ケニアのかご産地を訪ねて「ナニュキの手紡ぎウール」

ケニアの手仕事を扱っている enplus (オンプリュ) さんの、秋冬の定番のひとつ、手紡ぎウールのバッグ。もこもことした感触がなんとも心地よくて、当店にも毎年届けていただいています。

熱帯のケニアで、ウール製品がいったいどうやって作られるのか、オンプリュの中島志保さんの案内のもと、産地となる「ナニュキ」を訪ねてきました!

訪問したのは「ナニュキ・スピナーズ&ウィーバーズ」。1977年設立の生産者団体で、この地域の気候に合ったメリノシープの原毛を使って、毛糸やウール製品を作っています。

ケニアの中央部に位置するナニュキは、ほぼ赤道直下にありながら、高度が2000メートル近くもあるため、気候は冷涼。ケニアで羊を飼うことができるのは、こうした高地に限られます。

工房の中に入るとすぐに、毛糸を紡ぐ女性たちの姿が目に入りました。足踏みの糸車が並び、カタカタとしずかな音をたてています。

原毛は、山向こうの酪農家から調達。
専用のブラシでほぐしてから、糸車やスピンドル(手紡ぎ用の道具)を使って紡ぎ、さらにぬるめのお湯で10回以上洗って、汚れや脂分を落としていきます。

ケニアの高地で飼われているメリノシープ。

原毛。すこし赤みがかった色をしています。

大きな桶にお湯をはり、紡ぎ終わった毛糸を何度も洗います。

洗いおわり、完成した毛糸。
左が無染色のナチュラルカラー。
右側はローズマリーやデイジー、赤キャベツ
などを使った植物染めの毛糸。

「ナニュキ・スピナーズ&ウィーバーズ」は、地域の女性たちの自立を助けることを目的に立ち上げられた団体です。現在は140人近くの女性たちが作り手としてはたらいているそう。敷地内には小学校と中学校が併設されていて、作り手のお子さんたちはここに通えるため、安心して働くことができます。

左手の建物が毛糸の工房、右奥が小学校。

このナニュキのナチュラルウールをふんだんに使い、すべて手作業で編みあげたオンプリュのウールバッグ。たくさんの方に使っていただけたら嬉しいです。

 

秋田の太平箕 春の材料採り(フジ)

続いて、フジの採取のために里山へ移動しました。

まずはじめに必要となるのは、山主さんの許可。
田口さんは、フジのある近くの集落で農作業をしていた方に声をかけ、 その土地を誰が所有しているのか、おしゃべりしながら聞きだしていきます。

その際、自分がずっと箕づくりをして生計を立ててきたこと、どんな材料を取りたいのかということをどんな人にもていねいに説明している姿がとても印象的でした。


(お二人とも秋田弁なので、全部は聞き取れませんでしたが)
どの方もとても楽しそうに話していて、あらためて田口さんのコミュニケーション能力の高さを実感。聞き込みをはじめてから三人目で、無事に山主さんにお会いすることができました。

ようやく、フジの採取に着手。
フジは他の植物に巻き付いて成長するいわば厄介者なので、人の手により 適度に伐採することで、山にもよい影響があります。 

よい材料となるフジの目印は、表面に見える横線の模様。
絡まずにまっすぐ伸びている蔓を選んで、鉈で切り落とします。 


この時期は、樹皮と木質部の間に水分が多く含まれているので、強く叩いて刃を入れると、気持ちよいほどきれいに皮が剥がれます。

うまく剥がれない場合は、歯も使います。


箕に使うのは、皮の部分のみ。


樹皮を剥いだあとのフジの枝は、きれいに束ねて人目につく場所に置いておきます。

不思議に思って尋ねてみると、乾いたフジは良く燃えるので、薪ストーブの焚きつけにとても重宝するのだそう。山の中で採取した場合は自然に還すけれど、里では近くに住む人に利用してもらいたい という考えからだそうで、地域の人とのつながりを大切にしている田口さんならではの心遣いだと思いました。

そして、今日は思ったより早く作業が終了したということで、ご褒美タイム! 急遽、山菜ツアーに案内いただきました。

山ウド、ホンナ、タラの芽、葉ワサビなどなど、短時間でこれだけの収穫!
手で持ちきれない山菜は、コウゾの木の皮を剥いでロープにして運びました。 本当に豊かな秋田の山の恵みたち。 (この後、田口さんの奥様が豪華な山菜料理を用意してくれました!)

次回の素材採取は、8月後半。
ヤマザクラの樹皮の採取に同行しますので、またこちらでレポートいたします。

秋田の太平箕 春の材料採り(イタヤカエデ)

しなやかな弾力をもち、白い木肌が美しい「太平箕(おいだらみ)」。

5月上旬、この太平箕の職人である秋田市の田口召平さんを訪ね、箕の材料採取に同行させてもらいました。

「かご」の場合、素材となる植物は1、2種類であることが普通ですが、「箕」の場合は、部位によって異なる素材を使い、たくみに組み合わせてつくるのが特徴です。

そのため当然に、複数の素材をそれぞれ別の時期に採取する必要があるわけで、箕の需要の低下とともに作り手の高齢化も目立ってきている現在、ぜひその採取現場を記録しておきたいと思っていました。

太平箕の場合、本体と縁巻きに使用するのは、しなやかで丈夫なイタヤカエデ、編み目の隙間を埋めるためのフジヅル、強度が必要な部分には山桜の樹皮を重ね、縁の芯材には耐久性のある根曲竹を使います。
また、用途や形、時期よっては、ヤマウルシ、シナ、シロヤナギ、サルナシ、モウソウチクなども採取します。

田口さんには、昨年何度かお邪魔させていただいた際に、次の一年間の採取する素材と時期を伺っており、今回は重要な素材の一つ「フジ」採りのシーズンに入るとのことで、同行させていただきました。

フジの場合は、樹皮と木質部の間に、水分が多く含まれる4月下旬から5月上旬くらいからが、採取のシーズン。この時期を過ぎると、うまく樹皮が剥がれてくれません。

また、同じく箕の重要な素材の一つ、「イタヤカエデ」の採取も、夏時期以外であれば可能ということで、今回あわせて見学することができたのでした。

この日はまず、イタヤカエデから。

長年山に入っていると、山の形をみるだけでおおよそ生えている樹木がわかってくるのだとか。イタヤカエデ好む場所に見当をつけたら目を凝らし、葉や幹の色合いで判断していきます。

新緑の季節なら、葉を縁取る赤い色合いが目印。そのような説明を受けてから山を見渡すと、遠くからでもどこに生えているのか見分けることができました。

この日に選んだのは、直径15センチほどの イタヤカエデ。陽が多く当たる南面に、苔のような地衣類がついているとよい材料である可能性が高いのだそう。

よい材の条件は、節が少なくできるだけまっすぐに生えているもの。数本が株となって生えているものを選んで切ってあげれば、木全体のダメージも少なくてすみます。

ちなみに、南面は樹皮の色が濃く北面は色が薄いので、例え道に迷っても木々を観察することができれば、方角を知ることができるとのことでした。

しかし、イタヤカエデの採取の難しさは、外目ではわからない内側の状態。ねじれがあれば、箕やカゴの材として使用できないが、それはたとえ名人でも中身を見ないことにはわからない。切ってみて中央に芯があれば、まっすぐ成長している良い材料となります。

いつもお邪魔している工房の中では、なかなか聞くことができない山仕事の話。この日は、聞けば聞くほど出てくる田口さんの山の知識に目からうろこの連続でした。

イタヤカエデの採取は、もともと場所の見当がついていたこともあり、 わずか1時間ほどで作業を終了することができました。

次は、フジの樹皮の採取に続きます。

田口召平さんの「太平箕」と「かご」

2017年も残りわずかとなりました。

今年を振りかえると、年始に富山・氷見の「藤箕」についての冊子製作に
関わらせていただいたり、この秋に開催された「箕サミット」参加に
声掛けいただいたり、「箕」の文化継承について考える機会の多い一年でした。

数百年分の知恵の結晶、ともいえる箕づくりの技を残すにはどうしたらよいのか?
いろいろな方とともに考える中で、秋田の太平黒沢地区で箕づくりを専業
としてきた最後の職人、田口召平さんにも出会うことができました。

太平黒沢の「太平箕(おいだらみ)」は、イタヤカエデにサクラの樹皮を
組み合わせた、国内でもっとも美しい箕のひとつではないかと思います。


その技は、秋田市の太平黒沢地区に、江戸時代の中頃から受け継がれてきました。
昭和20~30年代の最盛期を知る田口さんは、箕作りに必要な高い熟練の技と、
箕全般についての広く深い造詣をもった方です。


今回は、貴重な太平箕を製作いただくと同時に、田口さんご自身も箕づくりの
伝統を残すための手段のひとつと考え、いろいろな形を試作されてきたという
「かご」の数々も、あわせてゆずっていただきました。

箕作りの技を応用して作られたこれらのかごは、イタヤカエデと他の素材との
組み合わせが特徴的。縁部分には、サルナシやヤナギ、竹などの素材、本体には
山桜やシナの樹皮を組み合わせたものなどもありました。

イタヤカエデのかごの産地としては、同じ秋田県の角館が知られていますが、
素材の個性を活かした力強い作りは田口さんならでは。
中には、製作してから数年経過し、色合いが濃くなったものもありますが、
どれも味わい深く、独特の雰囲気があります。

今回写真を掲載しているこちらの「かご」については、ぜひみなさまの
ご意見ご感想もお聞かせいただければ幸いです。
直接、田口さんに報告させていただき、今後の取り組みについて
参考にしていければと思っています。

太平箕は、角館町のイタヤ箕とならんで「秋田のイタヤ箕製作技術」として、
国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、どちらにも次世代の後継者が
いないのが現状です。

「本気で習いたい人がいるなら、自分が知っていることはすべて伝えたい」
田口さんのこの言葉が、今も深く印象に残っています。
そして、後継者となる方が現れたときに、当店も何かしらお手伝いができるように
今後も関わっていきたいと考えています。

一年の終わりに、福をすくいとる縁起物としても愛されている箕。
今年のおわりに、この田口さんの箕とかごをご紹介できることをとても
うれしく思っています。

映画「ある精肉店のはなし」 北出精肉店さんを訪ねてきました!

北国のかごの作り手さんたちから、雪の便りが届くころとなりました。
ここ国立でも、駅前から続くイチョウ並木がちょうど紅葉の見ごろを迎えています。

早朝の大学通り

 

先週は、来月に当店で開催するイベントでの映画上映作品のひとつ「ある精肉店のはなし」の舞台、大阪・貝塚市に行ってきました。
 
この映画は、現在当店と一緒に竹細工の職人さんを取材してくれているドキュメンタリー映画の監督、纐纈(はなぶさ)あやさんの代表作のひとつ。2013年の11月29日(いい肉の日)に上映をスタートしてからこれまでの間、自主上映会が500回以上、映画館も60を超え、今も各地での上映が続いています。
 
その公開5年目への突入を記念して、先日11月19日に大阪市の人権博物館で上映会&リレートーク「話しのごちそう」が開催されると聞いて、まずはこちらのイベントに出席。その後、貝塚市に向かいます。

会場入口には牛の像が

 

映画の舞台は、子牛から育ててきた牛をと場で解体し、その肉をお客さまに手渡すまで、すべてを自分たちの手で行ってきた大阪・貝塚市の「北出精肉店」さん。
 
自分のルーツと仕事に誇りをもち、差別や偏見から目をそらさずに、まっすぐ向き合ってきた北出さんご一家の姿が、多くの方に感動を与えてきたのだと思います。
 

この日の来場者は、すでにこの作品を観たという方がほとんどで、中には10回以上観たという人も!僕自身も数回目でしたが、見るたびに着目する視点が変わり、あらたなことに気づかされます。

はじめてこの映画を観たときは、牛を解体する場面や、この土地で続いてきた歴史や文化に圧倒されましたが、今回は7代続いてきた北出一家の物語として映画を観ていました。「はじめはこの地域からはやく出ていきたかったけれど、ずっと父の背中を見て育ってきた中で、この仕事を受け継ぐことが自分の使命と思った」という新司さんの言葉が、とても印象に残りました。
 

上映後は、纐纈監督と、映画に登場する北出新司さん・昭さんご兄弟、写真家・本橋成一さんやと場の関係者、人権・部落解放運動に関わる地元の方々など、13名の登壇者によるリレートークが行われました。それぞれの立場の方々による内容の多様さと、随所にオチのある軽快な話(大阪ならでは?)で、あっという間の3時間でした。
 

その後は、北出新司さんのご長男が経営されている居酒屋「ブッチャー」さんで関係者による打ち上げ。もちろんお肉は、北出精肉店さんの目利きによるもの。ほんとうにおいしかったです!

新鮮なホルモンの鉄板焼

 

そして翌日は、北出さんご家族にお世話になり、映画に登場した各所を案内してもらったり、作品にまつわる色々なエピソードを直接聞かせてもらうことができました。

 店の前を通学するこどもたちを
毎朝、澄子さんが見守ります

 

新司さんの仕事も拝見

貝塚市営の屠場は、映画撮影の年(2012年)に閉鎖され、現在は子供たちが遊べる空き地になっています。

屠畜場の跡地
獣魂碑

当初は映画出演の依頼を受けるどうか、家族内でも、地域全体としても、とても悩んだそうですが、一年半に及ぶ撮影は、自分たち家族の仕事や生き方をあらためて見つめ直すきっかけとなり、それをきっかけに新たな活動が広がっていったそうです。

「人の意識を変えていくには、自分自身がまず変わらなくては。」という新司さんの言葉に、今の自分にとっても多くの学ぶ点がありました。

地元の小学生たちが見学にやってきていました。
お肉屋さんを案内する昭さん。

 

この二日間の訪問を通して、見て・聞いたたくさんのこと。来月の上映会では、少しでも現在の様子や北出家のみなさんのあたたかさをお伝えできたらと思っています!

千葉県匝瑳市「木積の箕」

こちらは二年前に訪問した、千葉県の匝瑳(そうさ)市の「木積地区の箕づくり」にお邪魔した時の模様です。

「木積箕づくり保存会」では、毎月第一土曜日に会員の皆さんが集まって作業をしてますが、一般の人も自由に体験、見学をすることができます。

この日は、箕の材料となる「フジ」と「シノダケ」を刈りに山に入ると聞いて、はじめて参加させていただきました。

まずはじめに感じたのは、みなさんとても楽しそうに和気あいあいな雰囲気であるということ。箕づくりの技術の習得を目的にしつつも、会員のみなさんが定期的に集まって、楽しく作業することを大切にしている印象をうけました。

まずは、フジの採取のため森の中へ。
木々に絡んでくねくねしたものではなく、できるだけまっすぐ長いものを探すのですが、これがなかなか見つからず。ベテランの方のあとをついて歩くのがやっとで、自分だけでみつけることはできませんでした。

採取できたフジはすぐに土の中へ。
しばらく寝かせることで、樹皮や芯を取り出しやすくするのが目的ですが、たまにどこに埋めたかわからなくなってしまうことも。
この日も、スコップで土を掘り起こしていたところ、以前埋めたと思われるフジが数本発掘され、みんな大笑いしていました。

お昼休憩の後は、篠竹の採取へ。

道路沿いの斜面に群生している場所を見つけ、切り出す人、運び出す人、結束して車に乗せる人など、それぞれ分業で作業を行い、みるみるトラックの荷台がいっぱいになりました。

作業場まで運び入れると、すぐに竹を割って天日干しします。竹を割る作業はやはりなかなかうまくいかず、いくつかの材料を無駄にしてしまったのですが、そんなの当たり前という雰囲気で、なんでも体験させていたけたのがうれしかったです。

笹の皮を採る作業
割いた竹は、縛って立てておくことで
乾燥がはやまります。

ここまでの今日一日の作業時間は約6時間。思ったよりもあっという間の楽しい時間でした!

今回は材料を準備するまでの作業でしたが、早い人だと3か月程度で一枚の箕を仕上げることができるのだそうです。

木積地区の箕づくりも、国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、他の箕の産地と同様、需要の低下や価格の問題、一枚の箕を製作するのにたいへんな労力がかかるなど、多くの課題がありました。昭和の最盛期には、年間12万枚が出荷されていましたが、現在はわずか数十枚ほどの生産量の状況です。

しかし、参加されているみなさんの姿を見ていると、技術の継承を目的にしているだけではなく、地域内外の人の交流や地域文化全体を盛り上げる一つのツールとして「箕づくり」を捉えているような印象を受けました

埋めた場所を忘れないためのマーク

これまで何度か参加していたことのある知人が話していた「居心地がいい」という言葉の意味がよくわかる訪問でした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました!

富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」

先日、東京文化財研究所で行われた「箕サミット」では、富山県氷見市で「藤箕」づくりを行っている坂口忠範さんも実演されていました!

お会いするのは、約一年ぶり。ちょうど昨年末、富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」づくりを紹介する冊子づくりのために、現地を訪ねてきました。

「藤箕のなやみ」となづけた小冊子

そのとき、取材のためにお世話になったのが「藤箕づくり技術保存会」の会長である坂口忠範さんでした。
材料採りから素材の加工、箕の完成までを見学するため、坂口さんを二日間を追いかけ、すべての行程を見学させていただきました。

藤箕の里、熊無・論田地区の棚田

「藤箕」の産地となる論田・熊無は、氷見市の西部に位置し、 石川県との県境に位置する二つの集落です。この地での箕づくりは、室町時代から600年以上続いてきた長い歴史をもちます。

2012年にその技術的な価値が認められ、国の「重要無形民族文化財」に指定されますが、その当時箕づくりを行っていたのはわずか数軒のみ。
70~90歳代の作り手が中心で、新たな後継者もあらわれない現状から、うれしいニュースであると同時に、今後の存続に対する責任の重さも感じたそうです。

「藤箕」の名は、フジヅル(藤の蔓)を挟み織っていることに由来。フジの強い繊維を使用することから、軽量で耐久性に優れています。

持ち手部分には、ニセアカシア(またはヤマウルシ)を用い、叩いて柔らかくしたフジとタケ(矢竹)を組み合わせたものが「平箕」とよばれる本体部分となります。また、口先の部分が割れるのを防ぐため、ヤマザクラの樹皮を補強に使います。

まずは、この4つの素材を山から採取することが、とてもたいへんな作業になりますが、この地域での箕づくりはすべて工程を一人で行うのが基本。分業は作業の効率化や専門性を活かすことができますが、一名でもかけてしまうと箕づくりができなくなってしまうことから、古くから一戸ごとの生産を行ってきたということです。

坂口さんは会長になられたのは、一年ほど前から。
そのきっかけを伺ってみると、この地域で藤箕づくりができる作り手さんが、いよいよ80代~90年歳代のご高齢となり、他に箕づくりができそうな後継者がいないか探していたところ、声を掛けられたのが坂口さんでした。

実際に坂口さんが箕づくりを体験していたのは、今から50年以上も前のこと。外で働きはじめる前に家業を手伝っていた10代の頃でした。
再び藤箕づくりに挑戦してみたところ、なんとまだその作り方を身体が覚えていたのそうです。

「本当は、藤箕づくりが大好きなわけじゃない。箕づくり以外のこともしたいけれど、この土地で600年の歴史がある箕づくりの伝統を次の代につなげられるまで、それまでなんとか会長の仕事をやるしかない。」と語ってくれました。

そして、もう一つの大きな問題は「使い手」の減少です。

農家さんの減少や農業の機械化などにより、需要は激減してきています。
昭和のはじめから30年代後半まで、年間10万枚近い数を産出してきましたが、現在、実用として必要とされているのはわずか100枚程度。
そのほとんどの注文は、地元からによるものではなく、北海道のジャガイモ農家さん向けにつくられているというのが実情です。

そこで取材を終えた後、坂口さんにお願いをしました。
昔ながらの農具としての存在に、藤箕の本来の価値と魅力があるのだと思いますが、その技術を存続するためにも、現代の暮らしに取り込めそうな新しいものづくりを、今後の活動の一部に取り入れてもらうことができないか、相談させていただいたのでした。

お願いしたのは、箕の形をアレンジした「かご」の製作。その数週間後、なんとか試作品ができたよとの連絡がありました。

お店のカウンターで使っています。

想像以上の出来栄えに驚きつつ、試行錯誤してがんばってくださっている坂口さんの姿が浮かんできました。まだ量産できる状況ではありませんが、できるだけお客様にも見ていただきながら感想をあつめ、完成品に近づけられたらと思っています。

訪問した記事を担当させていただきました

今の暮らしにあうように変えすぎてしまっては、箕ではなくなってしまうし、でもそのままでは存続していくのはむずかしい。そのバランス感覚が難しいところですが、これまでの伝統的な箕づくりとともに、これからの将来につながる可能性の一つとして、今後も取り組みを続けていきたいと思っています。

秋田県秋田市太平黒沢の「太平箕」

しばらく前の話となりますが、先日、秋田県・秋田市、太平黒沢の「太平箕(おいだらみ)」の職人、田口召平さんを訪ねました。

イタヤカエデの若木を割いて、フジヅルと組み合わせて編み、枠に根曲竹を使ったこの地域特有の「箕」は、白い木肌がうつくしく、どこか女性的な雰囲気を漂わせています。

日本各地にあるさまざまな素材を使った箕の中でも、もっとも美しい箕の一つなのではないかと思います。

機能の面では、弾力性と丈夫さを兼ね備え、水漏れもしにくいなど素材の特性をうまく活かしたつくりとなっており、当時は「馬が乗っても壊れない」といわれていたそうです。

 10年以上前につくられたという太平箕。
経年による色の変化に加え、光沢が増していました。

 

かつてこの太平と周辺の集落では、ほとんどの人が箕づくりに携わっており、村の名前を冠した「太平箕」とよばれて、幅広い地域に出荷されていました。

昭和30〜40年代に、生産数のピークを迎えます。最盛期には、70人以上の職人たちが、年間5〜7万枚もの数を生産。しかし、以降は農業の機械化やプラスチック製品の台頭により、需要が激減してしまいます。

そして現在、専業の職人として活躍しているのは 田口召平さんお一人のみ。昭和12年生まれ、現在80歳の御年です。

箕の作り手ならではの視点で描かれたスケッチ

 

田口さんはご自身の箕づくりに加えて、日本各地の箕の産地を訪れそれらの特徴をスケッチに詳細に記録。60枚以上の箕も収集されており、その知識の深さも貴重な財産だと思いました。

うつくしい道具入れは、イタヤカエデで編んだもの。
刃物の柄やハサミのカバーは、箕の素材の一つでもある桜の樹皮で自作されていました。
 

とても気さくで、終始おだやかな笑顔で たくさんのお話を聞かせてくれた田口さんですが、後継者がいないことを大変残念に感じておられました。

「本気で習いたい人が現れてくれたら、自分の技と知識を伝えたい」と最後に話してくれた一言が、とても印象に残る訪問となりました。

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その3)

いよいよ工房内での縄飾りづくりの作業に移ります。
 

青わらを必要な長さに切断してからは、本当に瞬く間の作業の連続でした。

手も足も、全身を使いながら、わら細工のかたちがつくられていくその過程は写真でご覧ください。
 

 
 

徐々に縄細工のかたちが現れ、、、完成したのは『祝酉(いわいどり)』。
「幸福をトリこむ」という語呂合わせで縁起のよい、たくぼさん定番の縄飾りです。

そして今回、当店用にひと手間加えていただいた特別仕様を製作いただけることに。
なんと「カゴアミトリ」と名付けていただきました!
まもなく当店での販売を予定していますので、ぜひご期待ください。

 
 

今回の訪問を通して、かつての身近な道具として「縄細工」に親しみをもっていたけれど、実はその背景をほとんど知らなかったことを
あらためて気づきました。
 

もともと農家さんの「副業」で続いてきた伝統が、このままでは続けられなくなってきている現代の状況。ならば、自分が「専業」の職人となることで、時代の流れの変化にも対応し、この伝統を継いでいこうと決意した甲斐さんの気持ちががすこし分かったような気がしました。
 

わら細工も、かごづくりも、自然と寄り添いながら続いてきた基本的な暮らしの営みの一つ。今はその重要性が薄くなりつつありますが、だからといって途絶えてしまってはあまりにもったいない。単に道具や技術だけではなく、人と自然の関係や、地域の人と人とのつながりも一緒に消えていってしまうのではないかと思います。
 

手仕事とは、これまで何世代にもわたって積み重ねられてきたひとの知恵の結晶、いつかその損失の大きさに気づく時代が来ないとは限りません。
 
「わら細工 たくぼ」甲斐陽一郎さんの仕事。ぜひあらためて、実店舗での企画展という形で実現できればと思っています。ご期待いただければ幸いです。
 
 

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その2)

続いて、実際の作業を見学させていただくことに。
 

「わら細工づくりの1から100までの作業を一通り見せてほしい!」という無理なお願いをしてしまったのですが、甲斐さんは終始笑顔で対応してくれました。本当にありがとうございます!

害虫によって色が変わってしまった稲わら

 

わら細工に適しているのは、背の高い品種のお米。しかし、台風など風雨の影響を受けやすく倒れてしまう可能性があるため、リスク分散のために、時期をずらして数種の品種を育てているそうです。
 

収穫あとは、すぐに乾燥させなければならないので、いつも天気予報とにらめっこ。雨が多かった今年はきっと、胃が痛くなる日も多かったのではないかと思います。
 

まず見学したのは、収穫後に乾燥させた稲らを「選別」する作業。想像どおりではあったのですが、昔ながらの簡素な道具のみを使い、人の手だけを使った作業の繰り返しに、なんだかとても感動してしまいました。

日本のわら細工の将来を担う20代&30代コンビ!

 

短かったり、折れていたり、割れがあったり。わら細工に使用できる稲わらの量は、全体の半分程度しかありません。そして使えないわらも、そのままゴミとして捨てず、毎日近くの牧場に無償で届け、牛たちのエサにしてもらっているのだそう。
 

わざわざ運び届ける手間はかかりますが、資源としての稲わらを地域内で循環させることも、甲斐さんが大切にされていることの一つ。
 

必要とする周囲の人たちと積極的につながるその考え方や取り組みの姿勢は、国内各地で失われつつあるわら細工の文化を継承するための、
モデルケースになるのではないかと思いました。
 

青々とした美しい色と、すがすがしい芳香をもつ「青藁」は、お米が実る前に刈り取った「青刈り」のもの。青刈りをしてしまうとお米は収穫ができないため、今も昔も大変貴重な素材ですが、それにもまさる青い神聖な雰囲気を昔の人も感じていたことでしょう。(通常の黄色い藁は、秋にお米をとったあとに収穫したもの。青藁よりも強度に優れています)
 

選別したわらを使って縄づくりをはじめる前に、二つの作業がありました。
 

全体に水をかけて湿らせること。

 

続いて、湿ったわらを束にしてから、しなやかさを出すためのなめし作業を繰り返します。

これで縄細工づくりの下準備がようやく完了。いよいよ工房での作業へ移ります!
(続きは「こちら」)

「わら細工 たくぼ」さんの仕事(その1)

季節外れの上陸となった台風21号。日本各地に深刻な被害をもたらしたことと思います。
 

当店でも、スウェーデンより来日中のブロールさんをお招きし、ワークショップ開催を予定していたのですが、台風が通過する当日のクラスは、残念ながら中止とさせていただきました。
 

そして、こちらも心配だったのが、先月末に訪問させていただいた宮崎・高千穂郷「わら細工 たくぼ」さんの田んぼのこと。

台風直後に送っていただいた写真は、このような状況。。。
この秋の天候不順と台風により、今年収穫できる量にかなり影響が出てしまうのではとのことでした。
 

ホッとしたのも束の間、、、今週末には続いて22号が上陸する恐れが。
今日はこれからその対策に奔走する予定だそう。
天候や、常に変化する自然と直に関わる仕事の大変さを感じています。
 
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
 
「わら細工 たくぼ」さんは、創業60年。
代々、農閑期の副業として、その技術を受け継いできましたが、数年前に家業を継いで三代目となった甲斐陽一郎さんは、「みんなで米をつくって、みんなでわら細工を続けていくこと」を目標に、専業の職人として活動をスタートしました。
 

一年間で必要とする稲わらは、田んぼを耕すところからはじまり、すべて自分たちで手をかけて栽培されていました。
 

宮崎県の北部に位置する高千穂郷は、うつくしい棚田の景観が残る自然豊かな地域。2015年には、世界農業遺産にも指定された地域です。

斜面を利用した美しい棚田が並びます

 

高千穂峡

 

高千穂神社

 

そして「天の岩戸」の物語の舞台とも言われる日本神話ゆかりの地で、古い神々を祭った神社や神楽など、独自の伝統が受けつがれています。この地だからこそ伝わってきた重要な手仕事に「注連縄(しめなわ)」
があります。

 

丹精こめたうつくしい注連縄作りで、地元でもたいへん頼りにされているたくぼさんでは、家庭用のお飾りから、神社の鳥居用、拝殿用の大きな縄まであらゆる注連縄や縄飾りを手がけていらっしゃいました。
 

高千穂郷では、しめ縄飾りをお正月に限らず、一年中飾るのが一般的なのだそうです。縁起ものとして、古来から家々を見守ってきた伝統の縄飾りづくりを見学させていただきました。

 

続いて、当店用に手掛けてくれた「しめ縄飾り」の作業をレポートしたいと思います!
つづきは「こちら
  

ペリゴールのかご「ブイリクー」を訪ねて

作り手のフィリップさんにお会いするため、この夏ペリゴール地方に足を運んできました。

フランス南西部に位置するペリゴール地方は、多くの自然が残る美しい地域。フォアグラ、ワイン、それからセップ茸が採れることでも知られた美食の地でもあります。

郊外に広がるブドウ畑

そのペリゴール地方に伝わるのが、フランス南部の方言で「Bouirycou」(ブイリクー)と呼ばれるかご。

 

ヨーロッパの一般的なかごの作りとはまったく異なる、独特の技法と構造が特徴です。

どこからどう伝わったのかは不明だそうですが、1900年代の初頭にはすでにこの地域でひろく使われていて、150人以上もの作り手がいた時期もあったそう!

農作物の収穫や運搬に欠かせない道具として使われたほか、家庭では洗濯かごや、食器の収納用に。マルシェでの買い出しにも、お店やさんの店先でも、これ以外のかごを見かけることはないくらい、身近に使われていたそうです。

地元のマルシェをのぞいたら、やっぱりありました!
 

製作をおねがいしているフィリップさんの工房にお邪魔してきました。

 
晴れの日は、広々とした中庭が仕事場。
 

ブドウ農園を営む両親のもとで、かごに囲まれて育ったフィリップさんにとっても、ブイリクーは幼いころの思い出の欠かせない一部。

その技を継承する人がいないことを残念に思い、ならば自分が、と40歳を過ぎてからかご作りの仕事を始めたそうです。

作り始めたとき、地元の作り手たちはすでにみな高齢で、直接教えてもらうことはできず、実物のかごを見ながらひとりで学ぶしかありませんでした。技術書や資料などもないため、習得までにはとても時間がかかったよ、と話してくださいました。

<ブイリクーを作る>

素材のヤナギは、収穫ののち半年以上は干して、芯までしっかりと乾燥させます。

ブイリクーは普通、皮付きの枝で編みますが、今回は特別に表皮をむいた白い枝をつかったかごをお願いしました。皮をむくための機械はあるものの、半分は手作業。かなりの時間と手間を要する工程です。

編む工程を最初から見せていただきました。真ん中からスタートして、渦巻き状に編んでいきます。

一目編むたびに、毎度ひっくり返して、裏側からもかならず編み目をチェックされていたのには驚きました。

仕上げの縁の部分は、3重にまくのがフィリップさん流。

枝の次ぎ方、切り方などなど、美しく仕上げるための細かな工夫が随所にこらされていることがよくわかりました。

時代は変わり、今、伝統的な技を受け継ぎこの地で製作を行っている作り手はフィリップさんを含め数人ほどに。

とはいえ、フランスでは今も広く知られ、愛用者も多いペリゴールのかご。
日本の皆さまにも愛されるかごとして、これからも作られ続けていくことを願っています!

 

「チプサンケ」開催中の二風谷に訪問しました

北海道の旅では、沙流郡日高町の二風谷に数日滞在しました。
期間中は、アイヌの人々による年に一度の儀式「チプサンケ(舟おろし)」 
が行われていて、川下りやものづくり体験などを楽しみました。
宿泊させていただいたのは「平取アイヌ文化保存会の事務局長」
を務める貝澤耕一さんが所有するログハウス。滞在中は、
「二風谷ダム建設差し止め訴訟」の原告の一人でもあった貝澤さんの
これまでの活動について、お話を聞くことができました。

沙流川流域のアイヌ民族の風習や文化、その歴史とともに、
ダムの建設後もなおその影響を受けながら暮らしている現状を、
スライドを交えわかりやすく説明していただきました。

貝澤さんはまた、開拓と開発で荒れてしまった自然を本来の姿に
戻そうと、山林を買い取って森を育てる
「ナショナルトラスト・チコロナイ(わたしたちの沢)」の活動も
されており、自然の再生についても学ぶものがありました。

アイヌの人々を公の場で初めて先住民族と認め、独自の文化への配慮を
欠いた事業認定を違法とした「二風谷ダム訴訟」の札幌地裁判決から
今年で20年。1997年に下された「ダムは違憲」との判決にも関わらず、
その本体がすでに完成していたことを理由に、翌98年から運用が
開始されました。

貝澤さんのご自宅は、ダムからわずか数百メートルの場所。
その姿をいつもどのような気持ちで見つめているのか、想像することは
容易ではありません。

しかし、わずか20年のうちに、ダムの総貯水容量の4割近くが土砂で
埋まってしまいました。なんと100年で堆積する予定の2倍以上の土砂が、
10年たらずで堆積していたことが判明し、たまった泥による濁りは
河口の日高町にまで達し、特産品であるシシャモの繁殖にも大きな影響を
与えているそうです。
にもかかわらず、二風谷ダムのさらに上流では、現在も「平取ダム」
の建設が進行しています。

ダムの工事が始まったのは1973年。他のダム建設地と同様、ニ風谷でも
多くの住民が土地を手放す選択をしたそうですが、その理由は補償金や
住民間の分裂だけではなく、その歴史的背景や差別による
アイデンティティーの喪失などもあったのではないかと思いました。

その歴史についてのお話を聞いている間、年に数度足を運んでいる
沖縄のことが、頭に浮かんできました。その土地に長く暮らしてきた
人たちの意に反する国策や人権侵害、自然環境の破壊に対する、
静かで根気づよい戦い。平和的な解決をのぞむ姿が重なって見えました。
また、アイヌ民族と遺伝子的にもっとも近いのは琉球民族であると
聞いたことがありますが、その表情や助け合いの精神、自然を敬う
暮らし方という点でも、共通するものが多くあるように感じます。

そして、これらの問題の根本には、自分も含めた多くの人の無知、
関心の無さがあるような気がしてなりません。

アイヌの人々は、すべての事物には神が宿ると信じ、特に多くの恵みを
もたらしてくれる植物や動物などを「カムイ」として敬ってきました。
そこには、生きるために必要なものを必要なだけ、自然からいただいて
暮らしてきた、すべての生き物との共存の姿があります。
それは次世代の人々の生活環境を守り、伝統的な暮らしを維持するための、
唯一無二の手段でもあるのかもしれません。私たちの今の暮らしの
あり方にこそ、こうした生き方から学ぶものがとても多いように感じます。

今回、わずかな期間ながら見聞きしたものをできるだけ多くの方に
知ってもらい、ぜひ現地を訪ねてほしいという思いから、こちらに
投稿させていただきました。

最後になりましたが、今回の訪問を受け入れてくださった貝澤家と
二風谷の皆様、滞在中ご一緒いただいたみなさまにお礼申し上げます。

カゴアミドリ 伊藤征一郎

スペイン 栗のかごの産地へ(後編)

スペイン伝統の、栗のかごを製作しているダビドさんの工房にお邪魔してきました。

さっそく、工房の前に栗の枝が気持ちよさそうに天日干しされているのを発見!

枝は、伐採された後すぐに大きな釜を使ってボイルし、表皮をはがして4つ割にしたあと、数か月間干して完全に乾燥させます。

しっかりと乾燥させたら、2種類の機械をつかって、うすい板状に加工していきます。

 

機械が導入されたのは比較的最近のことで、それまでは鉈(なた)を使ってすべてが手作業で行われていたそう。
とはいえ、両側に人が立って操作するこの作業も、半分以上が手仕事といえそうです。

これで下準備が完了。
板状に加工した素材は、長期間にわたって保管することができます。
つづけて、かご作りの過程を拝見しました。

編みはじめは、底部分から

 

ダビドさんがかご作りに使う道具は、この大きくカーブした鉈のみ。
おじいさん、お父さんと代々受け継がれ、使い込まれて渋い光を放っていました
作業は流れるように進んでいきます
道具のひとつひとつから、歴史が伝わってくるよう
完成しました!

 
周囲を山に囲まれたダビドさんの村では、古くから栗の木をさまざまに生かして、暮らしが営まれてきました。かご作りはダビドさんの家に代々伝えられてきた家業で、ダビドさん自身は、少なくとも4代目になるとのこと。

今もスペインの人びとに愛されて続けているこの栗のかごを、次の世代に伝えていきたいと語ってくださいました。

八百屋さんの店頭で見かけた、
山盛りのクルミを入れた大きなかご
こちらは別の食料品店

 

教会の入り口でも、
さりげなく使われていました

 

→「スペイン 栗のかごの産地へ」(前編)は こちら