろんな鉄を打ちたい!!

omotoさんの作品は、こちらの展示スケジュールでご覧いただけます→

征一郎

福島の旅。西から東。

こんにちは。

梅雨入り後も、雨がほとんどなく、晴れ間続きの毎日でしたが、
ここ東京にしがわの数日は、すっかり梅雨らしいお天気になってきました。

さて、先週はまたまた福島へ。
かけあしながら、西の昭和村から東のいわきまで、友人と足を運んできました。

まずは、三週間ぶりに昭和村へ。
この時はまだ桜や残雪が残っていたくらいですが、もうすっかり夏の気配が
色濃くなっていました。

 
 

前回の訪問は5/20頃。
からむしの「焼き畑」を見学しました。

焼き畑後のからむし
 
あれから約三週間が経過。
畑のからむしたちはどうなっているのでしょうか?
 
 
 
おおっ!
順調に、育っています。大きなもので1mほどでしょうか。
収穫期の来月中旬頃には、なんと2m以上に成長しているそうです。
 
ここ昭和村までは、東京から車で5時間以上かかるのですが、これはぜひとも
収穫までの成長を見届けたいものです。
 
さて、その後は一路、西をめざし、
いわき市で活動している「omoto」の鈴木さんご夫妻を訪ねます。
 
福島の手仕事を巡る旅がつづきます。
 
 
征一郎

        

からむし織をめぐる旅 続編

さてさて、つぎの作業はいよいよ「垣つくり」。
焼き畑、施肥の作業を終えた後に、畑の周囲を囲む作業です。

今日、作業を見学させていただくのは、斉藤さんです。
背が高くて、動きが機敏。とっても、カッコイイ方なのです!

(施肥後にワラをしいた状態で、垣作りがスタートします)
 

垣の素材に用いるのは、「カヤ」の一種。
畑を覆ったわらと比べると赤みが強く、硬さもありしっかりしています。

いまでは、石油素材の網を用いることが一般的になってきたようですが、
斉藤さん曰く、
「垣作りには、このカヤが一番。畑の立地により、風向きも微妙に異なるんだ。
ウチの畑の場合、風が強くあたる方角には、カヤを厚くしてやる。
そうすれば、からむしが成長する環境を同じにしてやれるからね。」
そう言いながら、テキパキと囲いの作業を進めていくのでした。

(本当に仕事が早いのです!)
 
(高さもピタッーと揃いました)
 
 
 (完成! 自然に溶け込むうつくしさです。)
 
午後から開始の作業も、夕方過ぎには、すべての作業が終了しました。

斉藤さんの話は、知識と経験に裏打ちされており、なおかつ段階的に

わかりやすく説明してくれるので、とーってもおもしろかったです。
貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました!
 
そして夏の収穫、秋の糸づくり(苧績み:おうみ)と織りの作業、
雪の中での寒晒しと、織物として完成するまでにはまだまだ気の遠くなるような
手仕事が続きます。
からむし織が生み出されるまでにかかる手間の多さ、そしてこの技に凝縮された
人びとの知恵と苦労は知るにつれ心を打たれます。
 

編み組みが盛んな奥会津の中でも、特に繊細で美しいかごが

昭和村で生み出されている理由が、わかったような気がしました。

 
征一郎

からむし織をめぐる旅

こんにちは。
ここ数日の東京は、夏の様な暑さが続いていますね!

しかし、先週の三日間を過ごした福島県の昭和村では、
まだ残雪や桜の花も残っていて、初春のような季節でした。

昭和村は、またたび笊などの編組品づくりがとても盛んな土地。
農閑期の手仕事の性格から、かごづくりは冬時期が中心となります。

それでは、今がどんな時期かというと・・・、田植えなどの農作業に
とても忙しい季節で、村のいたる所でこのような美しい光景が見られるのでした。

今回の旅の目的も、かごではありません。

昨年の冬に訪問した際、「寒晒し(かんざらし)」の作業を見学した
「からむし織」について学ぶためなのでした。
(この時のブログは→ )

すべての行程で、とても手間のかかるこの織り物のことを知り、
一度、今の時期にも、訪れてみたかったのです。

「からむし」とは、イラクサ科の多年生植物で、別名で「苧麻(ちょま)」ともいいます。
昭和村は本州では唯一の生産地。

6百年ほども昔から、高品質の原麻を生産・供給してきました。

ちょうどこの時期は、「焼畑」の時期。
焼畑を行うことで、からむしの成長と品質を均一化させる効果があり、
同時に、害虫の駆除、残った灰が肥料になるなど、とても重要な作業です。

今回、焼畑を取材させていただいたおばあちゃんは、今年で76歳。
なんと7歳の頃には、すでに作業の手伝いをしていた! というから、
かれこれ70年近いキャリアの持ち主です。

雑草を取り除いた畑の全体に、ワラを敷いてよく乾燥させます。
乾ききった夕方過ぎに火を点けると、わずか数分で炎が広がって行きました。

 

 

焼け残ったからむしの芽。
すぐに畑全体に水をかけていきます。

そしてその後は、「施肥」という作業に移ります。
全体に有機肥料を蒔き、その上にふたたびワラを敷き詰めていくのです。

これにより乾燥を防いで、雑草をあとから生えにくくする役割があります。
化学肥料はからむしに不向きで、繊維の質が悪くなってしまうことから
使われません。

とてもデリケートな植物であることが伺えます。

肥料は地域や家庭によって、それぞれ
異なるものを使用しているそう。
つづいてまんべんなくワラを敷きつめていきます。
黄金色のワラがうつくしい

この規模の畑で、収穫できる原麻は約250-300匁(もんめ)ほど。
100匁は約380gですから、全体で1kg前後の量です。

そして、取引される価格は原麻の質で決まるといい、最上級の場合は
100匁で1万円強、並みの評価の場合、約半分の値になってしまうということでした。
たいへん手間のかかる作業にもかかわらず、手にできる現金は決して
多くはありません。
そして、夏の収穫、秋の糸づくりが控えており、仕事はまだまだはじまったばかり。

これまで、かごがつくられるまでの行程は何度となく見てきたつもりですが、
このからむし織が生み出されるまでにかかる、手作業の多さに驚きました。
代々育ててきた、からむしの根っこを大事に保管し、畑を耕し、
良質の農産物として育てるところからスタートするのですから。

今日の取材はここまで。
明日は、畑の囲いとなる、「垣作り」の現場を見せていただきます。

征一郎

熊本の竹細工探訪

こんにちは。
この週末は、熊本に行ってきました。

今年の1月には、鹿児島・宮崎・大分をめぐり、現地を代表する竹細工の
職人さんたちにお会いしてきました。
九州の東側を海沿いに北上したわけですが、対する西側の熊本県では
どのような文化を持っているのか、ずっと気になっていたのです。

今回は、熊本を代表する三人の職人さんを訪ねてきました。
中でも一番印象的だったのは、天草にほど近い町でかご作りを続けてきた
80歳を越えた職人の方でした。

特筆すべきは、おもに天草の漁師さんのためのかごを作りつつも、
日常の生活のカゴから、工芸品として扱われる百貨店向けの製品まで
幅広く作られていたところです。

花籠を中心に製作活動をしてきた父の影響も受け、親子で別府に滞在する
ことも多かったそうです。たくさんの技法を習得したことが、その後の製作活動に
影響を与えました。

別府ではかごづくりの技術だけでなく、
漆の配合を学んだことも重要だった。
 
これは飯じょうけ。
親戚が集まるときは、いつも使ったそう。
 


使い込まれた厚い手帳には、300種類を超える製品の詳細が記録されていました。
これまで、仕事で訪れる先には、つねにその記録が参考にできるよう、
持ち歩いてきたのだといいます。

漁師さんから求められるのは、サイズや軽さ、耐久性といったことだけ
ではありません。
「捕まえた魚や仕掛けた生餌を、どれだけ長い時間、生かしておくことができるか」
それがもっとも重要な条件でした。

これは車エビ用のかご
 

それには、かごの中で、どれだけ自然に潮が流れるようにするかが、
大切です。
そのために、仕掛ける漁場の潮の流れに応じて、網目の大きさを調節したり、
生き物の体を傷つけないかご作りを心がけたそうです。

「長生きするかご」は、漁師の間でたちまち評判となり、その後は
自らかごを販売する必要がほとんどなかったといいます。

残念ながらここ数年は、体の自由もきかなくなり、往年のようなかご作りは
できなくなってしまいました。
しかし、その考えや技術を学び、いまや愛弟子といえる作り手も
活躍してはじめています。

  

どれも興味深い話しばかりで、気づけば4時間近くを過ごしていました。

「あと10年早く会えれば、あなたのためにかごを作ることができたのに。」
その一言がたいへんありがたく、この旅の一番の思い出となったのでした。

征一郎

つぐらをめぐる旅

こんにちは。伊藤征一郎です。

この数日は、すっかり春の気配が色濃くなってきましたね。
こちら東京の西側も、梅の花がきれいに開いています。

先週は、「つぐら」をもとめて、長野県の栄村に行ってきました。

まだまだ雪が深く残っていて、除雪された道路の脇には、
壁のような高さの雪が残っていました。

「つぐら」とは、藁で編んだかごのこと。
地方によっては「ちぐら」とも呼ばれています。

米どころであり、国内有数の豪雪地帯でもあるこの地では、
冬場の手仕事として、わらを使用したかご作りが盛んな土地です。

旅のきっかけは、お櫃を保温するわら細工を探していたことに始まります。

偶然にも知人の知人を通じて、現地を代表する作り手の方に製作を
お願いすることができました。

今回は、その方を訪ねる旅。友人であり写真家の大西暢夫さんも一緒で、
たのしい訪問となりそうです。

こちらが「飯つぐら」です。
三合用のお櫃に合うよう、作っていただきました。

作り手のおじいちゃんは、90歳に近い年齢。
一つ年上のおばあちゃんと、とても仲良くされていたのが微笑ましかったです。

たくさんの郷土料理でもてなしていただきました。
 

しばし談笑のあと、実際の作業を見せていただくことに。
一本のわらをつかんで、一本づつ継ぎ足し継ぎ足し編み込んでいくのです。

 

 

大西さんも、撮影に力が入ります。
 

 

これは、70年前に作ったという、育児用のつぐら。
農繁期の忙しい時に、赤ちゃんを入れたカゴです。
仕事中に目を離しても危なくないように、工夫してつくられています。

作業後に、おじいちゃんの手を見せていただきました。
長年の作業で、人差し指が変形していましたが、つややかでやわらかい
職人の手でした。

「習いたい人がいるのなら、おしえたい。このつぐらづくりを残していってほしい。」
最後におじいちゃんの語った一言が、とても印象的でした。

征一郎



昭和村の雪祭り

こんにちは。
日一日と春の気配が近づいてきたと思ったら、今日の東京は数度目の
雪となりましたね。

先週末は、福島県の奥会津に行ってきました。
からむし織やまたたび細工など、ていねいな手仕事で知られる昭和村です。

今回の目的は、地元の「ゆきまつり」を見学すること。
いろいろな知り合いやつくり手の方から、この雪まつりのことを聞いていて、
かねてから足を運んでみたいと思っていたのでした。

ゆきまつり当日は、快晴! 
前日の大荒れの天気から一変。青空に恵まれました!

廃校になった喰丸小学校は雪に覆われていました。

会場も、もちろん一面の雪。
つきたてのお餅や、甘酒は無料でふるまわれ、たくさんの郷土料理の
お店も並びます。

なかでも目を引いたのが、お餅の専門店。
出店にしてはあまりに種類が豊富なので、思わず見入ってしまいました。
「栃餅」・「凍み餅」・「三色餅」・・・、えっ、「バンディー餅」。

バンダイ地方由来の餅なのかと思って、ひとりのおばあちゃんに聞いてみると、
「もち米」じゃなく「うるち米」を使っているからとのこと。
結局、バンディーの名の由来は教えてもらえませんでした。

おなかを満たした後は、からむし織の「雪晒し」の実演を見学。
このような晴れわたった朝に、水に濡らしたからむし織を、固まった雪の上に広げると
布が白く、しなやかになるとされています。
紫外線と水蒸気の化学反応を利用したもののようで、先人たちは
暮らしの中の経験で知っていたのでしょう。

 
 
   風が少し吹いただけでも大変そう。
ゴム手袋のなかった時代は本当にたいへんな作業だったことでしょう。
 

豪雪地帯のこの土地で、しかも一年で一番雪の多いこの時期に開催される
ゆきまつり。

そこには、家にこもりがちな季節に、準備のための会合を重ね、
人々の交流を促す意味も込められているように思われます。

厳しい冬をのりこえるための、特別な意味あいのまつりであるように
感じられました。

征一郎

秋の奥会津へ

皆さまこんにちは。朝子です。
 
この週末は、奥会津を中心に昭和村まで足を延ばしてきました。
 
奥会津は、自然がとても豊かで編み組が盛んな土地。
いつも訪れるたびに、新たな発見や出会いがあります。
 
今回もそれを楽しみに、家族で行ってきました。
 
 
山ぶどうの蔓で、飾り編みを体験。
  
中心になる花結びがようやく完成。
ここまででも、なぜ?というくらい苦労しました(汗)。
 
 
 
こちらは、山葡萄やくるみをつかった
かご作りを続けているお爺さん。
キャリアは50年以上!
 
半世紀にわたってかごを編み続けてきた手です。
 
天井には、くるみの皮が
くるりと丸めて干してありました。
 
何の道具だか分りますか? 手提げの型です。
編み終わってから抜き取ることができるように、
あらかじめ斜めに割って、バンドで留めてあります。
なるほど!

 

宿でたまたま出会った女性は、
この土地に伝わる「からむし織」を学んでいるそう。
糸紡ぎを手ほどきしてもらうという
幸運に恵まれました。
 
「苧績み(おうみ)」と呼ばれる作業で、
苧(カラムシ)の繊維を
指先をつかってひたすらつないでいきます。
山は色づき始めていました。
 
 
 

こんな風景がそこここに。
 

虫たちも冬ごもりを始める季節。
奥会津は、本当に良いところです。

【秋の東北旅6】 旅の終わり

今日は旅の最終日。

青森から、鈴竹細工の産地である二戸を経由し、再び盛岡へ戻ってきました。

昨晩の宿は、「熊ヶ井旅館」。
盛岡の中心地といえども、数少なくなってしまった昔ながらの旅館です。
蔵造りで民藝調の佇まいで、とても懐かしい雰囲気の宿です。

隣接する「熊ヶ井食堂」の夕食がおいしかったなあ。
カウンターで隣り合った人たちとの会話も弾み、たのしい夜となりました。
これも、オーナーがはぐくむこの店の雰囲気ならではなのでしょう。

この日は盛岡市内でいくつかの用事を済ませ、ランチは「カルタ」さんへ。
かねてから足を運んでみたかった場所だったのですが、今回はじめて来ることができました。

そして、そこで見つけたものは・・・

 
お客様の荷物入れに使っているそうです。うれしくなって、撮影させてもらいました。
 
オーナーの加賀谷さんは、とてもおだやかでやさしい方でした。
なるほど、店内を流れるゆったりとした時間の秘密が分かったような気がしました。
もちろん、食事もコーヒーもとてもおいしかったです。
 
秋の東北旅も最終日。
たくさんの出会いや発見がありました。
 
今回学んだ多くのことを、できるだけ日々の業務にも取り入れながら、

次回の訪問を楽しみにしたいと思っています。

 
 
征一郎

【秋の東北旅5】 青森・岩木山へ(りんご籠)

さて、翌日は岩木山麓へ向かいます。

この地では、あけび細工に加え、りんごの収穫かごとして発展してきた
根曲竹細工も、青森県を代表する伝統工芸品として知られています。

今日はその第一人者でおられる、三上さんを訪ねます。

今回でかれこれ3度目の訪問なのですが、半年前の3月に訪れた当日は
ひどい吹雪でした。まだまだ雪が高く積もっていたなあ。。。
しかし、この日は9月後半というのに、気温は30度を超える暑さ。

なんと2日前の9/18には、最高気温が35度以上を記録したそうです。
最低気温が20度だったそうですから、その気温差は15度以上。
あらためて、気象条件のきびしい土地であることを実感しました。

弘前市から車を走らせ、無事に到着。
三上さんは夏の定位置(涼しいトラックの荷台!)で、作業をしておられました。

 
 


その時に、製作していたのは、なんとうれしいことに当店が依頼していた製品。
大型の「脱衣籠」です。

その、一部始終を見せていただいたのですが、目にもとまらぬ早業で
つぎつぎに籠をつくりあげていくのでした。

(まずは、ひごを六つ目に組み合わせていきます)
 
(まるで計ったように均等な六つ目のうつくしさ)
 
(縁を巻いたら、完成です。)
 

その手さばきと、仕上がっていく過程の見事さに見入ってしまい、
二時間ほど滞在してしまったでしょうか。
 
そして三上さんは、いつ質問をしても、手を動かしつつ気さくに答えてくれるので、
いつも長居してしまうのです。
 
 
 
(すでに完成済みの「カゴアミドリ」行き製品。間もなく到着予定です!)
 
 
今回も、いろいろな話を聞くことができ、とても勉強になる訪問となりました。

本当にありがとうございました。

 
征一郎

【秋の東北旅 番外編】秋田の中山人形

こんにちは。

ブログの更新がなかなか進まない、東北を巡る旅ですが、
それにもかかわらず、今回は番外編をお届けします。

秋田の「中山人形」はご存知ですか?

僕はさほど詳しくなかったので、これまで知っていたのは
十二支の土鈴や、金太郎から預けられたまさかりを担ぐうさぎ
くらいでした。

 
 

その日は、ちょうどあけび細工の職人さんを訪ねた後だったのですが、
その工房が横手の駅近くにあると知り、立ち寄ってみたところ
すっかりその魅力にはまってしまいました。

その歴史や背景を、中山人形店の5代目、樋渡さんに話を伺いました。

最近では、飾って楽しむ人形となりつつあるそうですが、貧しかった時代には、
こどもの玩具として、とても愛されてきました。
 特に、本物のひな人形がなかなか買えない時代、幼い女の子たちは、
土雛の中山人形をならべて遊んだそうです。

 

店内のケースには、古い中山人形も展示されています。

たくさん手で触って、何度もおとして傷ついたのでしょう。それが、とてもいい
味わいになっていて、魅力がましているように思いました。

個人的には、下の農作業シリーズ?にとても心ひかれたのですが、
残念ながらこの型はもうなくなってしまっているとのこと。

(当時の生活を、そのまま表現した人形が多いのも特色)

そして、型自体が土でつくられていることから、長年にわたって同じものを
作り続ける自体、とても難しいものであるということを知りました。
つくればつくるほど、型がすり減り、すこしずつ大きさをましてくるという話は、
とても興味深かったです。

同じ製品を量産しつづける方法もあると思いますが、手間ひまかけて
作り続けることの価値を再発見したような気がします。

伝統的な中山人形をいくつか購入し、在庫の無いものはいくつか注文をしてきました。
届くのがとてもたのしみです。


 

(題して、「一服」。これも、注文しちゃいました。)

征一郎

【秋の東北旅3】岩手県 旧沢内村へ

まだまだ旅は続きます。

翌日は、岩手県西部に位置する西和賀町(旧沢内村)へ向かいました。

以前、岩手の里山に住む方に、「岩手県の秘境はどこですか?」
と聞いたことがありました。そのときの、「沢内村かなあ」という答えが
今も記憶に残っています。
自然がとても豊かで、文化も色濃く残っているのでしょう。
とても楽しみです。

(かがやく稲穂がお出迎え)
 
(そば作りも盛ん。そばの花が満開でした。)

 (近くの農家では、おばあちゃんが洗った小豆を乾燥中。
冬は縄づくりもされるのだとか)

無事に到着。盛岡からは、車で1時間ほどの距離でしょうか。
この地では、30年ほど前にあけび細工を中心とした編組品の製作活動が
はじまりました。

当初は、秋田や青森など、あけび細工を代表する産地から講師を招き、
材料の採取からかごの完成まで、レクチャーを受けたそうです。

(採取したあけび蔓の葉を落とし、整え、乾燥させます)
 

当時は30人ほどのつくり手がいたそうですが、やはり高齢化の問題も
影響し、現在中心となっているメンバーは6人ほどとなっています。

(飾られた写真はみんな笑顔。長靴に混じって、雪靴の人も!)

今日は、ここに移住して、農園を営みながら、あけび細工を学んでいる
30代の女性と待ち合わせし、案内していただきました。

3人のお子さんを育てながら、有機のお米やお花などを栽培し、余った時間は
かごづくりにも取り組むすてきな方です。
思えば、子育て・農業・手仕事、いずれも愛情と手間暇が必要なことばかり。
感心してしまいます。

地元の農家レストランで、おいしい昼食をはさみながら、ゆっくりとお話ができ
貴重な時間となりました。
いま、おばあちゃんたちのこれまでの活動や製品を紹介しながら、
将来の若いつくり手が継承していくために、必要なことはなにか? について
とても真剣に考えていました。

今回の出会いをきっかけに、当店でも将来なにか協力できることがあれば、
とてもうれしいことです。

後日談なのですが、沢内村を離れたあと、秋田の著名なあけび職人である
中川原信一さんを訪ねました。そして分かったことなのですが、
30年前、この地域に講師として技術を伝えたのは、中川原さんとお父様だったそうです。

沢内村の活動は今も気に掛けておられ、近くを通る際は立ち寄ることも
あるとか。

それから数日後、旅の最終日に盛岡で泊った「熊ヶ井旅館」では、
お女将さんが、沢内村のくるみ籠を愛用していることも発見!

(手前は10年、奥は5年ほど前に購入だそう。
よい味がでていました。)

というわけで、沢内村のかごを巡る旅。
僕の中で、その輪が広がりをみせてきました。

近いうちに、商品とともに詳しくご紹介したいと思っています。

征一郎

【秋の東北旅2】小岩井クラフトフェア

さて、その翌日。
たのしい時間とおもてなしを提供していただいた「フィールドノート」さんに別れを告げ、
今日は盛岡方面に戻ります。

 

ちょうど、小岩井農場で年に一度の「クラフトフェア」が行われていると聞き、
みなで足を運んできました。
90軒ほどの出店者のテントが並んだ会場は、たくさんの人でにぎわっていました。

タイマグラ在住で、いつも訪問させていただいている安部智穂さんは、
このイベントの主催者をしているため、ちょうど入れ違い。
今回はこの会場でお会いできました。(安部さんによるイベントの報告は「こちら」)

もちろん、パートナーであり、桶職人の奥畑さんも出店しています。
すぐれもののお櫃たちが勢ぞろい!早速、友人も購入していました。

(南部桶正のお櫃。我が家でも愛用してます!)
 
 
緑の木々に囲まれ、きもちよい環境の中、訪れた人々がとてもくつろいでいる
雰囲気が印象的でした。
なんとこの「小岩井クラフトフェア」は、今年で10年目だそう!

主催者の方々の長年の努力と、このイベントを楽しみにしている方々の輪が
有機的に広がっているイベントなのだなあと思いました。

さて、その後は盛岡駅周辺を散策したあと、みなと別れました。

(のんびり中津川沿いを歩くのが好きだなあ)
 

そして、僕はこのまま北東北をめぐり、かご作りのみなさんを訪問してきます。
というわけで、次回はかごの産地をレポートする予定です!

征一郎

【秋の東北旅1】ハヤチネとタイマグラ

こんにちは。

先週末より岩手にやってきています。
日本百名山の一つでもある「早池峰山」にのぼるため、友人4名でやってきました。

一足早い秋の涼しさを期待していたのですが、地元の方も驚くほどの猛暑続き!
滞在中はほとんど毎日、 日中は30度を超える猛暑が続いていました。

登山当日はすばらしい快晴!
鉱物学的にも珍しい蛇紋岩と、高山植物の花々の組み合わせが特徴的な山です。

早池峰山は、今回で三回目の登山になるのですが、訪れるたびにこの環境を守ろうと
熱心に活動されるボランティアの皆さんを目にします。
この日も、駐車場の案内からトレイルの整備、そして今年より本格的に携帯トイレの
義務化に取り組み、その理由と使い方をていねいに説明していました。
(すばらしい取り組みだと思います!)

登りはじめてから約三時間、山頂に到着しました!
頂上から派生する尾根を歩くのは、ちょっとした縦走気分が味わえます。
奥に見える岩場の剣ヶ峰で、しばし休憩を取りました。

(見下せば、宿泊場所のタイマグラを発見!)
 
今宵の宿を見つけた途端、急速にのどが渇き、おなかがすいてしまうのはなぜでしょう。
ちょっぴり急ぎ足で下山を開始!
 

 
(ちょっとスリリングな場所もあり。)
 
無事に下山し、前日よりお世話になっている山小屋、「フィールドノート」に到着。

疲労感はあれどおいしい食事とたのしい話題に、ついつい今夜も夜更かしして
しまうのでした。
 
(釣りの師匠W氏が前日に釣ったイワナ→その後骨酒)
 
まだまだ、旅は続きます。
 
 
征一郎

近江八幡へ

さて、モーニングでお腹を満たした後は、琵琶湖東岸を目指します。
お隣の滋賀県で行われている「現代の名工 廣島一夫の手仕事」の展示を
見に行くためです。

かご職人の廣島さんは、現在97歳。
宮崎県の日之影町で生まれ、15歳のときに竹細工職人に弟子入りしたといいますから、
実に80年以上を製作活動に携わっている方です。

その籠を、地元の宮崎県以外でみることはなかなか難しいため、この機会に
思い切って足を延ばしてみることにしたのです。

お昼をすぎた頃、近江八幡に到着。
人影もまばらな歴史ある古い街並みを歩いてみると、なんだかとてもなつかしい雰囲気
が漂っていて、タイムスリップしたような感覚になりました。

そうこうするうちに、「ボーダーレス・アートギャラリー NO-MA」に到着。
旧野間邸を改築したという由緒ある建物に、竹細工の展示がとてもマッチしていました。

早速、一階に展示されている、廣島一夫さんの作品を拝見。

この展示では、写真撮影が可能なだけでなく、すべての展示物を実際に手に取ることが
できるのです。

「おりがつくる籠は見るためのものじゃねえとよ。使うためのものじゃ」
というご自身のお言葉通り、主催されている方々が、その籠たちをどのように捉え、
どのように見てほしいのか、その姿勢が伝わってくるような展示でした。

ひとつひとつため息が出そうな、精巧な作りであることはもちろんなのですが、
何よりも魅力的に感じるのは、使う側の道具としての機能と耐久性を第一に考え、
つくられているところ。
無駄なものをすべてそぎ落とした、究極のデザインのようにも映りました。

とくに、「かるい」と呼ばれる背負い籠は、象徴的な道具です。

平面では安定しない逆三角形の形状ですが、実際に背負ってみるととても背中に
フィットしました。また、斜面の多い山岳地域では、籠をおろした時にこの形のほうが
逆に安定するというのです。

長い間、使用を繰りかえすことによって培われてきた、たくさんの経験や知恵が詰まった
道具だと思いました。

その後は、若手の職人の方々のトークが行われました。
立ち見もでる盛況ぶりで、一般の方だけではなく、竹細工職人をめざしている
方々も多く参加されていたようです。

特に、現地に移住して廣島さんに弟子入りし、お若いながらも職人として活躍
されている小川鉄平さんの話はたいへん興味深かったです。
この日は残念ながら、実演風景を見ることできなかったので、いつか現地に
うかがう機会を作って、話を聞いてみたいと思いました。

そして、何よりもこのイベントで印象的だったのが、主催側のみなさんが一体と
なっているその場の空気感にあったような気がします。
このような会が今後も続いていくことで、つくる側とつかう側が、これまで以上に
有機的につながっていける・・・そんな希望を感じた会でした。

主催された皆さま、すばらしい展示と楽しい時間をありがとうございました。
今後のご活躍を期待しております。

征一郎

朝食はモーニング

さて、翌日は滋賀県の近江八幡に向かいます。

お世話になった大西さん一家とお別れする前に、池田町名物のモーニング!
で朝食を摂ることにしました。

岐阜県は、愛知同様モーニングの文化が根付き、特にこの周辺は激戦区だそう。

車を走らせていると、どのお店にも黄色いランプがくるくる回転しています。
一見、工事中? かと思うのですが、これは席の空き状況を外から知らせるための
目印になっているとのことでした。

土曜の朝ということもあり、どの喫茶店の駐車場も混雑していました。

関西に近いから、いくぶんコテコテ度が高かったりするのでしょうか?
池田町のモーニングには、「茶わん蒸し付き」のお店が多いのだそうですが、
この日は子どもたちも喜びそうな、ちょっと洋風なお店へ。

(モーニング=コーヒー一杯分の価格=¥390也)

店内は家族連れの人がほとんどで、週末のちょっと遅い朝食を家族で楽しむ
土地柄なのでしょう。いろいろな店をまわって、それぞれの違いを楽しむのは、
とても楽しそうです。

大西さんファミリーとはここでお別れするのですが、その時間が次第に近づいてくると、
子どもたちがすこし不機嫌になったり、徐々に口数が減ってくるのが、なんだか
かわいらしかったです。

そして、我々は一路西へ向かい、旅は続きます。

征一郎

水になった村へ

映画「水になった村」を見てから、ずっと行きたいと思っていた徳山湖(徳山ダム)。

この映画の監督であり、知人である大西暢夫さんのご家族と一緒に
ダムを案内をしていただくという、とても贅沢な一日のはじまりです。

大西さんのお子さんは、我が家のむすめと同じ年頃。
昨年にはじめて会ってから友だち同士なので、今回の旅は
とても楽しみにしてくれていたようです。

さて、池田町にある大西さんの自宅を出発し、揖斐川沿いに車を走らせます。
いくつかのカーブを抜け、1時間半程度のドライブで徳山ダムにつきました。

背後の湖面はとても穏やかで、取り囲んだ山々が水面に映っていました。

しかし、この湖面の下は、かつては徳山村の中心地。
少しの時間でしたが、当時の人々のくらしや学校に通う子どもたちに、
思いをはせてみました。

 (ダムに沈んだ徳山小学校の位置を示すポスター)

視線を前方に向けると、深さが160m以上もあるという日本最大級のダムの姿を
見下ろす形となります。

日本一の貯水量を誇るこの巨大なダムは、貯水開始から満水に近い状態になるまでに
二年近い時間がかかったそうです。

(GWには観光放流が行われ、とてもにぎわうそうです)
その後、すこし奥に位置する「徳山会館」へ。

ここには、かつての徳山村の暮らしを紹介する展示スペースがあり、
村出身のアマチュア写真家・増山たづこさんの写真が多数展示されていました。

増山さんご自身は、ダム建設に反対であったそうですが、
「国がやろうと思うことは戦争もダムも必ずやるから、反対するのは大河に蟻が
さからうようなもの」 として、この事実を受け止めていたそうです。

しかし、「(太平洋戦争で亡くなられた)夫がいつ帰って来ても、ダムに沈んでいった
徳山村の事を伝えられるようにしたい」と、60歳を超えてから、消えゆく村の生活の
あらゆるものを被写体に、8万点以上の写真を残されました。

ちなみに愛機はピッカリコニカだったそう。

今は、ダムに沈んでしまった村の上に展示された、増山さん写真の数々が、
ダムを訪れる人々に、かつての徳山村を豊かさを語りかけてくれるのでした。
さて、お昼ごはんは、会館内のレストランへ。

かつて、徳山名物だったという「地獄うどん」をいただきました。
釜揚げのうどんに、サバの水煮缶と薬味をのせ、醤油をかけて出来上がり!
農作物の収穫時に手伝いに来てくれた、若者たちの胃袋を短時間で満たすために
考案されたおばあちゃんのレシピ。

大量にゆでたうどんを、残さずに食べさせられた・・・ことが、満腹地獄に
例えられたのでしょう。

もちろん、われわれは、おいしくいただきました。


(地獄うどんセットは、本家本元よりだいぶ高級な感じ)




そして夜はというと、揖斐川の夏の風物詩といわれる「やな」で、あゆ料理を
コースでいただき、心もお腹も満たされた旅の一日となりました。

まだまだ旅は続きます。

征一郎

岐阜&滋賀に行ってきました

こんにちは。
まだまだきびしい暑さが続いていますが、朝夕はいくぶん涼しさが感じられる
時期になりましたね。

先週は、数日間の夏休みをいただき、友人と家族の4人で、岐阜と滋賀に
行ってきました。

今回の旅の目的は二つ。

一つめは、今年の春に、タネマキドリの仲間たちと自主上映会を行った、
映画「水になった村」の舞台、岐阜県・徳山ダムを訪れること。

日本最大の貯水量を持つこのダムは、その建設に伴って1600人近い全村民が
移転を余儀なくされ、村が消滅しました。

かつては、自然と寄り添いながら、つつましくも豊かな暮らしを営んできたひとびとの
暮らしに、思いを馳せてきました。

もう一つは、お隣の滋賀県・近江八幡にあるボーダレス・アートミュージアムNO-MA
行くこと。

ここで竹細工の名工として知られている「廣島一夫さんの手仕事展」が
行われると聞き、ぜひ見てみたかったのでした。

どちらも、ふかく印象に残る訪問となりました。
その様子は、ブログで順番にご報告していきたいと思います。

征一郎

苔道のハイキング

こんにちは。

先週末は、7月とは思えないほどの低い気温でしたね。
久しぶりに長袖を着て過ごし、寝る前にあわてて掛け布団を探したり・・・
の数日間でした。

そんな中、日曜日は友人たちと八ヶ岳に行ってきました。
あいにくの曇り空だったのですが、長袖を着て歩いても汗がでないほどよい気温。
登山にはちょうどよい天候でした。

2000m以上の標高から歩きはじめることができ、比較的なだらかなルートが多い
「北八ツ」とよばれるエリアです。
数日前に降った雨で、ルート上は小川の様なところも多かったんですが、
トレイルを囲む苔たちが生き生きとしていて、何度となく足を止めてしまう光景に
出会いました。

季節外れながらも、高山植物のゴゼンタチバナやシャクナゲ、ちょっとコワイ見た目で
「ユウレイタケ」の別名を持つギンリョウソウなどが花を咲かせていました。

(中央は小さな小さなゴゼンタチバナ。しみずさん撮影。)

ひんやりとおいしい空気をたくさん吸い込んで、ちょっとした暑気払いをしたような
ハイキングとなりました!

(山ボーイならぬ、山。。。)

征一郎

東松島より戻りました(後篇)

さて、翌日は東松島市、小野駅前仮設住宅に伺いました。

ここは、大西さんが被災された方々への聞き取り取材を行った場所。

今年2~3月にかけて、住宅内の一部屋にスタジオを作り、
ここに身を寄せるひとりひとりに、震災当時の状況を語ってもらったそうです。

そのインタビューをまとめたのが、先日発行された冊子、
3.11の証言 -心に留める東日本大震災- 」です。

自治会長の武田さんがやさしく出迎えてくれ、お茶をいただきながら、
最近のお話を伺いました。

朝10時を過ぎると、徐々に女性たちが集まりはじめ・・・、
次第ににぎやかになってきました。

共同で製作している「おのくん」の作業のためです。

長い腕を組んで、「めんどくしぇ~」というのが、決めのポーズ。

「おのくん」は、小野駅前仮設住宅からネーミングされた、一対の靴下でつくられる
色とりどりの人形です。

見た目は、サルのような、モグタンのような… 少しカワキモ(すみません)の
領域にあるところに、愛おしさがある気がします。

一つ一つに、「被災後の先の見えない不安の中でも、『めんどくしぇえ~』と
いいながら前向きに、そして新しい未来を自分たちの手で築いていこうと
いう思い」が込められています。

そんな願いを込めつつ、なごやかな雰囲気の中、おかあさんたちがチクチクと
ミシンや手縫いで作っています。

さて、その後は、大西さんのガイド&解説により、東松島~石巻を巡りました。

今となってはきれいに片付き、一見したところでは何も気づかない場所の
一つ一つに、たくさんのドラマがありました。

(線路の無い駅。この小さな建物に登り、ひとりの男性が助かった。)
(東名地区周辺は地盤沈下が激しく、まるで沼地の様)

(鳴瀬川。この河口付近を襲った津波の高さは7.8m)
(津波のあと、火災の被害をうけた石巻の小学校)
(石巻港にかかる橋。中央部にいた人は無事だったそうです。)
がれきが片付き、緑の草が根付きはじめ、日に日に風景が変わっています。
つらい経験をされている人々にとって、一日も早く土地が片付いていくことは
とても大切なことでしょう。
でも、そんな今だからこそ、この景色をしっかり目に焼き付けておきたいと思いました。
今回は、小野駅前仮設住宅の皆様、大西暢夫さんのご協力により、
貴重なお話を伺うことができ、忘れられない時間を過ごすことができました。

本当にありがとうございました。また、必ず伺います!

征一郎

東松島より戻りました(前篇)

7/6と7/7の二日間、宮城県の東松島を訪れてきました。

初日は、写真家の大西暢夫さんと、「タネマキドリ」で一緒に活動している星川さんと
仙台駅で合流し、津波の被害の大きかった沿岸域を目指しました。

大西さんの案内で、まずは南三陸町の中心部へ。
山間の道路を抜け視界が開けてくると、平らな土地はすべて焼け野原のように
広がっていて、大きな建造物以外は何も残っていない状態でした。

もし自分が3.11の当日に、この場所にいたら・・・と想像してしまいます。

海沿いに広がる公園はがれきの山と化し、展示されていたと思われる蒸気機関車が
今も車道に転がっていました。

すぐに日が暮れはじめ、夕食時。
そこで大西さんの地元の知人と、一緒に食事をすることになりました。

向かった先は、「南三陸さんさん商店街」。
復興をめざす30ほどの地元のお店が軒を連ねる仮設商店街です。

なかでも評判のお店で、「ウニ丼」をいただきました。
いや~本当に美味しかったです。

(食べ方のレクチャーを受ける?星川氏)

震災直後に大西さんと出会ったときは、大勢の避難者のために毎日必死に
炊き出しをしていたというこの女性は、はじめて会ったわれわれにもとてもやさしく、
そして元気な方でした。

でも、この方も被災者の一人。
震災以前は町の中心部で美容院を営んでいましたが、津波によって
自宅とお店を失ってしまったそうです。

しかし、現在は高台の場所にコンテナを借り、営業を再開されています!
きっと髪もさっぱり、元気もいただけるお店である事でしょう!

が・・・、これは後から聞いたのですが、この津波によって50人近い
常連客の方々を失ってしまったのだそうです。

顔見知りであるだけでなく、実際に髪に触れてのお付き合いをしてきた
この方にとって、それがどれほどに辛いことか。。。

自分の中で、日に日に震災当時の印象が薄くなってきていることを感じ、
少しでも記憶に残しておきたいと思い企画した、今回の訪問。

このように人と出会い、人の生活を通して聞いた話は、
ずっと忘れないであろうことを実感していく旅となりました。

この日はその後、宿泊先の東松島に移動しました。

翌日はいよいよ仮設住宅を訪れ、景勝地の奥松島から宮城県第二の都市、
石巻までの沿岸を巡ります。

征一郎

宮城・東松島へ行ってきます。

こんにちは。
今日の東京は、この夏一番の暑さとなりましたね。
涼しくなる夕方の時間が、待ち遠しい季節となりました。

さて、今週の金曜日(7/6)はカゴアミドリは臨時休業させていただきまして、
宮城県の津波による被災地に足を運んできます。

現在、当店で販売している写真家・大西暢夫さんの冊子
「3.11の証言 -心に留める東日本大震災 震災報告Ⅱ-」
の取材が行われた、東松島市小野駅前の仮設住宅を訪問する予定です。

写真 大西暢夫

この場所は、今年の3/20にタネマキドリが主催したイベントの収益(¥93.463)
の寄付先でもあり、かねてから現地に訪問したいと考えていたのです。

そしてようやく今週末、大西さんとスケジュールがあったので、タネマキドリの
メンバーとともに足を運んで参ります。

僕にとって、宮城県の沿岸域ははじめての場所。
この機会に、石巻など他の沿岸域の状況も、この機会に見れたらと考えています。
今回の報告は、後日タネマキドリのブログでご紹介しますね。

なお、今回の新冊子は、前作の「東北沿岸600キロ 震災報告」以上の売れ行きで、
すでに増刷が決定だそう!

カゴアミドリ(イベント含む)の両冊子の販売数も、すでに400部を超えています。
今もなお、経費を除いたすべての金額は、大西さんを通じて被災地の方々へ
届けられています。

この冊子の中で語られる津波の状況や、一瞬の判断を迫られた状況を語った記事、
当時の記憶が薄くなりつつある今、一人でも多くの方に読んでいただきたい内容です。
→ご購入は「こちら」まで。

それでは、後日ご報告します!

征一郎

 

松本クラフトフェアに行ってきました。

こんにちは。
先週は松本のクラフトフェアに行ってきました。
年に一度、あがたの森公園で行われる国内最大級のクラフト展です。

日ごろ、かご以外の製品や作り手の方と接する機会が少ないので、
一堂にたくさんの作品をみることができて、作家さんとも直接話しができる、
とても楽しみなイベントなのです。

特に松本は、昔からいつか住んでみたいな~と思っている場所。
町のいろいろな場所に湧水が流れ、古い町並みが残る雰囲気が好きで、
北アルプスの山に登る行きや帰りに、カフェやお店などをよくのぞいたものでした。

今年のクラフトフェアは、両日ともよい天気に恵まれました!
会場はもちろん、水場も賑わっていました。

今年は、竹のしゃもじを購入してみました。
竹と暮らす」の沖原さんが製作されたものです。

これまで自宅では、プラスチックのものを使用していたので、この機会に
よいものはないかと探していたのです。

いつもならだいぶ悩んでしまう価格だったのですが、山深い地域に住み、
竹のカトラリーだけを
専門に作っているという女性作家さんの話を聞くと、
この「しゃもじ」に出会うための時間だったのかもしれないなあ と
思えてしまうのでした。

次は、会場近くの、蔵のある一角へ。「移動あんざい展」が開催されていました。

蔵の中では、「utsuwa gallery あんざい」さんが、すてきな器と道具、
そしてかご!を展示されていて、とても心地よい空間でした。

湧水のある場所に座って飲んだ、自家製ジンジャーエールと冷たい甘酒が
本当においしかった!

主催者のお一人である安斎伸也さんは、札幌で「たべるとくらしの研究所」を
運営されている方。

じつは共通の知人が多く、いつかお会いしたいとおもっていたので、
この機会にお話できたのはとても幸運でした。

福島で果樹園とカフェを営んできた安斎さんが、3.11の直後から、避難の末に
移り住むことになった北海道の話、直接聞かせていただきました。

決して悲観的ではなく、ときおり笑顔を交えながらやさしく語るその表情に、
人としての魅力を感じずにはいられませんでした。

「たべるとくらしの研究所」の活動、今後も注目していきたいです。

というわけで、大満足の一日を過ごすことができました。
モノと人との出会いを楽しみに、来年も足を運びたいと思っています。

征一郎

おらが復興食堂

みなさま、こんにちは、朝子です。

ゴールデンウィークのご予定は決まりましたか?

今年は、ゆっくりと北上している桜前線を追いかけて東北に、
というのもよいかもしれませんね。

特に震災の被災地にとっては、そこに足を運ぶことだけでも、一つの支援に
つながると思います。

もし、岩手の沿岸部を訪れる予定の方がいらっしゃったら、
おすすめのお店があります!

大槌町にある、「おらが大槌復興食堂」です。
http://oragaotsuchi.web.fc2.com/

大槌も、津波の被害がとりわけ大きかった地域の一つ。

私たちが訪れたのは、震災から1年が過ぎた今年3月でしたが
一帯にはまだまだ、信じられないような破壊的な景色が広がっていました。

そんな中に、大きなテントがひとつ。
たくさんの人が出入りして、その周りだけが明るく活気に満ちています。
それがこの復興食堂だったのです。

どんな感じかしら、と入ってみたのは、ちょうどお昼どき。
ボランティア活動の方たちも大勢来ていて、広い店内は満席でした。

とにかく、その味とボリュームに大満足です!
「おらが丼」に「がっつら丼」、、、なんと夜は居酒屋に早変わりするそうです。
たのしそう!

「おらが丼」。海の幸たっぷりです!

おいしい食べ物と、自分たちの手で町を取り戻すんだ、というスタッフの皆さんの熱い気持ちが、
やってきた人に次々とエネルギーを注入しているかのようでした。

もしこのあたりに行かれることがあれば、ぜひ寄ってみてください!

「三陸に仕事を!プロジェクト」 漁具の網を使用した手仕事のアクセサリー
「浜のミサンガ 環」も販売されていましたよ。

朝子

かご小話: あけび職人に聞く

今回の東北の旅では、かごの達人たちにお会いして、いろいろな

お話を伺うことができました。
そこで今日は、秋田県であけび職人として活躍されている方から
かご作りについてお聞きしたことをご紹介したいと思います。
***

山であけび蔓を採るのに最適の時期は、晩秋です。
脇芽の出ていないもの、地面を這ってまっすぐに伸びたものを選びます。
木に絡んで上に伸びたものより、色むらやねじれがなく質がよいのです。

また、陽に当たっている蔓は色が黒くなるため、できるだけ薄暗い場所で探します。

採ってきたあけびの蔓は、5日から1週間ほど天日干しをした後、

風通しのよい日影にうつして数ヵ月間、完全に乾くまで自然乾燥させます。


編む前に、しばらく水につけて柔らかくします。
一度に編める分だけを
水につけて準備しておきます

太い蔓・長い蔓は大きなかごに、細いもの・短いものは小さなかごに。

色目も明るい部分、暗めの部分と分けて使うため、例えば手提げかごを
作る場合、蔓全体のうち、使える部分は2、3割にすぎないそうです。

あえて色ムラを生かして編んだかご
これもまた、味があります。

あけびが採れる場所は、年々減ってきているそうです。
そして、山に入る人が減ったことで山が荒れて藪のようになり、その中で
十数メートルにも及ぶ長い蔓を採る作業自体も、どんどん大変に
なってきている、ということでした。

自然と人とのつながりが薄まっている現状が、こういう形で
あらわれているのかもしれません。
昔は、炭焼きをする人や、堆肥づくりに使う草を採りにくる農家の人など、
山で仕事をする人も多く、山道が開けて歩きやすかったのです。

とはいえ、よい材料を揃えることは、よいかごを作る条件のひとつ。
編む作業そのものよりも、そこまでの下準備により多くの時間を割き
心を砕いておられる様子が伝わってきました。
職人さんの秘密道具(?)が並ぶ棚
ひとつのかごが生まれるまでの長い道のりをあらためて実感した、

今回の訪問となりました。

朝子

東北かご紀行 その2 ―宮古で竹取―

今日は、岩手県の宮古で、竹の伐り出し作業を見せてもらったときのことを
書きたいと思います。

師匠は、「横田かご」の作り手のおじいちゃん。

いつも伐り出しをしている3、4ヶ所の中で、
一番足場がよいという、明るい竹藪に連れて行ってもらいました。

そこは竹藪というよりは、小高くなった雑木林。
おじいちゃんは、急な斜面を、慣れた足取りでひょいひょいと登っていきます。

「足元に気ぃつけてな」

さまざまな木や蔓植物が絡み合うあいだに、
真竹がひときわ姿勢よく、青々と伸びています。

雪解け直後で少しぬかるんでいたものの、今の時期が一番歩きやすいそう。

夏はうっそうとして虫も多く、竹自体も油を含んでしまうため、
竹取りは春か秋がベストシーズンなのだそうです。

早速、太くてまっすぐな若い竹を選んで伐り出します。
小さな手鋸で、ギコギコと。

断面をあえて荒くしているのは、腐りやすくして、
より早く自然に戻すための気遣いです。

切った竹は、その場で長さを3丈(ひろ)にそろえて、なたで枝や葉をおとします。
(両手を伸ばした長さが1丈)

師匠はバサッバサッっと、目にもとまらぬ手さばき。
刃の使い方にコツがあって、私たちがやるとこうはいきません。

「刃をもっと水平に」 

伐り出した竹は、斜面を滑らせ、下に落として集めていきます。

いやはや、78歳とは思えない、おじいちゃんの身軽で無駄のない動きには
脱帽です。

本日の作業はここまで。

切った竹がかごになるまでには、拭いて、割って、内肉を削ぎおとして、、、と
いった力仕事が、まだまだ続くのでした。

というわけで今日は、かぐや姫が生まれてきそうな宮古の竹藪より、
竹取物語をお届けしました!

朝子

東北かご紀行 その1 ―青森 弘前―

皆さん、こんにちは。朝子です。

先週はお休みをいただき、1週間かけて東北のかご産地をめぐってきました。

青森、秋田、岩手をまわって、かごが生まれる現場を訊ね、
職人さんならではのお話もたくさん聞くことができました。
そんな旅の様子を、写真とともに、数回に分けてご報告したいと思います!

最初に向かったのは弘前。
郊外はまだまだ一面の銀世界。泊った日は、一晩で5センチもの積雪でした。
地元の方のお話でも、3月末でここまで多いのは珍しいとのこと。

さっそく、お世話になっているあけび細工の工房を訪ねます。
数人の職人さんが、ストーブを囲みながら鮮やかな手さばきでかごを編んでいました。

これは縁部分に巻くための、「割り蔓」を作っているところ。
あけび蔓でも太めのものは、こうして手で半分に割いて使います。

指先で微妙に手加減をしながら、太さが均一になるように割いていきます。
わたしも挑戦させてもらいましたが、途中で切れてしまいそうで
かなり緊張しました。

材料のあけび蔓は、天井の高い倉庫に、こんな風に吊るされています。

山から採ってきたあと、枝や葉を落として、束にして
数ヵ月から1年以上もかけて、完全に乾燥させる必要があるのです。
編む時には、数日間水につけて、やわらかく戻します。
これを編んでもういちど乾かせば、型崩れのない丈夫なかごが出来あがります。

いまは、山で働く人が減って、山が荒れ、
よい蔓が採れる場所が、年々減っているそうです。
山の恵みをいただくにも、ただ採りっぱなしではだめで、
ちゃんと手をかけてあげないといけないのですね。

外はまだ雪。ストーブの上のやかんがシュシュシュと音を立てる中、
山の恵みは人の暮らしの道具へと、つぎつぎに形をなしていくのでした。

つづく。

またたび 米研ぎざる編み体験

さて、その翌日。
今日は、またたびの米研ぎざるを習いに行きます。
お世話になるのは、昨秋に一緒にまたたびを取りに連れて行ってもらった「師匠」です。

日ごろ、またたびざるの製作をお願いする立場として、「材料の採取」「材料の加工」
「かごを編む」と、一通りの工程を体験してみたいと常々思っていたので、
今日の日をとても楽しみにしていたのでした。

しかし、たった一日では米研ぎざるは完成できないとの判断から、
①編みはじめから立ち上げまで
②縁を巻いて、完成するまで
師匠は、二つの工程を体験できるように、事前準備しておいてくれたのでした。

まずは、①編みはじめ
真剣に取り組んでいるのは、旅の道連れ、友人の石橋さん。

ひごを均等に揃えてから、あじろ編みでのスタート。
材料は表と裏があるので、注意が必要ですよ~。
あっ、間違えた!

「ダメ、やり直しだ!」
と怒られているわけでは、ありません。

底部分が出来上がると、外側を巻いていく作業へと移っていくのですが、
使用している材料の幅は、わずか3mmほど。なかなか高くなっていきません。
米研ぎざるの高さは、だいたい12cmほどですが、そのためには少なくとも
30周以上巻いていく必要があるのでした。

本当に気の遠くなる作業。そして、集中力が切れたまま作業していると、
すぐにミスしてしまいます。
気づけば、すでに夕方になろうという時間。あわてて次の②の作業に移りました。

上部に、縁取りのクマゴヅルをのせたあと、立ち上がっているひごを
一本一本巻いていきます。一周で、合計72本を巻く計算になります。
そして、師匠の米研ぎざるは外側にもう一本、化粧回しとよぶ細めの縁を巻くので、
さらに倍の作業が追加されるのです。

このたび、出来上がった「米研ぎざる」は、こちらです!

この日、われわれが体験したのは、編む行為全体の3割程度の作業。
たったそれだけでも、6時間以上費やしていました。

今回経験して分かったのは、腕や経験ももちろん必要ですが、まず根気や
集中力が必要であるということ。
そしてなにより、かごづくりを楽しむ!という気持ちが一番大切なのでしょう。

というわけで、二日間のまたたびざるの旅は終りとなります。
これからも、つくり手の方の実際の作業を体験することで、つくる人とつかう人を
より近づけられるよう、そのような存在になっていければと思うのでした。

征一郎

 

雪国の知恵を垣間見る

先週のことですが、友人と二人、雪の奥会津に行ってきました。
今回の目的は、現地の方に、またたびの米研ぎざるを習うこと。

昨年の同時期に比べると、すこし雪が少ないかもしれません。
しかし、いつもお世話になっている作り手さんを訪ねると、家の半分が
雪に覆われていました。

近づいてよく見ると・・・

またたびざるを発見!

編みあがったざるは、寒風にさらされることで乾燥し強度が増していきます。
また、雪の紫外線により、色が漂白されていくのです。
雪国に伝わる昔ながらの知恵。

そして、お隣さんでは・・・

・・・大根?
こちらも寒風にさらされ、うつくしい白肌に。実においしくなりそうです。

「こづゆ」という会津の郷土料理、ご存知ですか?
乾燥貝柱でだしをとった、具だくさんの汁椀。そのやさしい味に心も体もあたたまります。
この伝統的な料理も、海産物がとても貴重だった頃の、山間部の暮らしの知恵なのでしょう。

この夜は郷土料理をたべすぎ、翌日まで満腹が続きました。
というわけで、さまざまな場所で雪国の知恵を垣間見た、そんな一日でした。
つづく

征一郎

横手やきそば

さてさて。
おちゃっこで体もあったまったところで、お昼を食べに出ました。

メニューはご当地グルメのグランプリも獲得したという、「横手やきそば」。
中でも、四天王とよばれるらしい?有名店の一つに連れていってもらいました。

B-1グランプリ「横手やきそば」

だし汁を加えて炒めるという、やわらか麺に目玉焼きが乗っているのが特徴。
こどもたちも喜びそうな少し甘めのソース味。ペロリとおいしくいただきました。

さて、おなかも満たされた午後は、山間部にある「あけび細工」のふるさとへ。
なんと、ここでも幸運な出会いがあり、尊敬している職人さんとお茶を飲みながら、
ゆっくりお話ができたのでした。その話はまたの機会に。

冬の秋田ははじめてで、少々不安でしたが、そこに住む人や自然、文化を理解
するのに最適な季節だったような気がしています。

「おちゃっこ」で深まるコミュニケーション、都会の生活でも見習えそうな気がします。

征一郎

横手かご

横手にやってきました。雪の多さが違います。
昨日できたばかりという、端正な「かまくら」がお出迎えしてくれました。

今日は、市内在住の力強いパートナーと合流し、「横手かご」を探す日。
僕自身、そのかごをいろいろな場所でみかけ、いくつか入手したのですが、
これまで、誰に聞いても詳しい情報は分かりませんでした。

このかごの特徴は、真竹の外側(皮部分)をあまり使用せず、内側部分を
多用していること。全体の色も緑ではなく、黄色みを帯びているのです。
おそらく、この土地では貴重な真竹を素材にしているため、材料を余すことなく
使うための工夫なのでしょう。

(緑のラインが竹の皮部分) 

分かっているのは、平鹿町周辺に一人の職人さんがいるということ。そこで
その地区に住んでいる、友人の叔母さんに協力を依頼し、案内してもらうことに。

というわけで、超強力な助っ人の登場により、あっさり目的地に到着!
看板もない一軒のお宅を訪ねると、そこにはたくさんの竹の材料が置いてありました。

そして、職人のおじいさんと感動の対面。
いや~、何とか辿りつけるものなんですね。よかったよかった!

しかし、今の時期は寒過ぎてかごが編めないのだそう。
残念ながら、この日は一つのかごも見ることができませんでした。
そこで、春になったら、いくつかのかごを送ってもらうことになりました。

その後は、友人の叔母さんの家で、しばし休憩とおしゃべり。
これを地元では、「おちゃっこ」とよぶそうで、名物のいぶりがっこ他、
漬物の盛り合わせをお茶のつまみに、みなでこたつに足を入れて過ごすのです。
やはりこれも雪国の文化なのでしょう。冷えきった身体を芯から温めてくれました。

しかし、この地区に住む方の話す言葉は、僕にとってかなり難易度が高かったです。
全体の理解度は70%くらいでしょうか。ちなみに、職人のおじいさんとの会話は、
理解度40%くらいだったので、通訳が二人くらい必要な感じでした。

というわけで、午前中のミッションは大成功!
それではお昼をたべに、やきそばやさんへ向かいます~。

征一郎

秋田にやってきました

おはようございます! 週末から、 秋田に来ています。

今年はかなり積雪が多いと聞いています。
くもり空と雪に覆われた地面の境界線があいまいで、なんだかふわふわした
不思議な感覚です。

きのうは、イタヤ細工で知られる角館に足を延ばしてきました。
すっかり雪に覆われた武家屋敷は、観光客もまばら。
まるで、江戸時代にタイムスリップした気分が味わえます。

そして、今日は横手に向かいます。
横手といえば、雪の「かまくら」が有名ですが、最近では何といってもB1グルメの
「横手やきそば」ですね! そして、知る人ぞ知る「横手かご」という真竹のかごがあるのです。
これから、市内に住む知人と合流し、かごの情報を集めてきたいと思っています!

またレポートします。せば!

征一郎

またたび採取体験

こんにちは。征一郎です。
今週の週末は、福島へ行ってきました。

いつもまたたびざるをお願いしているつくり手の方から、「そろそろ山に入るけど
一緒に行きますか? 」というお誘いを受けたのです!

当日は快晴で気温も高く、山に入るには絶好の天気。
まずは、作業着と長靴にはき替え、ヘルメットをかぶって首にタオルを巻きます。

背負子をかつぎ、長い柄のついた鎌を持って、さあ出発!
はじめはちょっとしたハイキング気分~。

 

と思ったのも束の間。道なき斜面を急登し、やぶの中を探し歩きます。
またたびの生えていそうな場所は、たとえば、少し日当たりの悪そうなこんなところ。
この中には、いくつかの蔓植物が存在しているのですが、そこをかき分けて発見
するのは重労働です。
ようやく発見した、またたびはこちら。
ここ1.2年内に成長し、しっかり上に伸びて発育している枝だけを採取します。

 

断面は、全体が緑色で、中央部分は白。またたび特有の香りが周辺に広がります。
この日は、合計三か所を巡ったのですが、この場所ではこれくらいの収穫です。
山に入ること、約三時間。。。そろそろ日も傾き始めたので本日は終了。自宅に戻ります。
この日の収穫は、全部でこれくらい。
これをしばらく水に浸けてから、皮むきの作業へと入っていくのです。
いや~、はじめてだったこともあり、僕自身はとても楽しませていただきました。
しかし、実際はかなりの重労働。一人で山に入る場合は、怪我や滑落の危険性も高いでしょう。
今回の経験を通してはじめて分かったことも多く、あらためて頭の下がる思いです。
次回は年明けにおじゃまして、米研ぎざるの編み方を教わる予定です。

写真家 大西暢夫さんと再会の旅

こんにちは。征一郎です。

先週末は、家族と友人で岐阜県池田町に行ってきました。

岐阜県には、これまで山側の奥飛騨や木曽福島方面に
足を運んだことはあったものの、いわゆる濃尾平野といわれる
地域に行くのは初めてでした。

とくにこの池田町周辺は、日本でも有数の喫茶店の激戦区らしく、
休日の朝は満席覚悟! コーヒーとトーストに茶碗蒸しが
付いてくるというモーニングは、今回挑戦したい楽しみの一つでした。

さて、今回の旅の目的は、写真家の大西暢夫さん宅にお邪魔すること。

大西さんは写真家でありながら、岐阜県に建設された日本最大のダム
「徳山ダム」に沈んでしまう村人の生活を15年以上追い続けて、
「水になった村」というドキュメンタリー映画を製作した方で、
最近DVDも発売になりました。

大西さんと出会ったのは、今年の7月。

岩手県宮古の港近くで、ボランティア活動に参加していた僕は、
その時宿泊していたタイマグラ村の民宿「フィールドノート」で、
たまたま大西さんと一緒になったのでした。

この時、すでに何度も東北の沿岸地帯を取材していた大西さんでしたが、
この日は宮古市に近い沿岸部を見てきたとのこと。

その晩、見せていただいた映像は、僕にとってとても衝撃的でした。
大きなメディアからは伝わってこない、写真家ならではの視点が、
その映像やインタビューを通してリアルに伝わってきたのでした。

その日以来、再会は4か月ぶり。
築90年の大きな家と畑のある暮らしに、興味津津の僕たちでした。

大西さん一家が東京から故郷の岐阜に居を移してきたのは最近のこと。
落ち着いたかなという頃に起こったのが、東日本大震災でした。

居ても立ってもいられず、岐阜からもう16回も足を運び、
被災地の取材を重ねてきたそうです。

(大西さん自作!の囲炉裏で、おいしい鍋を囲みながら、夜が更けていくのでした。)

そして子どもたちが寝静まった頃・・・、奥の部屋からはスクリーンが登場!
編集されたばかりの震災報告の映像を見ながら、解説していただいたのです。

大西さんは、これからも被災地を巡り、これまで取材されてきた方々への

インタビューを続けていくそうです。

「東北にはまだまだ支援が必要な人たちがいる!」
今もなお、現場に足を運び続ける人の言葉が胸に響きます。

いつまでも震災発生時の恐怖を忘れずに、関心を持ち続けることの大切さを
実感しました。

そして、その夜のシメに登場したのはきのこ汁。
ダムになった村・・・徳山村に住んでいたおばあちゃんが、その日に採った
という貴重なきのこです。香りがよくて、本当に美味しかった!

子ども同士もすっかり仲良くなって、忘れられない旅の一つとなりました。
大西家の皆様、本当にありがとうございました! また遊びに行きますね。

(翌朝の池田町のモーニングはこちら!)

長野旅 その2

さて、次は松本へと車を走らせ、「松本民芸館」に向かいました。

松本は、大正から昭和初期にかけて広がった民芸運動の影響を
強く受けた土地の一つ。 「松本民芸家具」をはじめ、さまざまなジャンルの
クラフトが、今に受け継がれています。

この松本民芸館は、昭和30年代に、市内で工芸店を営んでいた丸山太郎氏が
柳宗悦の影響を受けて創設したのがはじまりだそうです。

到着したのはちょうど、外壁のなまこ壁に、オレンジ色の西日が差し始めた頃。
敷地全体がなんともいえない、静かで深い雰囲気に包まれていました。

太い梁にまっ白な壁。
天井の高い蔵造りの建築だけでも、十分に見ごたえがありました。

古い松本民芸家具の椅子

展示されているのは、丸山氏が世界各国から収集した、幅ひろい暮らしの道具。

一つ一つ眺めていると、手仕事のものに対する丸山氏の暖かい目線が
感じられるような気がしました。

その足で、中町通りの老舗「ちきり屋」さんをのぞきに。
丸山氏が営んでいた工芸品店で、今は娘さんがその跡をついでおられました。

ちきり屋さんのショーウィンドー。いつも見ても素敵です。

そして、この日の締めは、 食堂「信濃屋」。

松本郊外の浅間温泉で40年以上続く、昔ながらの大衆食堂です。
信州大学に通っていた友人が、よく食べたという「山賊焼き定食」。
その味とボリューム!おばあちゃんの顔を見たさに、ついつい通って
しまうのでした。

駆け足でしたが、たくさんの良いものに触れることができて、
充実した長野旅行となりました。

朝子

長野旅 その1

皆さま、こんにちは。朝子です。

気持ちよい秋晴れが続いた3連休、どんなふうに過ごされましたか?
きっとそれぞれに充実したお休みになったことと思います。

わが家は、かけ足でしたが長野に行ってきましたよ。

はじめの目的地は、戸隠。

雪深い戸隠は、11月に入ると雪が降りはじめ、足を運ぶのも大変になってきます。
その前に作り手さんにいろいろお話を伺っておきたい、ということで
この機会に足を延ばしたのでした。

秋の行楽シーズンとあって、奥社の入口付近は、いつになくすごい人出でした。

さて、わたしたちは作り手さんを訪ねます。

根曲竹のかごについて、夫がじっくりとお話を伺っている間、
私は待ちきれない娘を連れて、近くの忍者屋敷へ。

その昔、“戸隠流忍術”というのがあったことから、こういう施設ができたそうです。
森の中で忍者気分を満喫した4才児でした。

忍!

名物・戸隠そばは、あまりの混みように、食べそびれてしまいましたが、
森林植物園の木道をちょっぴり散歩して、澄んだ空気と、秋の森を味わいました。


戸隠森林植物園、おすすめです
すがすがしい森



白樺のかけらが落ちていました。


次は、松本へと向かいます。

男二人、福島の旅(その3)

旅は二日目。今朝もおいしい朝ご飯をたらふくいただき、出発します。

前日の宿は、いつもお世話になっている金山町の民宿「朝日屋」さん。
いつも笑顔のオーナーと、料理がおいしいおばあちゃんのナイスタッグの民宿です!
ぜひ機会があれば、泊まってみてください。

さて今日は、まずあけび細工の作家さんを訪ね、午後は南会津をめぐる一日。
昨日同様、とてもよい天気に恵まれました。

ちょっと不安になるような暗くて細い山道を車で進んでいくと・・・一変、
なつかしい風景の集落に。まもなく無事、目的のお宅にたどり着きました。

そして、まずは足を延ばしてお座りくださいと言われ、ついついごちそうで
もてなされてしまう朝9時前。

           

採れたての枝豆。おいも。手作りの郷土菓子。
ふと隣を見ると、モロコシ一本を平らた鈴木氏の姿が・・・。

昨日同様、すっかりくつろいでしまった我々でしたが、取材を進めなくては!
ということで、ようやく重い腰を上げて、ここから歩いて行ける距離にあるという
一本のあけびの木へ向かいます。
これがあけびの木。畑の近くに自生していました。
これだけ取るのにも結構時間がかかるのです。

その後はそれぞれの編みの技術を見せていただきました。
これは、みだれ編みの手提げの製作現場。
完成品はこちら
あけび細工に携わって、10年以上。しかし今でも「毎日、編むのが楽しくてしょうがない。」
とかわいらしく言われていたのが印象的でした。
小さくてかわいらしいつくり手のおばあちゃんに、とても雰囲気が似ているあけびのかご。
ぜひみなさんにおススメしたいです。
そうしているうちに、3時間以上が経ち、そろそろおいとますることに。
いい歳のおじさん二人ですが、何だか田舎のおばあちゃんに久々に会って、

別れるときのような気持ちになりつつ、その場を離れたのでした。

また次の夏に、おばあちゃんを訪ねようと約束をして。

男二人、福島の旅(その2)

さてさて、引き続き、またたびざるの話は続きます。

ひと通りお話を聞いたあと、(あまりにお腹がいっぱいですが、気を取り直して)
二階にある作業場に移動。

まずは、実際にまたたびの枝を使って、一つ一つの加工の工程を
見せていただきました。
               
               ①皮を剥く

  
             

                ②四つに割る

               ③ひごを揃える

驚いたのは、すべての作業が合理的に計算されていること。
米とぎざるなら、54cmのひごを 縦・横22本づつ使用して編んでいきます。
底部は網代編みを用いますが、立ち上がりから20本目のところで、
ざる編みへと変更していく・・・といった具合です。

そして、四つ目ざるの場合には、底部の穴を均等に保つために、
専用の設計図なるものが存在していました。

美しいざるを生む出す秘訣は、ご自身の性格や技術だけではなく、繰り返し同じものが
つくれるように考え抜かれた、道具やオペレーションも不可欠であることを学びました。

せっかくなので、われわれも順番に体験。うーん、なかなかうまくいかないものです。
悔しくて何度も削りつづけ、作業台を占拠する私。

                 (わきの甘さに師匠も呆れ顔・・・でしょうか)

貴重なまたたびをこれ以上無駄にすることはできない!ということで、
それでは、材料も自分で採りに行かねばということに。
採取に最適な11月頃に、同行させてもらう約束をしていただきました。

いや~、参考になるお話ばかりで、すっかり長居してしまいました。
そしてたくさんごちそうになりました!

さて、その後の我々は西側に進路を変え、奥只見川に沿って進みながら、
奥会津へと向かっていきます。

そしてお昼を過ぎ、われわれが選んだ食事は、田舎料理バイキング。
旅の初日の午後には、すでに満腹中枢がおかしくなっていたようです。。。

(もうすこし続く)

男二人、福島の旅(その1)

こんにちは。征一郎です。

週末は、友人と二人で福島に行ってきました。

両日とも天気に恵まれ、風に揺れる稲穂は金色に光り、
目にまぶしいくらいでした。

本来なら心落ち着くこの風景に、今は何かと考えさせられてしまうのが
本当に悲しいですね。

さて今回の旅は、会津地方・手仕事の旅。

第一の目的は、カゴアミドリが日頃お世話になっている、かご作家さん宅を訪ね、
またたびやあけびの採取から製作に至るまでの話を、インタビューする予定です。

そして、もう一つの目的は旅のパートナー、絵かきの鈴木氏が情熱を燃やしている
作品 「トモノイタ」の材料となる良質な木材の仕入れ旅。
国産の広葉樹の木材が豊富な 「南会津」へと向かいます。

一日目。

まずは、男性のまたたび作家さんを訪ねました。
この方は奥会津で生まれ育ち、 現在は福島の中心地でくらしています。

当店のまたたびざるの作り手さんは、数人いるのですが、
精巧さ・繊細さ・美しさで、この方の右に出る人はいないんじゃないかなと思います。

という訳で、念願のお宅訪問です。

それでは早速インタビュー!
の前に、ご挨拶をして腰を下ろすや否や、テーブルにはたくさんのくだものが並び・・・
初めにぶどう一房を手に取ってしまった僕は、
口は動かすものの、すっかりメモを取り損ねてしまいました。

そしてふと隣に視線を移すと、山盛りの漬物をすっかり平らげた鈴木氏の姿が・・・。

              
気を取り直して、ようやくお話を伺うことに。
かご作りを始めたのは、長年働いた仕事を定年退職してから。
実はまったくの独学ではじめたそうで、あえて先生と呼ぶとしたら、一つの四つ目ざる。

それがこちら。
(あめ色に変化した四つ目ざるです。)

20年ほど前、奥会津を訪れたときに出会った一枚のまたたびざる。

かつて宮大工だったという方が作ったこの精巧なざるをお手本に、
試行錯誤を重ねてきたそうです。

自分の作品に何とか満足できるようになるまで、10年以上かかったそうです。
しかし今となっては、この出来栄え。



またたび四つ目ざる
(現在の取り扱い製品)



          
はじめて、この四つ目ざるの均等なラインを見たときは、本当に驚いてしまいました。

そして次はいよいよ、作業場へと移動します。楽しみ~。

続きはまたこの次に!

征一郎

青森のりんごかご

おはようございます。征一郎です。
今週に入り、東京に戻ってまいりました。

さて今日は、ちょうど先週の今頃に訪問した青森県は弘前市を訪ねたお話です。
りんごかご」で有名な岩木山の麓に、根曲竹の職人さんを訪ねます。
中でも、「椀かご」はとても機能的で美しく、当店でも1.2を争う人気のある製品です。

弘前市より車で約20分。鮮やかなみどりのりんごの木たちに囲まれながら、高台へと進みます。

かつて昭和の最盛期には、年間数十万個のりんごを収穫する手提げかごを
つくっていたこの場所。
当時は20軒近くあったといわれる竹細工店ですが、いまではわずか2-3軒を残すのみです。

ごあいさつのあと、さっそく製作現場を見学させてもらうことに。
そして、何とうれしいことに、製作中の「椀かご」は当店でオーダーしているものでした!

いろいろ話をしながらも、決して手を休めることなく、一定のリズムでかごを作る技術。
ところでこの場所、どこだと思いますか?

トラックの荷台の上なんです。
連日続く酷暑の中、敷地内で一番風通しがよく、涼しい場所がここだそうです(笑)。

朝の4時半から作業を開始し、12時を知らせる町内放送が流れるまで、休まず作業されていました。
そして夕方には、近くの温泉で汗を流すのが毎日の楽しみだ~、と笑っておっしゃってました。
そして気づけば、三時間近くおじゃましてしまいました。

このすばらしい伝統も、やはり後継者が十分におりません。次の担い手が現れること
強く願いつつ、弘前をあとにしたのでした。

◎青森 根曲竹のかご一覧はこちらhttp://kagoami.com/SHOP/45230/52053/list.html

征一郎

ベースキャンプはタイマグラ

こんにちは。征一郎です。
岩手県川井村にある山間部の小さな集落、「タイマグラ」に、一年ぶりにやってきています。

今回の旅の目的の一つは、「横田かご」のおじいちゃんが暮らす、岩手の宮古市で
ボランティア活動をすること。

活動の場所は、港の近く、今回の津波で被害を受けた水産加工場に決まりました。

そこで、宿泊は、宮古にも近く、過去に何度もお世話になっている
民宿「フィールドノート」をベースにすることにしました。
(とはいえ、宮古の沿岸部までは車で1時間半かかりますが…。)

いつもながらのおもてなしとおいしい料理(とお酒!)が、毎日のボランティア活動の
よい気分転換になりそうです。


今日の夕食は、キンキンに冷えた夏野菜の冷製スープからスタート。

また、現地でのボランティア活動に従事し、3日以上宿泊する場合、宿泊料金の大幅な割引が!
ここにも、オーナーの心意気が感じられるのです。
滞在中、オーナーの奥畑さんは、50歳の誕生日を迎えられました。

次男森くんが描いた、リアルな奥畑さんの表情。家族っていいなあ~。
そして自分も10年後、こんな味のあるかっこいい50歳を迎えていたいものです。

津軽のソウルフード?

珍しくご当地グルメ情報。

青森県弘前市で出会った「津軽そば」です。¥280円也。

そばはゆでるのではなく蒸してつくるのだそうで、麺・お出汁ともにやさしいお味でございました。
ちなみに、鮭おにぎりをつけても¥390円でした。

津軽そばあり。中華あり。丼ぶりありの田沢食堂。おススメです。

征一郎

再会

引き続き、征一郎です。

宮古市といえば、なんといっても横田かごですね。
今回の旅の一番の目的は、横田かごをつくっているおじいちゃんと再会を果たすこと。

ボランティア終了後に向かったので、遅い時間の到着となってしまったのですが、
ご夫婦揃って、いつもどおりの笑顔で迎えてくれました。

震災の当日から、これまでの4ヵ月の生活。本当につらい思いを経験されながらも、
前をむいて歩んでおられました。

震災後は停電の影響もあり、2週間以上も連絡が取れなかったにも関わらず、
わずか2か月後に、新たに製作した横田かごが届いたときは本当に驚きました。

あれからずいぶん時間が経ってしまいましたが、ようやく直接お会いし、
お礼の気持ちを伝えることができました。

宮古も異常な猛暑が続いているようですが、どうぞお体に気をつけて。
そして、これからもよろしくお願いします。
(お孫さんの活躍している、盛岡中央高校野球部はベスト16入りしましたね。
僕たちも応援しています!)

これからの暑さの厳しい時期は、作り手にとっても籠の製作が
体力的に厳しくなるシーズン。
そして、材料となる竹も水分を多く含むため状態が悪く、
この時期は材料も限られてきます。

当店の品ぞろえも欠品が目立ってきておりますが、作り手の方々には
無理のない範囲で作ったものを送っていただくようにお願いをしています。
引き続きご理解をお願いたします。

ボランティアが終了しました。

こんにちは。征一郎です。

宮古市高浜地区でのボランティア活動が、無事に終了しました。
今回、急な申し出を受け入れてくださったNさん、本当にありがとうございました!

Nさんは、被害に遭われた水産加工場のオーナーである70半ばの男性です。
この三日間、ずっと二人だけで一緒に作業をしてきたので、なんだか一週間くらい
滞在していたようにも感じてしまいます。

作業の合間には、60年近くこの地で商売を行ってきたいろいろな出来事を
聞くこともできました。
ただ作業を行うだけでなく、一人の人間同士としてコミュニケーションが
とれたことは貴重な経験です。

当初は津波や丸太などの漂流物で多くを破壊され、すべてが汚泥で覆われていたそうです。
しかし、震災からの一か月、すべての除去作業をオーナーがたった一人で
行ってきました。

過酷な労働と、環境の悪さによって体を壊してしまい、その後体調が戻るまで
一か月以上が必要でした。

「どうして、行政にボランティアの要請をしないのですか?」
ずっと気になっていたことを、最後に聞いてみました。

他にはもっとひどい被害を受けている人がいること、そして自分も被害にあったとはいえ、
この工場がしばらく操業していなかった状態にあったことに、
遠慮の気持ちが生まれているのでした。

その後今月に入り、この状況を知った地元議員の方を通じて、
山小屋「フィールドノート」に縁のあった北海道の父子がボランティアに入ります。
そして今回、僕が続いたわけです。

困っている、助けてほしいと、自ら声をあげない人でも、
実はたくさんの手助けを必要としているケースは多いのかもしれません。
東北に住む人の「がまん強さ」や「気質」だけで、簡単に片づけてはいけない、
難しさがあるような気がします。
昨年に、「横田かご」を通じてはじまった宮古とのご縁。
引き続きこれからもつながっていくつもりです。

征一郎

岩手に来ています。

こんばんは。征一郎です。

昨日より念願の北東北にやってきています。

天気は、東京からずーっと青空が続き、高い空に浮かぶ白い雲が
旅の初日の気分を盛り上げてくれそうです。

正直、少しは涼しい気温を期待していました・・・が、ここ東北でも観測史上三番目に早い
梅雨明けが本日宣言されたらしく、最高気温34度の市内を回る羽目に。

市内を流れる北上川の支流の中津川では、鮎の解禁を待ちわびた釣り師と、
川ガキ達が入り混じる
しあわせな風景がみられました。

今回の主な旅の目的は、横田かごのおじいちゃんとの再会。
そして現地でのボランティア活動。もしできるなら、日頃お世話になっている
この土地で活動したいという強い思いがありました。

しかし、事前に問い合わせた現地のボランティアセンターからは、
状況は改善されつつあり、個人の方にお願いできる業務はなくなったとの返答。

本当にそうなのでしょうか?
あきらめきれず、タイマグラのフィールドノートさんに相談したところ、
地元の市議の方をご紹介いただけることに。
その方を通じて、個人で経営していた会社に被害があった方の
お手伝いができることになったのです。

今更ながらですが、複数人ならいざ知らず、個人でいきなり現地に飛び込もうとする
自分の無謀さにようやく気付きました。
でもその分、受け入れてくれるありがたみを実感したことも確かです。

横田かごを通じてつながっていくご縁。もっと広めていきたいです。

夕暮れの、北上川と岩手山。

奥会津で過ごし、おもうこと。

こんにちは。征一郎です。
週末はいかがお過ごしでしたか?

我が家は、週末は福島の奥会津へ行ってきました。
目的は、編み組みの盛んな奥会津・三島町で行われる「工人祭り」を訪れること。

年に一度開催されるこの二日間は、手仕事の品々を愛する人々が集まり、
わずか人口2000人ほどの村に、その数なんと10倍近い人々が集まってくる
町の大イベント。

ちなみに、「工人」とは、この土地でものづくりをする人のことをいい、
今年は25回目となるそうです。

しかしながら、かねてから作り手の方や、関係者の口からは、今年は原発事故の影響で、
あまり人が集まらないかも・・・と心配の声を聞くことが多くなっていました。
そんな中、家族とともに楽しみながら、日ごろお世話になっている作り手のみなさんに
ご挨拶したいと思っていたのでした。

(朝の只見川を覆う一面の川霧。雨が多いこの時期だけに見られる幻想的な景色です。)

そして6月11日といえば、震災後ちょうど三か月。
このタイミングに福島を訪れ、地元の方々と直接触れ合う機会を持つことは
とても意味があるように思えたのです。

この旅には、かつての同僚である「石ちゃん」も同行することに。
彼女はかご好きであると同時に、カゴアミドリの開店当初より、なにかと手助けしてくれる
心強いサポーターなのです。

そんなわけで、行ってきました工人祭り!
一日雨の予報も、午後には晴れ間を見せ、たくさんの人で賑わっていました。

日頃お世話になっている、たくさんの作り手さんたちの元気な姿を確認することができました。

地元の郷土料理も楽しみの一つ。
山菜のてんぷらに、きのこ汁にヒメマス、会津地鶏・・・。

どの食べ物のブースや運営も、地元の方たちによるもの。みなさんも楽しそうに
働いているのが印象的です。

午後は、只見川流域を離れ、南会津方面へと向かい景色を満喫しました。
今はこの土地で種を蒔き、稲を植えるのに最適な季節。
山と川に囲まれた集落に、水田に蛙の鳴き声が響き渡ります。

このだれにとっても懐かしいのどかな風景が、いつまでも続いてほしいなあと思うとき、
同じ福島県である太平洋側地域の状況がどうしても頭をよぎります。

どんなに時代が進んでも、残していきたい自然と寄り添う暮らしのサイクル。
そんなヒントが奥会津に暮らす人々の生活の中に、隠されている気がしていました。

(金山町の民宿「朝日荘」の部屋からの風景。おいしいごはんと、笑顔のオーナー。
夜は蛙の大合唱に包まれるおすすめの宿です。)

期間中は、約18000人の来場者があったようです。
例年より訪れる人の数はすこし少なかったかもしれませんが、
その分、作り手と使い手の距離が縮まった二日間だったことでしょう。

(並んで座ったおばあちゃんたちがかわいかったなあ~)
征一郎

松本に行ってきました

週末は家族で長野に小旅行をしてきました。

初日は松本へ。
友人が住んでいたり、夫が山登りの基地にしていたこともあって、
昔から訪れる機会の多かった街です。

でも今回は、ゆっくりと歩く機会があったせいか、松本の魅力に
ぐっと惹きつけられる旅となりました。
古さと新しさの入り混じった、けれどしっくりと落ち着いた町並み。
街角のあちこちには昔ながらの井戸と、こんこんと涌く水。
瑞々しいという言葉がよく似合う街だなぁと感じたのは、雨のせいばかりではなさそうです。

さて今回の旅の目的の一つは、”クラフトフェアまつもと” という大きな野外展示会を
見に行くことでした。

器や木工品などの、さまざまなクラフト作家さんが全国から大集合するこのイベントは、
今年で27回目を迎えるそうです。

数百人ものクラフトマンたちの丹精込めた作品が並ぶのですから、これは迫力があります。

あいにくのお天気にも関わらず、初日の朝からすごい人出!

人気の作家さんのテントには、早くも長蛇の列が。。。
わたしたちも九州の作家さんの器に一目ぼれし、行列に加わってしまうのでした。

数は少ないものの、かごの作り手さんも出展されていました。

クラフトフェアまつもと

そして、松本と言えば、かつては有名なかごの産地でした。

一時は欧米にも出荷されたという「みすず細工」は、数年前に最後の作り手の方が
亡くなられ、完全に途絶えてしまいました。

けれど、数年前から、一度絶えたその技をなんとか受け継ごうとしている人たちが
活動を開始し、地域や行政もそれを応援する動きがあります。

(籠を持ってお花を買いに来たおばあちゃん。早朝散歩のときに。)

人の手で生み出されるものを大切にする雰囲気が、町全体を包んでいる、
そんな空気を肌で感じて、松本がもっと好きになってしまいました。

朝子

よーぐ、きらったなし。

(「よーぐ、きらったなし。」とは、会津弁で「よく来てくれました」の意)

今日の東京は夕方より雷雨。まったく変な天気の一日でしたが、
きのうは全国的によい天気に恵まれましたね。

僕はというと、福島の奥会津に行ってきました。

甲州ざると富士と笠

こんにちは。昨日の春雪にはびっくりしましたね。
前日が、上着も不要な春の陽気だったのですから、
気温の変化に体を順応させるのもたいへんですね。

そういえば、雪の前日は山梨へ行ってきたのですが、午前中から夕方までの長い時間、
富士山にはすっぽりと笠が被っていました。

「富士が笠をかぶれば、近いうちに雨」というほど、天候が崩れる予兆として有名ですが、
まさか雪が降るとは・・・。

山梨に向かったのは、かねてから頼んでいた作り手の方から、
「ざるが出来たよー」と連絡があったから。

甲州ざる」は、お米研ぎや豆、野菜などの水切りに最適で、
湯にも強いのが特徴の竹細工。

あたたかくなり需要の高まるこれからの季節。まとまった数のざるをお願いしていたのです。

そして、今回も実際の作業を見せていただきながら、色々な話を伺うことができました。

   
     一本一本ひごを揃えていく

   
     ここから編みはじめていきます。

    
     美しい編み目を刻む熟練の技

  これは「笠」ならぬ、「帽子」ですね。

    

「防暑帽」 -ぼうしょぼう- といいます。名の通り、暑さを防ぐ帽子として、
戦時中には万という単位が、この地で作られました。

わらの帽子に比べ、薄く軽くて丈夫であったことから、
主に南へ向けた物資として供給されたそうです。

手にした時は、えも言われぬ重みを感じましたが、あめ色に変化しているだけで、
ダメージがほとんどないのは驚きでした。

そして、思わぬきっかけでしたが、人の歴史にまつわる
かごの存在を垣間見た気がしました。

さて、今回もすっかり長居をしてしまいました。

たくさんのざるを抱え外に出ると、いまだ笠を被ったままの富士山が
見送ってくれたのでした。

征一郎

東北の小さな出会い旅②

まだまだ旅は続きます。

さてさて、その後は近くの食堂へ。
先ほど、たくさんのおもてなしを受けたというのに、やはりここを外すわけにはいきません。
地元の家庭料理をバイキング形式で食べられる「かあちゃんのまんまや」。

野菜をたくさん使った家庭料理の数々。冬でも山菜やキノコなどの郷土料理が楽しめて、
なんと一人780円!
そしてかあちゃんたちの「いっぱい食べていかんしょ~」の声に、わかっていても、
やはり食べ過ぎてしまうのです。

 赤べこと一休さんにお別れ

・・・苦しいおなかを抱え、那須へ向かいます。
目指すのは、那須ICにほど近い「Brown Mountain Bakery」さん。

ここのオーナー夫妻は、僕たちの住んでいる国立のご出身。
那須に移り住む前は、国立周辺をリアカーでまわっている「たいやきや ゆい」を、
何度も利用していたそうです。

そして、那須でパン屋を開業した後、餡を作るために参考にしたのが、
ゆい君の「あん」でした。
これまでたべた中で一番おいしかった餡だったから、ということで、
彼に連絡を取って作り方を教わったということです。

う~ん。またもや「あん」にまつわるいい話。
そのような素敵な再会に、僕も立ち会えるのでとっても楽しみです。
というわけで、俄然気分は盛り上がりつつ、現地へ到着。

さらに驚くことに、その場所は以前、那須でとても有名な「shozo cafe」の
店舗の一つがあったところ。
僕も昔立ち寄ったことがある、懐かしい場所なのでした。
お店の雰囲気も、以前と変わらぬ素敵なたたずまい。
そしてドアをあけてお店に入っていくと、そこには母と子二人が、
パンの生地をかたどっている後ろ姿が・・・。

ここはホントに日本のパンやさん?
さながら南仏の片田舎のブーランジェリーでは・・・?
と錯覚しそうな素敵な光景に、ひろこさんと僕は見とれてしまったのでした。

オーナーの奥永夫妻はとても気さくなお二人でした。
幼い二人の子供たちも自然に恵まれた環境の中で、のびのび~と
育っているのがわかります。

そして店内には、パンと一緒に数々のかごが相性良く並んでいます。
かごが大好きということで、奥会津より持ち帰ったまたたびざるに
とても興味を持っていただきました。

いろいろ話を聞いているうちに、食に関することだけでなく、
地域の内外に関する環境問題についても熱心で、
僕の古くからの知人や、勤めていた職場にもつながりが多いことが分かってきました。

あっという間に時間が過ぎ、気づけばすっかり日が暮れる時間に。
短い時間でしたが、離れた場所にいれども、人と人、気持ちのつながりを実感できた
素敵な出会いとなりました。

後ろ髪を引かれつつ、帰路へとつきました。

そしておみやげにいただいた「くるみあんぱん」は、パン生地も餡も、
やさしい味で本当においしかったです。
味は材料だけでなく、きっと人柄からもにじみでているのでしょう。

僕はまた来月、東北出張の帰りに伺う予定です!
(次回も、できたてのかごをお持ちしますね~。)

征一郎

東北の小さな出会い旅①

こんにちは。征一郎です。

東京は昨日みぞれ雪が降り、今日も冷たい雨・・・とすっかり冬に逆戻りの天気ですね。

そんな天気になる前日の日曜日。福島県・奥会津まで取材に出かけてきました。
前回は12月に訪れ、またたび細工の加工を体験してきましたが、今回の目的は、
雪深くなったこの土地での、人々のくらしを垣間見ること。

雪に閉ざされる時間が長いからこそ、冬の手仕事としてかご作りが発展してきた訳ですが、
その背景を理解するためにも、冬の現地を一度は訪れるべきと思っていたのです。

今回、うれしかったのは友人にお付き合いいただいたこと。

いつも地元の国立で何かとお世話になっている、「たいやきや」の ゆいくんと
「お菓子屋 ミモザ」のひろこさんとともに、小さな東北の旅に行ってきました。

東京から車で往復8時間以上の旅。話し相手としてありがたいのはもちろんのこと、
自分の知っている土地の魅力を友人に紹介できるのは、とてもうれしいことです。

今日は、最初に福島・奥会津に向かったのち、帰りは那須にゆいくんの知り合いが
オープンした素敵なパン屋さんを訪ねる、というプラン。

まずは、三島町へ。いつもの場所で写真撮影。

最初に地元の工芸施設に、お話をうかがい行ってきました。

雪の多さがわかりますか?
今回出会った人はみな、「今年は雪かきが大変で、かごを編んでいる暇が無かった!」
と口をそろえていました。

              

ゆいくんは現地でも珍しい、「あんこし」専用のまたたびざるを発見し、購入。

定期的に訪れている老人ホームで、「つぶあん」を食べられないおばあちゃんに
「こしあん」のたい焼きを食べさせてあげるのに使うそうです。
いい話です。。。
美しい螺旋状に編んだざるに濾された、こしあんのたい焼きは
間違いなくよろこばれることでしょう!

そしてその後は、三島町を少し離れた場所に住む知人宅へ。
今年の雪の多さや冬の生活について、いろいろな情報を伺ってきました。

干し柿やお漬物をふるわまれ、お土産にきのこの塩漬けほか、
たくさんのお土産をいただいてしまった。。。


↑ お土産の飲み物だけでこのボリューム!

この土地だけでなく東北地方のおもてなしは、とても共通点がある気がします。
たくさんのお菓子とたくさんのお土産をありがとうございました。

そして次に、那須に向かいます。

征一郎

宮島へ 福島へ②

火曜日の宮島に続いて、土曜日は福島・三島町へ行ってきました。

ちょうど三カ月前にも訪れたばかり(過去のブログはこちら)なのですが、
今の季節はまたたび細工を中心に、採取した材料を加工する時期でもあります。

雪深くなる前に再訪したいと思っていたので、思いきって足を延ばしてみたのです。

そして今回は、昭和村に足を運ぶことも目的の一つ。
お客様より、昭和村のまたたび細工も素晴らしいという評判を聞いていたので、いつか訪問したいと思っていたのです。

東京からだと車で約5時間。明け方に家を出て、西那須野ICで下車。
ここから塩原温泉の先、いくつかの峠を抜けて昭和村へ向かいます。
太平洋側はずっと晴れていたのにも関わらず、北に進むにつれ雪が激しく降ってきました。
山間部はかなり降り積もって轍が深く、すれ違う車もほとんどないので、はやく除雪車来ないかな~
などと思い始めたころ、ようやく町並みが見え始め一安心。
すでに雪かきをしている人もちらほら。ロードヒーティングのありがたみを感じてしまう。

        

昭和村に到着し、さっそく地元の施設へ。
からむし織がたいへん有名で、実際に原麻から糸を作る工程を見せてもらいました。

     

今の時期、またたび製品はあまり多く展示されていませんでしたが、丸みを帯びたやさしいイメージのものが多かったように感じます。

職員の方にいろいろ説明を聞いていると、なんとそばにいたお客様が特産のエゴマのドレッシングをプレゼントしてくれました。(どうもありがとうございました~。)

さて、次はお隣の三島町へ。工芸館を訪ねます。
運よく、またたびの原木を加工しているところを見学できました。
    
またたびの枝                皮をむき、肉をはがす   

その後、「かごを売ってるなら、やってみんしょ~」(・・・間違っていたらごめんなさい)
とのご厚意にうれしい初体験。

    
4分割にする道具「またたび割り機」    幅を揃えるための特注の道具

皮をむくまではなんとかできたものの、「またたび割り機」が使いこなせず、三分割になってしまいました。。。

短い時間でしたが、本当に来てよかった。皆さま、ありがとうございました。
次回は、3月の訪問と体験を約束し、帰路につきました。

いつも帰りに写真を撮る場所では、雪もあがり幻想的な雰囲気に。
気づけばもう夕暮れどき。
早く帰って、明日のイベントの準備をしなければ! ということで、宮島へ 福島へ。
怒涛の一週間はこのように過ぎていったのでした。

征一郎

宮島へ 福島へ①

こんばんは。

先週は広島~東京~福島と移動が多い一週間でした。

広島のイベント終了後は、岡山のわら細工を体験して帰ろうと思ったのですが、
教室開催のタイミングが合わずに断念。

一日時間が空いたので、原爆ドームに続く世界遺産、宮島に行ってきました。

広島電鉄終点からフェリーを乗り継ぎ、宮島へ。

肝心の厳島神社もすっかり潮が引いて、これまでの印象と違いましたが、
これって海苔(?)の緑、朱色の建造物のコントラストは意外に美しいな~と思いました。

そして視覚に加え、嗅覚にも印象が残りました。
干潮の時間もあるのか、強い磯のかおりに加え、商店街の名物「焼き牡蠣」の香ばしくやける匂い、
そして鹿のフン臭・・・。
宮島には、鹿だけでなくタヌキもいるんですね。

帰りは裏道を通って、帰ることに。
地元の方の利用する魚屋さんや食堂、島の人の生活スタイルが垣間見えて、
たのしい時間でした。

素敵な文房具屋さんを発見。
お店をもつとしたら、こんな店構えもいいな~。

 

東京に戻る前に、よい息抜きになりました。

 

宮島にはロープウェーもありました。次回来たときは、山にも登りたいな。
そして数日後には、雪の奥会津へ向かいます。

征一郎

秋の奥会津

先週末は、福島県・奥会津に行ってきました。

編み組の盛んなこの地は、当店でもおなじみのまたたびのざるのほか、
山ぶどう・ヒロロ細工など、伝統的な手仕事の宝庫です。
この日は、三島町で「会津の編み組工芸品展」があると聞き、足を運んでみました。

ときおり小雨がぱらつく天気でしたが、秋の奥会津は濃い緑に包まれ、しっとりとやさしい佇まいがありました。

早速会場へ。
受賞作品の数々。

     

中でも、またたびでつくられた網代編みのお弁当箱が素晴らしく、見とれてしまいました。

今回は、根曲竹を使った作品を見るのも目的の一つ。
同じ根曲竹でも、信州のものとはだいぶイメージが違いますね。

その後は、只見川沿いをぶらぶらして帰りました。

今回は短時間でしたが、奥会津は訪れるたびに何か心を豊かな気持ちしてくれる場所です。
次回は冬に訪れる予定です。

征一郎

甲州ざる体験

三連休は「ざる」づくり体験のため、山梨県に行ってきました。

甲州(郡内)ざるは、富士山2・3合目付近に自生する鈴竹を使用した竹細工で、その歴史は400年以上続いています。

今回は、当店で製作をお願いしている作り手の皆さんに、かご好きな友人たちとともに訪れ、レクチャーしていただくことになりました。

 
はじめはここから。
この周囲を一本一本、ひごを巻いていきます。


(編み目を間違えると、後戻り。何度繰り返したことか・・・。)

だいたい直径20cmを超えたところで、約1時間半経過です。

指先も疲れ集中力も途切れたころ、地元で評判の富士吉田のうどんを食べにいきました。
こちらも初体験でしたが、とてもおいしく食べ応え十分。そして一杯400円という驚き価格です。

さておなかも満たされ、午後の部再開です。
形を整えながら、ざるの高さを揃えていきます(大事なところは先生に)。
     

最後は周囲の縁を巻いて出来上がり。完成まで約3時間でした。

我ながらなかなかの出来栄えに大満足。
5人全員の完成品を並べると、出来上がりは人それぞれ・・・個人の性格がそのまま表れていることにみんなで納得です。

そして完成のご褒美に、名人の畑で採れたあまーい「もろこし」をいただきました。

もろこしの食べ方も人それぞれですね。

次回はぜひ米研ぎ用に深ざるに挑戦してみたいです!
(本物の名人のざるはこちらで。)

征一郎

葉山の一日

こんにちは。

先週のことですが、新しい写真の撮影を友人のカメラマンにお願いするため、
葉山まで行ってきました。

日ごろほとんど縁のない海辺に行けるチャンス!ということで、
仕事にも関わらず娘も連れて行くことに。。。

撮影直前のかごに、ねこじゃらしの束をコーディネイトしたり、と
本人なりに助手として活躍したつもり。

そんな落ち着かない状況下でしたが、今回も本当に素敵な写真を
撮っていただくことができました。
いつも本当にありがとうございます!

撮影後は、一度足を運んでみたかったおいしいコーヒー豆屋さん「Five beans」さん
そしてビーチに足を運び、葉山ののびのびとした空気に触れた楽しい一日になりました。 

12月には、鎌倉・由比ヶ浜で展示会を予定しているので、こちら方面にもだんだんと
いろんなご縁が出来てくるかな、と楽しみにしています。

  パレスチナのかご撮影中  

写真は今月末ごろ入れ替え予定です。お楽しみに。

朝子

そばとざるを探して

最近のお昼は、麺類ばかり。

暑いし、簡単、片付けも楽だし。というのが理由のほとんどですが、
先の三連休は戸隠に行ったというのに、そばを食べずに帰ってきてしまった!
という激しい後悔をいまだに引きずっているのかもしれません。。。

なぜそばが食べれなかったかというと、急遽朝から山梨に向かうことになったんですね。
早朝にテントをたたみ、キャンプ場をあとにしました。

20代の頃に同じ会社で働いていた頼れる後輩が、最近山梨に移住しました。

僕は、この地に伝わる竹細工に興味があったので、調査を依頼していたのです。
すると「名人がご近所に住んでいて、割と仲いいですよー」と、信じられない返答が。。。

この日に訪問すれば、名人に会えると聞き、そばをあきらめ戸隠を離れたのでした。

いや~、お話直接うかがえてよかったです。

作り手の技を拝見しながら、たくさんの情報をいただきました。とても気さくな明るいおじいちゃん。

今度伺う時は、実際の竹細工を体験させていただく予定です。本当にありがとうございました。
(その後、地元のざるそばをいただきましたが、戸隠に劣らずとても美味しかったですよ)

征一郎

戸隠で竹細工体験

毎日暑いですね~。
19時を過ぎても東京はまだまだ暑いですが、最近の夕焼け空は、とても見事で毎日楽しみです。

さて、週末の3連休。みなさんはどのように過ごされたのでしょうか?
われわれ家族は、長野県戸隠までキャンプに行ってきました。

戸隠はこれまでも何度も足を運んだ大好きな場所なのですが、実は雪のない季節に行ったのは初めてかもしれません。

キャンプ場があるエリアまで、多くの蕎麦屋さんや竹細工店(かご街道と呼ばれています)、観光スポットが続いているため、かなりの渋滞が続きました。
お昼すぎに、ようやく到着。

友人家族と合流したのですが、ここから車で移動するのもまた一苦労。。。悩んでいると、キャンプ場内で竹細工教室が開かれるというアナウンスが・・・

地元の竹細工店の方が、竹を使ったおもちゃ作りを教えてくれると聞き、さっそく子ども4人、大人4人で参加しました。

まずは、竹トンボ作り。ナイフを固定しひざに当て、竹を引くことによって削ります。
8歳児はすべて一人で作りました。

続いて、水鉄砲。
竹の筒をのこぎりで切り、節に穴をあけます。

3歳児もギコギコ。
親たちにとって、ハラハラする場面もありましたが、子どもたちに怪我はなく、全員が完成しました(大人二名が出血)

その後は水鉄砲を試しに、川原へ。。。

  

最後は水鉄砲だか、チャンバラだかわからなくなり、全身ずぶぬれになりましたが、たのしい時間を過ごすことができました。

講師の先生、ごていねいに教えていただき、ありがとうございました!
と、よい父親を演じつつ、帰路は先生のお店でしっかり「かご」をチェックをしてきた週末でした。