箒職人がつくる「きびがら細工」のこと

栃木・鹿沼より、「きびがら細工」が入荷しました!

こちらは、来年の干支である「酉」。
手のひらサイズのかわいいかたちです。

作り手は、「鹿沼箒」の職人でもある丸山早苗さん。
先月は工房にお邪魔して、箒づくりにまつわるたくさんのお話しを伺うことが
できました。

「きびがら細工」とは、箒づくりと同じ素材(ホウキモロコシ)を使用して
つくられた、素朴でかわいらしい十二支の動物たち。
丸山さんの祖父であり、師匠でもある故・青木行雄さんが昭和37年に創案した
郷土玩具です。

もともとは、東京で介護の仕事に従事し、それを天職と思っていたという
丸山さんでしたが、出産を機に地元の鹿沼に戻ったのが、三代目の箒職人と
なるきっかけに。

当時、工房の二代目である丸山さんのおじいさんはまだ現役を続けていました
が、それまで共に箒づくりを支えてきてくれたおばあさんが亡くなられた
ことから、仕事をやめたいと話しはじめたことが直接のきっかけでした。

当初は先代を励ましつつ手伝うつもりが、ほかに後継者となる人は
誰もおらず、次第に自分が跡継ぎになろうと考えはじめたといいます。

とはいえ、赤ちゃんが誕生したばかりの、子育て真っ最中の時期。
一方おじいさんの年齢を考えると、残された時間はあまり長くは
ありません。結論がでるまでには、かなりの時間がかかりました。
最終的な決断をしたのは、お子さんが一歳になるすこし前の頃でした。

子どもを背負いながら箒づくりを習う日も多くありました。
一日の作業が終わり家に戻ると、腕が疲れてあがらなくなっていて、
こどもの抱っこさえできなくなってしまった時には、本当に
この決断が正しかったのか悩んだこともあったといいます。

箒づくりの修行には最低でも3年かかる、といわれているそうですが、
丸山さんが習い始めた時に、おじいさんはすでに83歳。
そして残念なことに、3年が経つのを待たずに亡くなられてしまいました。
しかしおじいさんは、丸山さんが必要な技術を、ちかくの町で同じ型の
箒を手がける職人さんから学べるように、取り計らってくれていたと
いいます。

「生前に何度か、おじいさんに頼まれて、その職人さんのところまで
車で送迎することがあったのですが、これといって特別な用事を
済ませているようにも見えず、すこし不思議に思っていました。

今かんがえると、自分が指導できなくなった時には、その職人さんの
もとを訪ねて学べるようにと、準備をしてくれていたのではないかと
思います。」

先代の心くばりは、その後の丸山さんを確かに支えてくれたそうです。
長さや質によって、「蛤箒」「小箒」などに分けていきます
       
うつくしい蛤型の鹿沼箒には、穂先が長く、全体がやわらかい素材が不可欠。

丸山さんも地元農家さんとともに、ホウキモロコシの栽培に取り組んで
いますが、近年の気候や自然環境の変化もあり、毎年試行錯誤が続いて
います。現在の収穫量では、一年で15本から20本分ほどしか、材料を
確保できないそうです。

一方で「きびがら細工」は、箒づくりには使えない材料も活用できるのが
大きな特徴。そして、丸山さんが一年を通じて職人としての活動が
できるのは、箒づくりをしない時期にこの仕事に従事できるからです。

おじいさんが創案した「きびがら細工」の十二支の姿形は、
それぞれ特徴的です。比較的つくるのが簡単な動物や、個人的に苦手な
ものがあるのか?聞いてみました。
「それぞれに特徴はありますが、一言で簡単、むずかしいと言い切れる
ものはありません。つくりやすいけれど、材料の確保が難しいものだったり、
材料は少量で済むけれど、異なる素材を組み合わせなければならなかったり。
たとえば、『へび』は細い草が必要で、専用のきびがらをあらかじめ育てて
準備しておかないと材料が足りなくなってしまいます。」
「その中でも、一番苦手なのが『虎』だったんです。そして、虎をつくら
なければいけない年に、おじいちゃんが亡くなってしまって、、、
はじめは、なんで虎年に~! と思ったけれど(笑)これは、おじいちゃんが
私に課した、最終試験なのかもしれないと思いました。
なんとか無事に製作を終えて、おかげで苦手意識も克服。今では好きな動物の
一つになりました。」
いつも見本としている箒は、曾祖父(初代)作のもの。
その技術やうつくしさだけではく、当時の素材の質も
すぐれていたことが伺える、目標の一本。

この話を聞いたとき、「きびがら細工」の誕生や伝承そのものが、
おじいさんから丸山さんへの贈り物だったように思えてきました。

そして、その受け継いだ大切なバトンをこれからどういった状態で
次の世代に引き継いでいくのか、丸山さんは常に意識して日々の活動を
行っているように見えます。
「私は伝統工芸士になりましたが、その技は自分のものだとは思って
いません。あくまで受け継がれたものであって、今後ほかにやりたい人が
出てきたときは受け継いでいくものだと思います。

自分の時代だけがいいという考えで、いろんなことをきめてしまうと、
あとで困るのは次の世代の人々です。そのためには今、どういう基盤を
つくるのが大事なのか?

これからもこの伝統が続いていくための 『いいつながり』 を、たくさん
残してあげたいなと思っています」

丸山さんは、明るい笑顔でそう語ってくれました。

いとう